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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

焚火の効用/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(33)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回のテーマは焚火である。屋外で火を焚く。体を温めるのみならず、それで料理をする、沸かした湯で珈琲をいれる、焼き芋だって出来る。さらには、出来上がった灰が畑の肥料にもなる。かような実用だけでなく、焚火には、人を鼓舞したり、慰めたり、夢想させたり、ときには思いがけない知恵を授けたりしてくれる効用もある。多くのことがスマホのプッシュッボタンひとつで出来る今の時代・・・外出先から自宅の風呂やエアコンに指示が出せる、自分のいない部屋の様子をモニタリングできる、そんなニュースを聴いて原始人の僕は驚いたことがあるのだが・・・人工知能に導かれた現代社会において、(ITに比べたなら・・・)、焚火とはけっこうダサイ、かつ厄介、時には危険なものでもあるから、もしかしたら人工知能の対極に位置するとは言えまいかと、焚火歴43年の僕は思ったりもするのである。コロナ禍ともいくらか関係するのかもしれないが、近頃は若者にもオジサンにもソロキャンプが人気なのだと聞いた。たしかにキャンプは人が「原始の火」に出会う絶好の機会である。あたりは暗い。動くものは何もない。暗闇の中で動くのは唯一、目の前でゆらめく炎である。その炎に手をかざしながら、人間は感傷的になることもあろう。リアルな日常生活で傷つきかけている心が優しく愛撫されているように感じることもあろう。フラレた女の顔が炎の中に浮き上がり、未練らしきものが男の胸に湧いてメメしくなることだってあるかもしれない。火事は怖いもの。失火による住宅火災は家財も命も奪ってしまう凶暴なものだが、火の本質とはポエティックである。身も心も暖めて、なお人の暮らしに安らぎを、そして時には(スポーツ観戦者がこぞって口にする・・・僕はあんまり好きじゃあない、あの・・・)「勇気と感動」をさえ授けてくれることもある。

 43年前、最初の田舎暮らしで購入した家は築50年だった。北側の、距離にして50メートルほどのところが利根川だった。冬にはその冷たい川風が容赦なく家に吹き込んで来た。売り主の売却の動機とは、川向うにある競輪場に通い詰めて借金をこしらえたゆえ、仲介の不動産屋から僕はそう聞いたのだが、北風の吹き込む崩れかけた壁の修理など、もはや不可能な家計であったのだろうか。思い出すことがひとつある。団地から移り住んですぐの正月。もらった年賀状に僕は返事を書いていた。足は炬燵に入れているが、腰から上がどうにも冷える。ついにはペンを持つ手が思い通りに動かせなくなった・・・。

 部屋数7つの平屋。その家の北側には半分朽ちた物置小屋があった。それを僕は、畑を広くするために撤去することにした。同時に、はがれかけている家の壁板もはがし、新しい板を打ち付けることにした。我が人生における初めての、大々的な焚火、それがこれだった。たぶん2トン車一杯くらいの木材だったろう。まだ会社員だったから、燃やすのは週末とした。家族も、近所も、寝静まった深夜まで、僕は燃える火のそばを離れなかった。後日、その焚火に、地元の消防団からクレームがついた。十分な気配りをしてやったつもりの焚火だったが、新参者でもあり、素直に深く頭を下げて謝った。その翌年、この件をきっかけとして懇意になった消防団長から入団を勧誘されることとなる。入団して初めてそのキビシサを知る。会社の残業を終えて帰宅するのが当時は10時頃。寝床につくのが零時頃。そんな僕の眠りを激しいサイレンの音が遮った。手近に用意してある消防服とヘルメットを着用し、消防車に飛び乗る。後部座席に風を遮るものはない。午前2時、利根川を渡って来る風の冷たさは並みじゃなかった。そして、時には、消火活動が終わってもすぐには帰宅できないことがあった。まだ薄く煙が漂う火災現場に残って朝まで立ち番をするのだ・・・あれからもう40年以上たった。焼け落ちた目の前の家と焦げ臭いにおいは記憶から消えない。

 12月2日。4時半に目が覚めた。僕にしては早く、昨夜は10時過ぎにベッドに入ったのだが、それにしても・・・。いつもNHKのラジオ深夜便を聴く。今朝はスイッチを入れるとサッカー中継をやっていた。夜明けの散歩に出る。昨夜書いた葉書の投函がてら暗い道を歩いた。家々の、ほぼ半分くらいに明かりが灯っていた。サッカー中継と関係があるのだろうか。朝食をすませて向かった午前7時の畑は冷える。何はともあれ体を暖めよう。この上の写真の如く、用意するものは新聞紙1枚。よく枯れた小枝10本余。そして杉の葉。早朝ゆえ杉の葉は少し湿っぽい。なるべく湿っぽくない部分を一か所にまとめ、新聞紙に火をつける。ポイントは、一発で新聞から杉の葉に広く火を回らせることだ。そうすると、最初は湿っぽかった部分がその火の勢いで乾き、じわじわと延焼する。ここまでをうまくやると後は倍々のスピードで燃え上がる。そこに細い枝を乗せる。この枝が燃え上がればもうしめたものだ。中、大という順番で枝を足してやればいい。

