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田舎暮らしの本 11月号

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田舎暮らしの本 11月号

10月3日(木)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

冬の愉しみ/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(32)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回のテーマは冬の愉しみである。こう書いてすぐ僕の頭に浮かんでくるのは、「炬燵でミカン」、その風景だ。現在でも「炬燵でミカン」という言葉は生きているのだろうか。これを読んでくれているアナタの場合はどうですか? 僕がここで思い出すのは60年以上前の風景。であるから、ミカンが載った炬燵は電気じゃない。炭火である。炬燵の頭上には、淡い暖色、20ワットの電球がぶら下がっている様子を想像されたい。そこからちょっと目を移す。真空管式のラジオがある。大晦日にはそのラジオから紅白歌合戦のにぎやかさ、華やかさがオンリーサウンド、音だけで伝わってきた。テレビはまだ一般家庭にはなかった。唯一、ふるさと祝島にあったテレビは青年団のもの。青年団はテレビを村の公民館の二階に設置。有料だった。大人は10円、子供は5円。大人は主に大相撲を見るため、子供は怪傑ハリマオなんかを見るために集まった。日々の小遣い5円。それでお菓子を買うか、テレビを見に行くか・・・僕は悩んでいたなあ。ついでに言うと、そのころは「銭」という単位がまだ生きていた。飴玉1個が1円50銭という具合に。面白いのは、アメリカの株や為替の相場ニュースを聞いていて、セントと銭が僕の頭の中でひとつに重なることである。

 毎年この時期になると、イルミネーション輝く東京の夜景がテレビに映し出される。また今夜テレビで見たのは、国営昭和記念公園(僕はそこで昔20キロレースを走ったことがある)の色づいたイチョウ、それをライトアップした風景だった。昔も今も、そういった現場に足を向けたことのない僕でさえも、テレビで見ていて、ああ、美しいなと思う。ましてやその現場に暮らす都会の人たちは魅惑に満たされ、クリスマスから正月に向けた冬の季節・・・光熱費や食費の高騰に惑うこともあるだろうが、ボーナスも出たことだし、・・・否応なく、輝くイルミネーションによって、大いなる気持ちの高ぶりを感じるのではあるまいか。

 田舎暮らしをしていると人工の美というものに出合うことはほぼ皆無。4時を過ぎるともう日没という雰囲気に包まれる今だから、6時少し前に畑から戻って、部屋の窓の向こうには人の声も車の音も全くない、明かりもない。だから、テレビが映し出して見せるきらびやかなイルミネーションが僕には異国の雰囲気、夢のような世界なのだ・・・。ミカンに話を戻す。かつて、長距離列車内では冷凍ミカンが売られていた。東京を出発し、山陽本線の糸崎より先はまだ蒸気機関車という時代のこと。駅のホームでも車内販売でも冷凍ミカンはポピュラーだった。たぶん、先頭機関車からの蒸気が客車内に送り込まれていたのだと思うが、座席のいちばん内側に座って足を乗せると四角く黒い煙突状のそれは熱いくらいだった。もしかしたら、その熱に満ちた客車内は現在の家庭のエアコンよりも暑かったのでないか。それゆえに、手にして、しばらくして、ほどよく溶けてきた冷凍ミカンはすこぶる美味と感じられた。あの頃、デコポンもグレープフルーツもネーブルもなく、ミカンといえばほとんどが温州ミカンだった。静岡から九州まで、現在の何倍、ひょっとしたら何十倍もの生産量だったのではあるまいか。もって、「炬燵でミカン」は今よりもはるかに冬の風景として全国に定着していたはずだ。で、これは僕の想像でしかないのだが、ミカンは収穫から1カ月以上すると、しなびてしまう、年を越したら傷みはじめる。そこで知恵ある人が、生産過剰となったミカンをなんとか商品にしたい・・・そうだ、冷凍し、暖房の効いた列車内で販売すれば売れるかも、そうひらめいた結果であったかもしれない。

 