  

 僕のふるさとは山口県熊毛郡上関町祝島。中学1年生の時、郡のキャンプ大会にもう一人の同級生とともに学校代表に選ばれた。出発前、神崎先生から訓示を受けた。神崎先生は国語の担当であり、教頭でもあった。先生は言った。「いいかい、マッチは何本もあるなんて思うなよ、1本で確実に火をつけろ・・・」。この言葉を、60年以上もたった今、焚火をするたびに思い出す。すでにマッチというものは身近に存在しない。いつも点火は100円ライターだが、僕の耳にはカチッとやるたび、神崎先生の声がどこからか聞こえてくる。

 12月4日。昨日に続き寒い朝だ。しかし、寒いといってもせいぜい4度か5度。北海道やウクライナの人々のことを思えばこんな寒さでどうこう言っては叱られる。朝食しながら、「彼」は今頃どうしているかなあと、寒さの季節が到来すると不意に思い出す。僕の知り合いの知り合い。その彼は放射能にとりわけ敏感だった。福島原発の事故のあと、すぐさま、いったん西の方に避難したが、間もなく方向転換して北海道を定住の場所とした。もちろん東京での会社を辞めて。彼はその当時、「そんな所にずっといたら、東京の人はいずれ全員、放射能にやられるよ」、語気荒くそう予言していたのだが、幸か不幸かそうはならなかった。それから10年余、まだ若かった彼も50歳を過ぎたはずだ。元気にしているだろうか。北海道の寒さがこたえているのではないか、自分の人生の選択は正しかったのかと悔やむことはないか・・・そんなことを、今朝の北海道は吹雪です、そう伝えるテレビ画面を見つめながら僕は想う。

 さてと、今日は大仕事が待っている。大きなハウスのビニールを張り替える。しかし単なる張り替えではない。新しいビニールの幅は6メートル。既設のパイプ幅ではかなりの余剰が出る。だからパイプを足して拡張する。拡張のためのパイプは別なハウスを分解して調達する。最終目的は単純にビニールの張り替えなのだが、そこまでのプロセスは複雑に絡み合うわけだ。

 まずやるべきは、現在張ってある汚れたビニールを破れないように慎重にはがし、他に流用する。使っているパッカーは推定100本。低温でしびれかけている指先でそいつを外すだけでもけっこうな手間だ。取り外したビニールは50メートル先で寒さに震えているミニトマトに掛けてやる。そのトマト、いったんは、もう終わりにしていいかと思ったのだが、寒さに震えながらたくさんの青い実をつけている姿を見て僕は翻意したのだ。その次の作業は、よそから調達してきたパイプ30本を既設のパイプに立てかける。これで今までよりもハウスの幅が150センチ広くなった。そして最後、6メートル×20メートルの新品ビニールをじわじわと広げてやる。骨組みそのものがすでにいびつなのでビニールをバッシリ張るのは難しいが、まあ、そこらは長い経験。どうにかそれらしい姿で完成した。

 昨夜、寝床で見たテレビがサバイバルキャンプのことを伝えていた。普通のキャンプでは物足りなくなった人たちが、生きるに必要なすべてを現地調達するという過酷に挑戦する。さてその動機はというと・・・遠からずやって来るという大地震。その時はたして自分は自分の知恵と力で生き残れるのか? その模擬テストみたいな経験をしてみたいというのがサバイバルキャンプ人気の背景にはどうやらあるらしい。たしかに、首都直下型の大地震が発生したらすごいことになる。最近のニュースでは帰宅困難者が何百万人にもなると伝えられていたが、単に電車が止まって帰宅が困難になるというのならば直接生死には関わらない。だが、高いビルからは看板などの物が落ちて来よう。火災も発生しよう。そうなったら、頼りになるのはそれぞれの生命力だということになる。行政が用意した避難所はすでに満員。そこらで夜を明かすしかない。道路に散乱する破損物をうまく組み合わせ、夜露をしのげる小屋を作って体を横たえる・・・それもまたサバイバルのテクニックということになろう。この惨状が現実のものとなった時、いかに自分の暮らしが文明の利器に守られていたかを人は知る。

 12月5日。重苦しい空の朝。そして昨日よりも冷えた朝である。午後遅くに雨が降ってきたのだが、午前中は寒いだけですんだ。焚火を始める。夏に切った枝がそのままになっている。こいつを燃やし切った後にはビニールトンネルが1本仕立てられる。ちょっと湿っぽいが、先月抜いて山にしておいた草に火をつけよう。半分湿った枯草にうまく火を回すには先に書いたようにちょっとしたコツがいる。普通にやっては草に含まれた水分に火が負けて広がらない。全紙の新聞紙を2枚用意し、広げたままでなく、小さく丸めるでもなく、ほどほどに固める。その新聞紙に手際よく5か所くらいライターで点火する。その火の勢いで湿っぽい草が乾く。乾けば燃える。その火が次に移動してさらに湿っぽい草を燃えやすくする。

 草に火がうまく回ったところで剪定枝のいちばん細いものを素早く投げ込む。その枝から枝にまだ小さい火がうまく伝染するように組み合わせるのがコツだ。小枝の火に勢いがついたら、中枝を重ねてやるのだが、横倒しに置くだけではなく、何本か縦にも差し込んでやろう。火は上に立ち上る。その熱と火力でもって、縦に差し込んだ枝に引火させるのだ。こうすることで、縦と横の火が相互作用し、焚火は立体的になる。

 荷造りに励んでいるころ、小さな雨が落ちてきた。3時半現在で気温8度。お客さんへの挨拶状を書く手が思うように動いてくれない。ついさっきまで野菜を水洗いしていたせいだ。それでも荷物を仕上げると気分はスッキリだ。キウイを3つ腹に入れ、熱い珈琲を飲む。まだ4時。もうひと仕事できる。

 もうひと仕事、その作業現場に向かう前、焚火を点検する。仕事の合間、何度かけっこう太い枝を追加した。今それもほぼ燃え尽きようとしている。小さな雨は降り続いている。しかし、およそ8時間燃え続けた焚火は、直下の地面のみならず直径1メートルくらいの範囲まで熱している。よって少々の雨は弾き飛ばす熱量なのだ。かくして3×8メートルほどがすっかりクリーンになった。顔に焚火の熱を感じながら、さてここには何の種をまこうかと考える。晩酌のつまみは何にしようかとも考える。1日が、焚火で始まり、焚火で終わる、そんな我が人生。シンプルといえばシンプルだ。変化に乏しいといえば、まさしくそうだ。世の中はサッカー熱で燃えている。僕の目の前の焚火よりはるか、燃え上がっている。僕もテレビ中継を見るよ、スポーツは好きだよ。けれど、どのチャンネルも、今日も、明日も、サッカーだらけというのは正直ちょっと鬱陶しい。人々の燃え方はすごい。あそこまで燃えることのできる人がうらやましい。だが、あれほどまでも気分を燃え上がらせると、大会が終了したら一気に虚脱感が募るのではないか。燃え尽き症候群になるのではないか・・・そんな心配は余計なものだろうか。僕の焚火は明日もまたやれる。しかし、ワールドカップで燃えた心を、すぐまた別なところで、新たな火を見つけ、再び燃やすというのは難しいようにも思うが、どうなんだろうか・・・。

 12月6日。起床時には止んでいたが、長い時間降り続いた雨量はかなりであった。朝いちばん、畑を巡回してそれがわかった。そして寒さ。昨日よりも寒い。午前9時、気温6度。梅とプラムの剪定をやる。ふだんは素手でハサミを持つが、冷え切った手は手袋をしないと痛みを伴う。その次はキウイの収穫。数にして概算300がまだ残っている。厳しい冷え込みが何日も連続すると品質が劣化するのだ。急ごう。

 キウイの次はサトイモ。これまた寒さに弱い。寒さが募ると子芋は親芋との連結部分から腐食が進む。対処法はふたつ。うんと高く土を盛って地温低下を防ぐか、すぐさま掘り上げて厚手の袋にいれて室内に保管するか。今日のところは袋2つ分を掘って倉庫に仕舞うことにした。親芋はすぐに別な場所に埋めてやる。夕暮れの冷え冷えとした空気が膝から腰にかけてじわじわと伝わってくるが、なあに、夜通し冷たい土の中で裸で眠るサトイモのことを考えたらどうということもない。

 12月7日。快晴の朝である。夜のテレビが日照時間8時間は10日ぶりのことですと伝えていた。僕はどんな天気でも朝のランニングはやるが、やはり降り注ぐ光の朝だとひときわ気合が乗る。

 畑仕事で行ったり来たりしていてカマキリに出会った。ブルーネットの上で、明るい光を背中に浴びてじっと・・・・心地よさそうにしている。それを見て情が湧いた。この時刻はいい。しかし陽が落ちて、気温がどんどん下がってきたらキツイぜ。明日の朝はまた霜が降りるというぜ。今夜はオレと一緒に寝よう・・・ブルーネットにしがみついているカマキリをちょっと強引に手の中に収めた。何もつかまるものがないのは寂しいだろうから、雑草の生えているポットを居間のテーブルに用意した。それから1時間後、荷造りしているところでもう1匹見つけた。よっし、おまえもだ。向かい合わせの位置で、しばし2匹は見つめあっていたが、そのうち互いに相手に向かってカマを差し出し、絡め合った。喧嘩か。喧嘩する元気があるのか・・・。一瞬そう思ったが喧嘩とは様子が違う。カマを絡めたまま見つめ合い、じっとしている。それで僕は考えた、想像した。2匹は会話しているんじゃないだろうか。寒くなったねえ、そうだねえ。今夜も寒い夜を過ごすことになるだろうと覚悟していたが、ここじゃ寒いだろうからと、ジイサンが家の中に連れて来てくれたんだ。ああ、そうか、オイラも同じだ。じゃあ、今夜はここで寄り添って眠ることにしようかねえ・・・。