 11月17日。6時40分起床。この秋いちばんに冷え込んだ朝である。その冷え込みと関係あるのか。井戸ポンプが動かなくなった。朝食の珈琲は魔法瓶の残り湯でなんとかなったが、洗濯機は途中で断水。やれやれ。スパナ、ドライバー、ペンチを手に、あれこれ奮闘すること30分余り。どうにかポンプは動き始めた。その作業をしながら、ちょっと頭に浮かんだのは、もしポンプが修理不能だったらどうしよう・・・雨水をためているタンクからバケツで運べば風呂には入れるな、煮物やお茶だって、沸騰させるんだから雨水でも腹をこわすことはあるまいな・・・。さらにもうひとつ頭に浮かんだ。ウクライナのこと。ロシアは生活インフラを集中的に攻撃している。ウクライナの人々は停電と断水に見舞われている。自治体から家庭に向けて薪が配布されたところもあるとは聞くが、日本の旭川や富良野よりも寒い地域だ。それで冬を越す辛さは想像を絶する。かつてロシアを頻繁に旅行し、ある意味、ロシア贔屓の僕ではあるが、それはあくまで文学的な接点でのこと。ブーティン(原音で発音するとチンではなくティン)のやっていることは全くの愚行である。モスクワの一般家庭における暖房は日本のエアコンよりも優る。外から各戸に引き込まれたガスのヒーターやその配管に洗濯物を掛けておくとすぐ乾く。連日曇りか雪の日々。零下20度も珍しくはない。そんな、外干しのできない冬のモスクワではとても便利で重宝だ。そうした一般家庭よりもはるかに暖房施設の整ったクレムリンに暮らすブーティン。彼にはウクライナ国民の悲惨さはわかるまい。

 陽が高くなって、朝の寒さは忘れてしまうような明るく穏やかな晴天となった。洗濯物をズラッと並べる。毛布6枚を干す。そこで、前から好きな歌人、河野裕子さんの一首が思い出される。

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

 うん、たしかに、人間の幸せとはこれだな。高い空を見上げながら僕は思う。ふんわりと温かく、太陽の匂いさえしてきそうな布団。それに寒い夜、体をもぐり込ませた瞬間、大げさだが、これでいいのだ人生は、丸ごと我が暮らしを肯定する。そして、悪い意味ではなく、うんと良い意味でもって、世間に生じているあれこれは、自分にはどうでもよいことだとも思う。サラリーマンをやめて百姓になって、生活における変化はいろいろあった。なかで特筆すべきは朝のこの布団干しであろう。サラリーマン時代なら地下鉄の車内にいた。そんな時刻、今の僕は布団を干している。

 部屋の掃除は来客がある時のみ。ゴミ屋敷一歩手前の暮らし。そんな僕だが、布団や毛布を干すことは、雨の日以外、絶対に欠かさない。晩秋から冬にかけて、午後2時には光がピークとなる。畑仕事に励みながらも干した布団と毛布のことが意識にある。やがて、光と陰がもたらす周囲の景色の変化から、時計は見ずとも2時になったことを僕は知る。畑仕事を休止し、泥の着いた手を洗い、取り込む。敷き毛布が2枚、掛け毛布が3枚、その一番上に布団が1枚。ええっ、そんなに・・・ビックリする人もいるだろうが、スキ間だらけの我が家では必要な枚数なのだ。竿から引っ張り降ろした毛布にはぬくもりがある。ベッドメーキングを素早くやって、そのぬくもりを閉じ込める。嬉しい。この嬉しさは夏にはない。冬だからこその喜びだ。そして僕は再び畑に戻って行く。ああシアワセだ。ひとつオマケ。ベッドメーキングしたばかりの部屋に、そろそろ寝る支度だという顔のチャボがいる。あっ、わたしの寝床よりもこっちの方が気持ちよさそうだわ、ふかふかだし、あったかそうだし、今夜はここにしようかしら・・・ダメだよ。

 畑に戻り、河野裕子さんの歌の味をもう一度かみしめる。女性が子を産む。まだ十分に言葉を発しない幼子にスプーンで口まで運んでやる食べ物が、ときどきカーペットにこぼれ落ちる。育児にはさまざまな苦労が伴うだろうが、でも、自分の手で新たな命を育む、おむつを取り替える、ごはんを食べさせる、その日常の作業は生物としての人間に必要なものであり、我が子の成長とともに、母自身をも成長させるのではないか・・・僕はそう考える。しっかりと飯を食わせ、よく陽に当てた布団に我が子をくるむ。河野裕子さんの歌、それと僕との違い・・・それは、しっかりとメシを食わせるのは自分自身だ、よく陽に当てた布団にくるんで寝かしつけるのも自分自身だ・・・。でもちょっと待って。僕にも我が子もどきがいたな。ヒヨコだ。まだ自分では器の牛乳が飲めないからつかまえて飲ませてやる。野良猫に持っていかれないよう見張り番をし、日が暮れる頃には、ちゃんと母鳥のおなかにもぐりこんで眠ったかどうかを確かめる。

 11月19日。やはり寒い朝だが、風もないし、陽が高くなると心地よい天気になった。朝一番、今日の作業手順を確認するためいつも畑を一巡する。一巡しながら、落ちている枯れ枝を拾う。持ちきれないくらいまとまった量になったところで焚火の予定地に行って火をつける。最初に燃やすのは、数さえあるならば細い枝のほうが良い。一気に燃え上がり、素早く体を温めてくれるから。今日の主な仕事のひとつはトンネルを1本仕立て、チンゲンサイをまくこと。その予定地は最悪だ。腐食した金属、割れた食器類、ビニールなどさまざま。長年にわたりゴミ捨て場のようになっていた。急に思い立ったのだ。このままじゃいかん。トンネル設置と清掃作業も兼ねようというわけだ。分別用としてゴミ袋を3つ用意。きっちりゴミを拾い出す。そこでふと、近くにある焚火に目をやる。火の勢いがあるうちに太いやつを運んで燃やしておこう。ノコギリを手にして林に入る。強風で折れて落下した椎の木の枝。枝とはいえ直径30センチ、長さは4メートル。それを3等分して担ぐ。

 ランチをはさみ、チンゲンサイの種まき作業を継続。ゴミはほぼ拾い出した。次は40センチの深さまで鍬とスコップを入れてヤブカラシなどの根っ子を退治する。ゴミ捨て場同然で、これまで鍬で耕すこともなかった場所だから、草の根は我が物顔で繁茂している。鍬を入れ、手でさらって草を見つけ出す、その作業を5回反復。ようやくチンゲンサイの種を落とすところまでいったのは午後4時だった。そこで僕は浴室に向かう。古いビニールを洗濯しておいた。泥の汚れは、庭のタンクの冷たい水でよりも風呂の残り湯でゴシゴシやる方がよく落ちるのだ。その洗濯したビニールを二枚重ねでかぶせる。木枯しに吹き飛ばされては努力が水の泡になる。パッカーで留め、さらにはパイプで押さえつける。完璧だ。

 冬の愉しみ・・・それは数々あるが、こうした種まきもそのひとつ。師走から2月まで、ほぼ連日、霜が降りる、氷が張る。チャボたちの給水器もガチガチに凍って困った顔をしている。冬の朝はまずそいつをガツンと割ってやることから始まるのであるが、そんな寒さの中で、チンゲンサイ、ホウレンソウ、小松菜、タアサイ、春菊、カブなどの種をまき、どううまく育てるか。大いに苦心もするが、まさしくこれは冬の愉しみなのである。「冬至冬なか冬はじめ」という言葉がある。本格的な寒さは冬至以後という意味だが、僕はポジティブに、太陽の復活のほうに意識を向ける。冬至を境に、昔の人は畳の目ひとつぶん日足が延びると言った。僕の意識はそれ。冬至を境に深まる寒さより、復活する光の方にアクセントを置いて仕事に励むのだ。太陽光発電を始める前から、僕は光に対してすごく敏感な男だった。百姓暮らしにおいて、日常の意識をコントロールするのはすべて光だと言っても過言ではない。こうした太陽光への強い意識はもしかしたら都会生活にはない、百姓生活ならではのものかもしれない。

 やりたかったことをすべてやり終えた。燃え上がる炎を見つめながらいっときの静寂を僕は楽しむ。焚火の中には2時間ほど前、サツマイモ4個をもぐり込ませておいた。今夜たぶん9時頃になるか、小腹の空いてきた時刻、カフェオレをいれて焼き芋をほおばろう。これまた冬の夜の愉しみである。