 それから5時間。仕事を終えて部屋に戻るとカマキリたちの姿が見えない。どこ行った・・・あちこち探して見つけた場所は長椅子の下。思わず笑ったのは、ポットの上と全く同じポーズでいたこと。いったんバラバラに移動して、再び同じポーズをとったものか。それだと大相撲の水入りみたい。いったん離れた体勢を行司の指示で元のかたちに戻すみたいだが、カマキリにそんな器用なことが出来るだろうか・・・それとも、カマを絡み合わせたまま、いちっ、にっ、さん、うまく移動したのだろうか・・・。僕はそれを見てまたまた情を沸かせたのだった。この2匹は慈しみあっているんだ、きっと。余命わずかという運命を知ってか知らずか、今はただ、自分は独りじゃあない、友がいる・・・その喜びに2匹の心は包まれているのだ、きっとそうだ。

 そんなカマキリの慈しみ愛の姿が不意に、僕を、焚火へと連想させた。「焚火の火も独りでは生きられない、睦みあう相手を欲しがっている・・・」。まだ弱々しい炎しか上げていない薪は別な薪と接することで炎の勢いを増すのだ。火は、自分とは別の火を求めて「走る」のだ。そのことは焚火経験者ならすでに知っている。ゆえに、薪A、B、C、Dを井桁状に組み合わせてやるわけだが、相手を欲しがるからとて、無造作に接近させてはうまく燃え上がらない。ピタッとくっつきあうと、せっかく燃え上がろうとしている火の部分を押しつぶすことになる。接触部分には酸素が不足する。ゆえに、ペタッとくっつき合わせず、細い枝なら1センチ、中枝なら2センチ、太い枝なら5センチくらいの間隔をキープしてやる。それでもって、互いの熱が相手に伝わり、火は別の火を求めて走り、そろそろと炎の勢いを増してゆく。

 ああ、もしかしたらこれは、人間関係にも当てはまることかもしれないな・・・。人間も全くの孤独では生きられない。心を通い合わせ、たまには美味いものを一緒に口にする相手がいることで心が満ちる。されど、いつもベタッとくっつき合うのは好ましくない、それは焚火に使う薪と薪の関係と同じである。ほどよい間隔を保ちながら交流する。あまり遠く離れては相手から忘れられる可能性もある。ほどよい距離、相手の熱が伝わる位置をキープする。そして、燃え方が、もし自分の方が一段優っているならば火の勢いを相手にプレゼントしよう。逆ならば、相手から火の勢いを譲り受けよう。そして常に、互いのポジションは、大きくは離れずに、しかしベッタリ重なり合うということもなく、しかるべき時には、相手の心の炎に、静かに、遠くから、リスペクトを示す。火はもうひとつの火を求めて相手の方向に走る。近すぎてはいけない、遠すぎてもいけない・・・。焚火の炎は我らの人生にひとつの教示を与えてくれている。

 12月8日。今日も寒い。昨日に続き霜の降りた朝だ。僕にとってその朝の寒さを解消する方法はふたつ。焚火もしくはビニールハウス内での作業。光のないドンヨリとした朝は焚火がいい。日の出とともに光が降り注ぐ朝はビニールハウスでの仕事がいい。外は10度未満でもハウスの中は25度くらいだ。そのビニールハウスの中で、今日の僕は今日様のありがたさを体感する。しばらく前の読売新聞「編集手帳」が夏目漱石『坊ちゃん』での下宿のおかみさんの台詞を引いていた。それぢゃ今日様へ済むまいがなもし、あなた」。今日様(こんにちさま)とは太陽のこと。昔は誰もが耳にし、口にした言葉であるという。

 午前中はハウスのイチゴの草取りに励んだ。夏草が繁茂した。そのほとんどは今すでに枯れているが、根っこはしつこく残っている。手で引っ張っても抜けない。包丁を使う。イチゴを傷つけないように包丁を斜めに差し込み、うまい具合に切るのだ。イチゴ株の総数は300くらいか。長期戦である。その作業の途中で赤い実を3つ見つけた。初なりだ。たかが3つ、されど3つ。嬉しいものである。自然の営みに少し手を貸す。すると、野菜、果物、そしてチャボ。どれもこちらの努力にちゃんと応える。