 11月20日。曇天の朝。さほど寒くはない。今日は洗濯物も毛布も干せないな。朝食をすませ、昨日の焚火の現場に向かう。灰にもぐり込ませておいたサツマイモは2個が焦げすぎて失敗だった。昨日の大木はまだ熱い灰のままだ。今日も焼き芋を作ることとしよう。そして仕事に専念。春に取り残したジャガイモが勢いよく育っている。8月に植えて今収穫している秋ジャガよりも葉の広がり方はずっと旺盛だ。ただし、葉からの目算でイモが出来るまでにはあと1カ月はかかろう。しかし1カ月の間に気温はどんどん下がり、温度は足りなくなる。よっし、応急処置でビニールを掛けてやろう。トンネルパイプを20本調達。ビニールは特大のものを見つけたが、とても浴槽に持ち込んで洗えるサイズじゃない。光は不足するが、やらないよりはマシだろう。泥だらけのまま掛けてやった。続いてレタス、キャベツ、イチゴのケア。午前はこれでつぶれた。

 ランチタイムで部屋に戻って、ふと思いつく。屋上庭園でランチとしようかと。囲炉裏に細い薪をくべ、薬缶を置いてお茶用の湯を沸かす。囲炉裏はふたつある。いずれも炭火使用を前提としたものだが、炭火では沸くのに時間がかかる。それで薪。ただし、薪の火は囲炉裏の木の部分に燃え移る恐れがあるので目は離せない。この囲炉裏、高知県の山奥で暮らす老人の手製の品を買ったものだ。けっこう高かったが、ガッチリとした作りで、洒落た雰囲気に仕上がっており、僕は気に入っている。

 ランチをすませたら畑に戻るつもりでいたが、しばし、囲炉裏のそばでくつろぎたい感じ、本でも読みたい感じ。だけど、曇っているとはいえ、まだ日の高い時刻だ。読書だけでは心が痛む(百姓のココロ)。イチジクを20個ばかり収穫してくる。イチジクが生食できたのは10月初めまで。以後、実はなり続けてきたが、もはや温度不足で熟さない。これだけの数、もったいないなあ・・・そこでジャムにすることを思いついたのだ。小さく刻み、ハチミツを入れてじっくりと煮込む。コトコトという煮え立つ音を耳の端で聞きながら、本を開く。ヘンリー・ジー著『超圧縮 地球生物全史』(ダイヤモンド社)。太陽系の成り立ちから、生命の誕生、そして進化の歴史。竹内薫氏の訳文も滑らかで、面白い、読みごたえがある。

 ときどき本から目を離し、鍋の中のイチジクをかきまぜる。途中、何本も薪を入れ足し、1時間半ほどでジャムが仕上がった。ひとくち試食。予想をはるかに超える出来具合だ。明朝、クリームチーズと合わせ、トーストにのせて食べることにしよう。

 火は人の心を癒す。雑念を捨てさせる、時に勇気づけてくれたりもする。だから・・・僕の農法には焚火で出来た灰が必要なのだが、そのためだけでなく、自分の心身への栄養成分補充、そんな気持ちから僕は頻繁に焚火をする。その焚火と囲炉裏の火は、同じ火なのだが、違いがある。屋外か、部屋の中かという違い。部屋の中での火には、失火せぬようにとの気遣いが欠かせないが、畑と違い、天井があり、ガラス戸があり、火の周囲にあれこれの生活道具があって、もって火と一体化したという気持ちを募らせる。畑での焚火は最も大きい場合には3メートルの高さにまで炎が立ち上る。だから火と自分との間にはかなりの距離が必要だ。それでもしばしばアクシデントが生じる。舞い上がった火の粉が頭髪や首筋に落ちて来て熱い思いをする。火のそばにもっと寄ろうとして膝をついたら炭火の上だった、燃え落ちた枝を焚火の中心に投げ込もうとしたら掴んだ場所がまだ燃えていた、なんてこともある。意外なアクシデントは生木を燃やす場合だ。よく枯れた木で勢いをつけておけば昨日切ったばかりという生でもやがて燃えてくる。ただし、内部の水分が熱湯となって手前に吹き出している。長い経験でそうなることは十分に知っているが、ついつい、他の仕事との兼ね合いで意識が分離している時、うっかり吹き出している熱湯部分を握ってヤケドする。燃えている枝を握るミスの場合にもそうするのだが、ヤケドしたらすぐさまそばの土を掘る。指をもぐり込ませる。晴れていても土の下には水分があり、冷たくもある。この処置でもって指先のヤケドはたいてい治る。そんな畑での焚火と違い、囲炉裏の炎はせいぜい30センチだ。自分の手の中に納まってしまうくらいで、畑での焚火に比べるとかわいくて、愛らしいのだ。囲炉裏の火は、良い意味で「飼いならす」ことが可能な火。だから、ゆるやかに、穏やかに、自分の気持ちがピタッと炎に重なり合う。