 荷造りにかかる。初めての注文のお客さん。期待を裏切ってはいけない・・・大根、白菜、サトイモ、ユズ、チンゲンサイ、ピーマン、トマト、生姜、ミカン、キウイ、長ネギ、人参、ジャガイモ、カボチャ、卵。120サイズの箱にぎっしり詰め込む。最後に黒豆を少しばかり入れてあげることにしよう。大豆のほとんどは収穫を終えて倉庫に仕舞ったが、あと40株ばかり畑に残っている。その莢を取り、豆をはじき出す。人の声も車の音も聞こえない。今日は野鳥の鳴き声もしない。無音の世界で、ただひとつ、僕の耳に届くのは完全に乾燥が進んだ黒豆の莢がパチッパチッとはじける、その音だけだ。ついでに書くと、豆を取り出した後の大豆の莢は焚火の貴重な「起爆剤」になる。ちょっと勢いを失った焚火にカラカラに乾燥した莢を両手に一杯投げ込む。一気に火勢が強くなる。

快楽というよりも幸せ、幸福。もうちょっと期間が長いし、芯まで届くようなやつ。 佐々祐一

 一昨日の朝日新聞「折々のことば」から。鷲田清一氏はこう解説する。

稼ぎがいいから好き勝手ができて、食事も豪華。でもそこで得られるものって大したことないとつくづく思い、一家で鹿児島に移住した元外資系コンサルタント。漁師に転身し、持ち前の分析力を活かして新規のビジネスに挑戦する。

「快楽というよりも幸せ、幸福」、この表現に僕の心が動かされる。物価高、コロナ、上がらない給料。人々の暮らしを困らせるものは今いくつもあるが、総じて、現代社会で求められているのは「快楽」であるような気が、僕は前からしている。温水洗浄便座、シミ・シワ取りの化粧品、食器洗い機、布団乾燥機・・・苦役を捨てて利便と快楽に行きつく。スマホも、道具としての実用性を超えて、今や、ある種、快楽の道具になっているのではあるまいか。もちろん、わざわざ好んで苦役に手を染める必要はない。ただ、万事において快と楽に最上の価値を置くと、動物としての人間の、知覚、嗅覚、感性が鈍る。それが鈍りすぎると、動物として本来的に所有する観察力、判断力、集中力、さらには実行力、そういうものが見つけさせてくれていた、身辺にあるはずのネイチャーな「快楽」に出会うチャンスを失ったまま年齢を重ねる、そんな惧れがある。そうなったら、先に書いた、いざ大地震となっても何ら手の打てない脆い人間になるのではあるまいか・・・百姓の僕はそんな気もするのである。

 12月9日。午後から晴れてきたのだが、午前中は曇天。朝食後の畑はブルブルするほどの寒さであった。となれば、まずは焚火である。昨日は豆を取り出した大豆の莢が焚火の起爆剤になると書いたが、うちにはもうひとつそれに似たものがある。キクイモの茎だ。キクイモは食べてさほどうまいものではないが、一部ではその栄養成分が注目され、お茶に加工されて商品化されている。そのキクイモ、夏には茎が2メートルの長さにまで達する。直径は最も太いもので3センチ。そしてこの冬の時期には枯れ木となっている。特質は、茎の内部が空洞であること、柔らかな繊維質であること。それゆえ簡単に火が付く。仮に濡れていても新聞紙の火でもって容易に点火させることができる。手でバキバキと好みの寸法に折れる点でも便利。次の写真で僕が手にしているのがそれである。

 12月10日。朝は相変わらず寒いが、日中は光豊かで風もない。嬉しい。ずっと芳しくなかった太陽光発電がフルに稼働してくれている。嬉しい。そんな我が心の喜びを鉢植えの赤いバラが象徴してくれている。昨夜、いささか奇妙なドキュメンタリーをNHKの教育テレビで見た。主人公はたしか北欧ヘルシンキに暮らす23歳の青年。彼は、部屋に溢れるモノの多さに疑問を抱く。人間にとって最低限必要な物は何なのか、確かめてみようと思う。それで彼はレンタル倉庫を借りて冷蔵庫、ベッドなどひとつ残らずそこに移動する。番組の冒頭、珈琲カップひとつさえないがらんどうの部屋で、素っ裸で床に寝ている、ゴホゴホとせき込みながら。起きて歯を磨くのは歯ブラシではなく自分の指・・・。かような奇妙な行動を起こす動機は何だったのか。失恋だという。たくさんのモノを持って、自分は豊かであると表明することで心を満足させていた。それが・・・おそらく、豊かさを示す相手、すなわちガールフレンドが自分の前から消えてしまったことでの失意に始まり、やがて人生哲学へと彼の心情は変化したらしい。

 我が暮らしもその青年と同じく家の中はモノであふれている。占有率50%は太陽光発電がらみで、バッテリー、インバーターの他、それに繋ぐ電気製品が多数ある。これにパソコン2台、テレビ、ウナギやドジョウが暮らす水槽が3つ、囲炉裏が1つ。おまけに、昼間は庭に出し、暗くなったらしまい込む鉢植えの花が20余り。部屋の中で直進できるのはわずか3歩というていたらくだ。しかし、それでもって自分の暮らしは豊かだと世間や誰かに表明する気持ちはまるでない(そもそも豊かじゃないのだから)。部屋の半分を占める電気製品は、他に趣味らしきもののない自分の唯一の趣味である太陽光発電に発する。かつまた、太陽光発電は趣味であるとともに、いかに電気・ガスの代金を減らすかというシビアな家計の断片でもある。好きだからとはいえ、日曜も祭日もなく精を出す畑仕事。旅行せず、外食せず、ゴルフ、飲み会、競馬、パチンコとも無縁・・・そんな人生じゃあやっぱり味気ないぜ。ということで、部屋にはウナギやドジョウやメダカが暮らす水槽が3つ。鉢植えの花が20鉢。ということで、僕は日々、狭い部屋の中、あれやこれやに足を引っかけ、電気コードに絡みつかれ、でも不思議と穏やかに、オスロだったかヘルシンキだったかのあの青年みたいに人生に疑問を抱くことなく生きているわけだ。