 ふるさと祝島の、今はもうない僕が生まれた家の囲炉裏は60×60センチという超ミニサイズだった。冬、登校前、炭火の入ったその囲炉裏に、ぺたっとくっつくようにして股を広げ、下半身を温めてから学校に向かったものだ。農家でも、漁師の家でも、そんな小さな囲炉裏というところはなかった。思い出すのは、すぐ隣、同級生のS君宅の特大囲炉裏だ。S君宅は半農半漁。三世代同居で、S君の叔父にあたる人も暮らしていたから大家族、たぶん13人くらいいたのではないか。すぐ隣ということでよく遊びに行った。我が家と違うのは、中庭と呼んでいいのかどうかわからないが、牛小屋に続く庭が雨の降り込まない屋根付きだったこと。そこで僕はS君、その兄弟らとメンコをして遊んだ。メンコは普通、外でやる。雨の日にはできない。でもS君の家だと雨音を聴きながらやれる。ついでに言うと、ふるさと祝島ではメンコのことを「ぶっつけ」という。勢いよくぶつけるからだろう。

 そして、メンコとともに今も忘れられないのが特大の囲炉裏。畳1枚くらいのサイズで、ぐるっと10人ほどが取り囲んで暖まることが出来た。囲炉裏が大きいから、燃やすものも特大。僕が今畑で燃やしている切り株みたいなやつが大きくくすぶっていた。天井は高かった。天井も土壁も煤で真っ黒くなっており、外の光を入れる明り取りとの対照が強く印象に残っている。部屋の中で燃える火・・・今なら室内に薪ストーブを設置している人もいるだろうが、囲炉裏には薪ストーブとは違う素朴さ、田舎っぽさみたいなものがある。電気ストーブではない、エアコンでもない。うっかり触ればヤケドする、そんな生の火が日常の生活空間にあるというのはこの時代、ちょっとした贅沢かもしれない。煮炊きができる、そばで本を読む、心が安らぐ・・・のだから。アナタもマンションの居間に囲炉裏を置いてみてはいかがだろうか。

 11月21日。昨夜からの雨は起床時にもまだ降り続いていた。ランニングと朝食をすませ、雨ゆえ、しばし部屋の片づけに専念する。片付けというより、正確には模様替えか。僕のふだんの生活空間は12畳だが、そこにパソコンデスク、太陽光発電のバッテリーや蓄電器が乗った机が2つ、その周囲に電子レンジ、トースター、珈琲メーカー、湯沸かしポット、圧力鍋。それに加えて、ウナギ、金魚、ドジョウ、メダカの水槽が3つ。床には、昨日の写真の囲炉裏とは別な囲炉裏が置いてあって・・・まあ、どうにも息苦しい。ふだんテレビCMを見る。宣伝される商品はさまさまだが、そのいずれもが粋で洒落た、たたずまい。百姓の僕にはグッとくる。家そのものはボロでいいのだ。ただ、日常の生活空間はもうチョット洗練されたものにはならないか・・・。先だって来訪した研修生が、また来月にはおじゃましたいですと言ってきている。模様替えという気になったのはそれも関係している。今12畳の部屋で使っているデスクや物置台はすべて手製だが、いっちょ奮発して食卓テーブルを買うことにした。面白いエピソードがある。コメリの通販サイトで気を引かれるテーブルを見た。カネが入ればすぐ使いたくなるこの百姓。(へへっ、来月は単発の原稿料が入るからそれを充てて買おう)・・・ところが一昨日サイトを見ると前より1万円上がって39800円だと。僕はなじみの店長に直談判した。ついこの前まで29800円だったじゃないか、その値段にしてくれ、そしたら買うよ・・・しばし呻吟していた店長だが、いいでしょう、ごひいき筋の中村さんだから、特別に・・・。おお、ありがとう、やったぜ。ということで商談が成立したのだった。

 今日はビニールハウス内での仕事に励む。この上の写真は5日前に苗を移植したイチゴ。イチゴのハウスはこれを含めて5つある。僕にとっての冬の愉しみ。そのひとつがイチゴである。光は戻ってもまだ霜と氷におおわれる2月。そこで赤いイチゴが食べられる。この喜びが僕を真冬のイチゴ栽培に向かわせるわけだが、理由はそれだけじゃない。チャレンジングなのだ。摘み取りイチゴ園に行った方はご存じだろう。高い天井、ガラス張りの明るいハウス。暖房の効いたそのハウス内では赤く真っ赤なイチゴが心地よさそう。これと対照的なのが我がビニールハウス。暖房はない。ビニールも経費節減で古いものを洗濯して使う。地面が凍る時になったら毎夕、ビニールの上から特大サイズ、厚手のシートを掛けてやる・・・。そんな苦労をしながら、真冬のイチゴ栽培を20年以上も続けてきた。まさにチャレンジング。喜びが大きいからである。

 チャレンジングと言えば、もうひとつ、トマトとピーマンがある。この両者、露地で収穫できるのはせいぜい10月半ばまで。それを引き延ばす。少なくとも師走の半ばまで。あわよくばクリスマスの頃まで。それで、10月半ばになったらビニールで覆う。新品のビニールならば文句なしだが、これまた経費節減のために古いものを使う。洗濯するヒマがない場合には次の写真のごとく汚れたままで使う。それでも、晴天の日にはビニール内の温度はかなり上がるから、色づくまでに時間はかかるけれど、ちゃんと赤いトマトが収穫できる。次の写真のハウス内には今日現在、目算で50個くらいの青い実がついている。まだ他にもハウスは4つあるので「クリスマスまでトマト」という僕の目論見は成就するかもしれない。ちなみに、寒い中での僕のトマトの食べ方は・・・スライスして、オリーブオイルと塩コショーをかけて、電子レンジで3分チン。簡単で美味。朝食のフランスパンとともに、あるいは、晩酌ワインのつまみにもとてもよろしい。

 11月22日。晴天である。今日は作業着も毛布も干せるぞ。嬉しい。空の青さにも負けず、僕の気持ちは晴れやかである。明日は風雨とも強くなるらしい。特に千葉県は激しい雨と風に見舞われると、どの気象予報士も言っている。やれることをひとつでも多く今日のうちにやっておこう。まずは腹ごしらえ。昨日収穫したトマトを市販のピザに乗せて食べた。

 まずはキウイの収穫からだ。すぐ手が届くように低く作ってあるキウイもあるが、今日のキウイは地上4メートル。3メートルの位置までは梯子で登り、手を伸ばし、ツルを引っ張る恰好で収穫する。左手に袋、右手でもぐ。梯子の傾きに対面する恰好での収穫には危険は少ないが、逆向きになり、手を伸ばす姿勢だと体の重心が前に移り、キウイの入った重い袋を持ったまま落下する危険がある。20キロほどで今日の収穫は終わりとした。あまり重なり合わないように塩梅し、リンゴかバナナを一緒に入れてやると1か月くらいで食べごろになる。問題は保管だ。キウイの量は最終的には100キロをはるか超えるだろう。この下の写真の段ボール箱がたぶん30個かそれ以上。ネズミにやられず、湿気の害もない場所に、しかも、熟し具合をすぐに点検できるように保管するというのはけっこう難題だ。しかし、この手間を乗り越えておけば、向こう3か月くらいは商品になり、自分でも楽しめる。いつかまたゆったり気分で屋上庭園の囲炉裏の火に向き合いたくなったらキウイのジャム作りを楽しみながら読書タイムといきたいと思う。そうそう、キウイと一緒に写っている緑はフェイジョアである。