 今日は午前中、果樹の剪定に専念した。梅、プラム、プルーン、梨・・・。花芽の位置を確かめながら、ひたすら枝を切り落とす。百姓になって、雑念が消え、胸の内の静けさにふと気づく、そういった事柄はいくつかあるのだが、この剪定作業もそのひとつだ。目はじっと花芽を追う。目の指示に従い、ハサミを持つ手がリズミカルに動いてゆく。他は何もない。心が沈み込む。この場合の沈み込むはもちろんネガティブな意味ではない。単調だが豊か・・・剪定作業はそんな時間の中に漂わせてくれるのだ。折しも僕は『オーガニック植木屋の剪定術』(築地書館)という本を読んでいる。果樹の剪定はこれまで30年やってきた。ずいぶん長いが、すべては自己流、カンだけでやってきた。ここらできちんと学習してみようかという気になったのだ。動植物や食関係の本を主軸とする築地書館の出版物は最近だけでも何冊か読んだ。新聞広告を見て、この出版社の本なら信頼できる、きっと読むに値する、そんなカンが働いたのである。果樹剪定の後はタアサイの移植に励んだ。ビニールハウスに種をまいて3週間。サイズは3センチほど。それを別に用意したビニールトンネルに10センチ間隔で植える。相手が小さいだけに指先だけが頼りの作業は辛抱がいる。やや日照時間が短い場所なので、タアサイは寒さに強い野菜だが、ガッチリと密封してやった。

 12月11日。起床時、そこそこ晴れてはいたのだが、急に冷たい北風が強く吹くという、やや不安定な空模様の1日だった。タマネギのケアに多くの時間を費やした。3か所に分散して、総数は800本くらい。この半月くらいで何度も激しい雨が降った。うちの畑は南斜面という事情もあるが、激しい雨で流された土が小さなタマネギ苗に覆いかぶさるのだ。それを、指2本、右手の親指と中指でほどよく直立させてやる。苗と苗の間隔は4センチほど。小さいながらもすでに地中に根を張っている。その根を傷つけぬよう、かつ、かぶさっている土をほどよくわきにどけてやれるようにするには、2本指での作業がいちばん効率的なのだ。

 今日は荷物の発送がない。少しばかり大掛かりな仕事が出来るな。道路沿いにあるビニールハウスの拡張にとりかかろう。このハウスの半分には応接用のテーブルと椅子がある。残り半分にはトマトとパプリカが作ってあった。それが一昨日に収穫終了となった。すぐさまその跡地にイチゴ苗を植えることにした。もうほとんどのイチゴはハウス内に収まってぬくぬくしている。しかし1か所だけ、寒気の中に150株ほど残っている。昨日ふと見ると、その中に花を咲かせたものが何株かあるではないか。こういう場面に出会うと僕はじつに涙もろい男になるのだ。考えてみて。すでに夜明けの最低気温は4度である。そんな寒さの中で花を咲かせるのだ。植物の生きる本能とはすごい。ということで、移植にとりかかったのだ。

 既存のビニールハウスは15メートル。そこにパイプ8本を追加して2メートルほど拡張する。拡張部分に応接用のテーブルと椅子を移動したらイチゴ苗が50くらいは植えられる。この場所は元は竹林。すでに枯れてはいても直径20センチもの太い根は手ごわい。追加する8本のパイプはその根に阻まれてうまく地中に埋まってくれない。スコップと重い鉄斧で叩く、削る。午後6時。夕闇迫るころ、どうにか完成した。ふふっ、これぞ、ちょっと大げさではあるが、我が人生の「快楽」の瞬間である。