 そろそろ果樹の剪定に本腰を入れる時期である。今日のキウイを含めて剪定対象は50本くらい。無計画にジャンジャン苗を植えたからきちんと脚立を立てるスペースがない。危険と隣り合わせの作業がこれから1カ月ほど続く。春から夏に季節が移ろう。夏から秋に季節が移ろう。いずれの時にもその先への期待と希望が胸に沸くものだ。こうしたいな、こうなってほしいな・・・。しかし、胸のときめきのグレードで言うと、冬から春に向けてのそれが最も高い。果樹の剪定が我が心をそうさせるのだ。費用(手間)対効果、それだけで言えば果物よりも野菜の方が高い。にもかかわらず、胸がときめくのは寒い冬の先には、暖かく明るい春がある、チョッピリ文学的な心情がそうさせるのかもしれない。いかなる人生においても、「待つ」という言葉がしっかりと重なる、それが春なのであろう。しかし、春単独では十分ではない。すっかり葉を落とした「寒々しい」風景が目の前にある冬、だからこそ春への待望が胸に沸き起こるのだ。梅とプラムはすでに花芽がはっきりと形づくられている。桜が裸木となったのはもうだいぶ前。栗も柿もほどなく裸木となる。ポポーの黄葉は木枯しが吹き、霜の下りたある朝突然に、いっせい散り果てる。その変わり身は歌舞伎役者が見せる早業のような見事さである。いかなる冬の寒さにも負けず緑を保つのは、我が畑ではミカンとビワとヤマモモとシークワーサーか。

 11月23日。天気予報通り、冷たい雨の朝である。近所の、勤めに出ている人の車も雨に打たれている・・・そうか、今日は祝日なんだな。普通に言えば、こんな日に外で働くのはキビシイ。しかし僕は、自分をほどよくごまかす、コントロールする、その術に長けている。トコトン濡れて働けば風呂が何倍も心地よい、湯上りの酒も美味いぜ・・・ここまではいつも通りだ。今日はそれに加え、注文しておいたテーブルと椅子のセットが届いたとの連絡があったので荷物を出しがてら受け取りに行く。さあ荷造りを終えたら好きな工作ができるぞ・・・鼻先に人参をぶら下げ、気温10度の氷雨に奮闘するわけである。

 今日の荷物は大阪行き。大根、白菜、ヤマイモ、サトイモ、チンゲンサイ、生姜、カボス、ピーナツ、長ネギ、卵。そして、ビニールハウスにもぐってピーマンとミニトマトをもぐ。今日は低温だが、明日からはしばらく20度前後の天気が続くらしい。ピーマンもトマトも師走までの収穫はOKそうだな。僕はピーマンとミニトマトをカレーに仕立てる。美味である。お客さんにもすすめている。

 ちょっとだけ話がそれる。17日の原稿に、太陽の光によく当てて、ふんわりとした布団にもぐり込むと、「世間に生じているあれこれは、自分にはどうでもいいことに思えてくる」と僕は書いた。だが、どうでもよくないという人もいるのだなあと、荷造りしながら読んだ新聞の人生相談で思った。30代女性は不快な人物のSNSを読まずにいられないという悩みを訴えている。ことの発端は妊娠中に参加していたマタニティーサークルに「幸せ自慢をするな」という批判が寄せられた。ところが後日、その人たちのSNSを見ると、結婚、妊娠した途端に「幸せ自慢」をしていた。人にするなと言いながら、なんと身勝手なのかと猛烈に腹が立ちました。以後、その人たちのSNSチェックが日課となり、幸せそうにしているとイライラし、不幸せそうならホッとします。自分でもバカらしく時間がもったいないと思うが、相手の不幸を願う気持ちが止められません・・・。