衰えを傍らに、一歩一歩大地を踏みしめながら、
進みはじめた時こそが、真の人生の収穫期となる。
本書は、そこに宿る輝きのありかを指し示してくれる。

 数日前に五木寛之著『林住期』を読み終えた。上の言葉は推薦の辞として作家・小川洋子氏が寄せたものである。古代インドでは人生を四つの時期に分けて考えたという。学びの時である「学生期」、暮らしを保つために働く時である「家住期」。そして、社会人としての務めを終えたあとの「林住期」。五木氏は、すべての人が迎えるもっとも輝かしい「第三の人生」、それが林住期であると言う。さらに、自分が本当にやりたいと思うのは何か、以前からやりたいと思っていたのは何か。生活に追われて走り続けている日常ではそれに気づかない。林住期に差しかかった人間こそがそれ(生活の足しにもならないような、でも大切なこと)に気づき、本来の自分を見つめることができる、五木氏はそうも述べている。林住期をむなしく終えた人は、むなしい死が待ちかまえているだけ。第三の人生をジャンプした者だけが、死を穏やかに迎え入れることができる・・・。ちょっと怖い表現だが、たしかに僕もそんな気がする。たかだか50か100のイチゴ苗を植えたからとてカネが儲かるはずもない。生活の足しになるわけでもない。そうじゃないのに、寒さに震えているイチゴを見かね、僕はありったけの力を込めてビニールハウスの拡張工事に挑む。五木氏は「人生をジャンプした者」との言葉を使っておられるが、じつは、ついさっきまで僕も何度かジャンプした。追加したパイプはただ土に埋めるだけでは弱い。強度を高めるためにはパイプ同士を縛ってやる必要がある。パイプのてっぺんは我が身長よりも30センチ上。紐を手に幾度も僕はジャンプしたのだ。これをもって、わたくしも人生をジャンプいたしました・・・そう言ったら五木氏には笑われるだろう。でも、百姓の僕には間違いなく「快楽」であり、充実であり、大ジャンプであるのだ。あと30分もすれば、安物ワインが、でもすこぶる心地よい酔いをもたらしてくれる時が待っている。全ての作業を終えた僕は、意気揚々、「大地を一歩一歩」踏みしめて、熱い風呂に向かって歩くのである。

 12月13日。しびれる寒さ。冷たい雨の朝である。しかし覚悟していたほどの降りではない。今朝はランニングでなく自転車だったが、走りには支障のない雨だった。朝食を終え、畑に向かい、まずは焚火である。今日の雨を想定し、昨日の焚火にはトタン板を3枚掛けておいた。地熱が下がらないよう、大きく広がった灰を円形状にまとめておいた。そこに、今朝は、すぐ燃えるようにと雨に当たらない場所に保管しておいた細い枯れ木をまず投げ込む。熱い灰からそれに火がつく。昨日から燃え残っていた太い木にもじき火が回る。雨の日の焚火。晴天の日とは違う手間を要するが、雨ゆえの味わいがあり、氷雨で硬直しかかっている体をほぐしてくれる効用がある。昨夜はふだんより遅く零時すぎに寝床に入った。すぐには眠れなさそうで、ラジオをつけた。ラジオ深夜便は電話インタビューで、頭の部分を聴きもらしたのでお名前はわからないが、鎌倉在住の男性が焚火のことを語っていた。焚火に関する著書もあるという。その方が、キャンプをし、焚火をし、炊事をすると、いざ大災害となった場合、その経験が必ず役立ちます、そう言っていた。たしかにそうだ。大きな地震が発生した時、それが真冬なら、ましてや冷たい雨の夜ならば、真っ先に必要となるのは燃える火である。体を暖めてくれる火があって、凍える寒さを耐え、朝を迎えることが出来れば生存の可能性は高まる。生死の境にあって、最後に助けてくれるのは、スマホでもクレジットカードでもなく、いかにして暖かい火を確保するか、その技量である。

 ランチ前、軽トラに自転車を積んでガソリンスタンドに向かった。車検なのである。帰りは自転車を走らせる。代車という方法もあるが経費削減なのだ。雨は上がっているが、路面は濡れている。田舎道にはちゃんとした歩道がない。背後から迫るしゅうしゅうというタイヤ音に緊張しながらペダルを漕ぐ。昔はこんな緊張感はなかった。年老いたと自覚する場面は畑仕事でも高い木に登る時でもなく、唯一、車の多い道を自転車で走る時だけ、ああオレもトシ取ったなあとチョッピリ無念に思う。若い時代、国道1号線、2号線、あるいは6号線をすっとばした。大型ダンプと並走してもどうということもなかった。小田原から箱根の山を越えて三島に下って行く時でさえ、あの急坂を僕はむしろ楽しんでいたと思う。箱根を下って、その夜は三島大社の床下に寝袋で寝たのだが、夜間巡回に来た警官に不審者と思われたらしく尋問を受けたりしたが、全ては若さのエネルギーがドンと引き受けてくれていた。そして今、年明けてすぐ76歳となる僕は自転車を走らせる時だけ自分の年齢を意識する。

 五木寛之氏は『林住期』の中で、「燃えながら枯れるエネルギー」という言葉を使っている。昨日の僕は、ビニールハウス拡張のためまさに燃えた。一方では、背後に迫るトラックのタイヤ音と風圧にすくむ。オレもやはり枯れかけているなあと思う。焚火の炎は燃え上がり、その炎の前で我が心も大いに燃え上がるのではあるが・・・燃えながら枯れるエネルギー・・・ああ、ピッタリの言葉だな、今の自分に。

 12月14日。明るい朝である。ただし、北東からの風が冷たく強く吹く。今日は荷造り後に自転車を走らせ、車検が終了した軽トラを引き取りに行かねばならない。だから仕事を手際よく進めよう。まずは朝食だ。昨日、二度目のイチジクのジャム作りをした。そのジャムを朝食のパンに添える。強い北東の風はトンネルやハウスのビニールをはげしくゆすって仕事を増やしてくれるが、昨日とは一変、太陽がいっぱいなので嬉しい、心置きなく電気を使えるぞ。さあ全員集合だ。6つのインバーターをONにし、井戸ポンプを動かす。電子レンジ、トースター、珈琲ポットを稼働させる。パソコンも、尻に敷く電気座布団もONにする。思えば、はるかなる太陽も熱く燃えている。そこからの光が野菜や果物を育て、我が電気器具を動かすエネルギーとなる。日々畑でやる焚火。はるか遠くで燃えて光り、その熱を届けてくれる太陽。このふたつの炎と熱。わが百姓暮らしはどうやらそれで成り立っている。

 荷造りを終え、黒大豆の収穫をし、そろそろ4時だ。出かけよう。冷たい水でとりあえず手を洗う。1時間ほどやった黒大豆の作業で手荒れがさらにひどくなったなあ。毎年、カラッ風が吹く季節には皮脂が土に吸い取られてガサガサになる。この手荒れが、ガリガリに乾燥した豆の莢取りでダメ押しされる。あっ、それでいま思い出す。昼間の荷造り作業中に「50代女性、老いが怖い」という人生相談を読んだ。彼女は言う。富裕層の多い住宅地に住んでいて、ママ友はお洒落で綺麗な人が多いです。私も美容や運動、ファッションに気を使い、10歳は若く見られます。でも、今後老いていくのが怖いです。今は暇があれば鏡を見て顔をチェックし、レーザーなどでこまめにシミ・シワ対策をしています。でもいずれは追いつかなくなるでしょう。若い子の張りのある肌を羨ましく思います・・・。回答者は増田明美さんで、彼女は顔のシワを隠そうとはしなかった駐日大使キャロライン・ケネディさん、「どのシワも私が手に入れたものだから」と言ったというオードリー・ヘプバーンを例に取り、「若さばかりを評価する日本の社会はまだ成熟していない気がします」、そう答えていた。

 わりあい最近「ルッキズム」という言葉を僕は初めて知った。若い子だけかと思ったが、50代になっても若く美しくありたいという執念みたいなものにここで驚く。人は見かけなんかどうでもいい。そう言ったら言い過ぎになろう。しかし、老いてから役立つのは、シミやシワのない顔ではなく、自分の意思通りに動いてくれる手足である。僕がもし人生相談の回答者ならばこう言う。よく動いて、汗をかいて、冷たい水で手と顔を洗ったら、まあ、ここにしばらく腰を下ろしてみませんか。ほら、もっと焚火のそばに寄って・・・暖かいでしょ。ふんわりしてくるでしょ、気持ちが。そのふんわりが、もしかしたら、レーザーなんか使わなくともシミ・シワを目立たなくしてくれますよ。求めすぎる心はかえって肌荒れを誘います。無欲・・・というのは人間なかなか難しいことですが、ほら、この焚火の炎みたいにゆったりと空に立ち昇る・・・そんな心持になれたら便通だって正しく訪れる。腸の働きも快腸になる。気づいたら肌には張りが、お顔には艶が・・・あっ、そこの薪を3本取ってくれますか。もう少し火の勢いを強くしましょう。

 期せずして、老いと関わる話を今日の朝日新聞で読んだ。ラブホテルを舞台とした小説『ホテルローヤル』で有名な桜木紫乃さんのエッセーが1カ月ごとくらいに掲載される。今回は地元テレビ局から「老後の暮らし方」をテーマとした番組への依頼を受けて動揺したというエピソードから始まる。桜木さんはじき58歳になるらしい。身辺に「永いお別れ」をいくつか抱えているという。達観を手に入れた瞳のつよさや、ひとの弱さや、命のはかなさ。1日のありがたさをかみしめているところだ・・・そう書く。そんな桜木さんは、大切な先輩からいただいた大好きな言葉というのを記す。それに続けてご自分の心境を綴る。

人間明日なにがあるかわからないんだから、美味しいものを食べて楽しんで暮らすのよ。

美味しいものを食べて、旨い酒を飲み、今日も明日も働ける体を持つことが、人生最高の贅沢だったなんて。

 日本海側は強風と降雪に見舞われている。こちらも明朝は零下まで冷え込むとテレビが言っている。おそらく明日の野菜洗いは貯水タンクの氷を叩き割ってからということになろうか。いよいよ本格的な冬の到来である。でも僕はいつも通りに働く。幸い体はいつも通りに動く。寒さにも強いし。そして希望を抱くのだ。世間はクリスマスを待ち望んでいるが、我が心は「冬至」の2文字に向かう。この日から太陽は少しずつ復活する。百姓にとっては希望を抱く明るい未来がもうすぐなのである。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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