 僕がこうして書いていることも、ある意味では「幸せ自慢」であるかもしれない。ただし僕は、肌の感覚、指先の感覚、布団のぬくもり、熱い風呂の心地よさ、たいていは自分の視覚、聴覚、触覚から生じたものをシアワセととらえ、文字にしている。他者との比較においてではない。河野裕子さんの歌に見た通り、子を生み、育てるということは生物学的に見たら幸せなことだ。その幸せを「幸せです」とつぶやいたからとて自慢ではないし、それを揶揄したり、非難したりすべきことでもないだろう。僕はスマホがないのでよくわからぬが、もしかしたら、世間で幸せとされるものは、外形的なこと、数値化されるものを軸とする、案外わかりやすい場合が多いゆえではないだろうか。さきほど書いたように、百姓の暮らしにおける喜びは、視覚、聴覚、触覚、ときに流す汗の量から生じる。僕の心身はその喜びにほぼ埋没したままで、世間の出来事は(良い意味で)どうでもよくなってしまう。雨漏りするボロ家の住人としては、たまには瀟洒なミサワホームに嫉妬してもよさそうだが、自分には無縁、無理という諦念が昔から不思議と根付いている。指先凍る今日の氷雨。貯水タンクに大根、ヤマイモ、サトイモを投げ込み、ゴシゴシと洗う。傘がないわけじゃあ、ないけえーれどお・・・♪。日野美香の『氷雨』を鼻歌しながら洗う。今がシンドイならば、おあとがよろしいようで・・・そうなるのが人生だと思いつつ仕事する。さあやるべきことをやり終えたぞ。下唇すれすれまで湯船に沈み、今日1日を僕は満足する。そっと(S)、何気なく(N)、心を沈ませず真剣に(S)・・・スマホを持たない我が暮らし、これがそのSNSである。

 忘れるところだった。この上の写真は強い雨の中で荷造りし、荷物を出した足でホームセンターに行って運んできたテーブルである。夕暮れ、その組み立てを楽しんだ。大きなテーブルにくの字型の椅子が3つセットされて29800円。値段が安いぶん、自分でやるべき作業部分がものすごく多い。脚を留めるネジだけでも150本ある。ドライバーを押し込む右手の皮が最後はむけてしまった。

 11月24日。夜中まで強く降り続いていた雨は上がっていた。輝く空の朝を迎えた。道路をほぼ埋めた落ち葉を踏んで僕はランニングに向かう。帰って、メシ食ったらアレをやろうと少しばかりわくわくしながら走る。昨日はテーブルの組み立てで日没となった。今日はその椅子、3脚を組み立てる。1脚あたり部品は8つ。いちばん難儀するのはネジ。1脚で18本。ネジの位置は板とすぐ近いから手作業ではふだんのドライバー使用とは違ってさらなる力を必要とする。

 でも、僕にとっては至福の時間である。空は青い。孤独である・・・。監視する人も指示する人もいない。心おもむくままに手を動かす。太いボルトの頭にプラスのドライバーを差し込み。反対側のナットをペンチで回転させる。仕上がった1脚に人間がふたり腰掛けるとして100キロ以上、あるいは30キロの蓄電器や電子レンジを乗せることもあろうから、ガッチリと、ゆるみなく仕上げねばならない。そして突然考える。メンタルを平衡・健康に保つための条件とは何かと・・・我が経験で言えば、1に走る(歩く)こと、2に手先を動かすこと。1週間ほど前だったか、NHKの、昔でいう教育テレビが、歩く、走ると、脳、精神との関わりを特集していた。ヨーロッパの、脳科学、神経科学、スポーツ医学の専門家が多数登場し、歩く、走るが人体に、あるいは人間の暮らしにどう影響するかを論じていた。二足歩行を始めて以後、人間の脳や精神は、歩くこと、走ることを前提とする。それを基礎として正常に活動するように出来上がっているのだという。短距離でのスピードでは、ライオン、ピューマ、シマウマ、人間をはるかに超える動物は多い。だが、スピードではかなわずとも、何十キロと走り続けられる動物は人間だけ。つまり、逆に言うと、その能力を使わず、走らないでいると、歩かないでいると、ヒトのメンタルは正常ではなくなるのだという。

 ランニングを始めて53年。大学運動部でのロードワークまで含めれば56年。地球一周は4万キロくらいだそうだが、マラソンに熱を上げていたころには1年でそれくらいの距離は優に走っていた。何度か書いてきたが、サラリーマンとして苦境にあった僕を救ったものはふたつある。家庭菜園と、もうひとつが走ることだった。当時はランニングとメンタルの関係について考えるなんてことはなかった。でも、いま振り返ると間違いなく、僕の精神を危うく落下しそうな崖から引き留めてくれたのが走ることだった。

 そしてもうひとつ。心をふわふわとさせ、いっときの幸せに導いてくれるのが工作作業である。僕にはできないが、女性がセーターや帽子を編む、パッチワークをやる、それも手先を使う工作作業だから、きっと精神に及ぼす影響は同じに違いない。農作業というのも、ある意味でやはり、手先を使う工作である。それに没頭していると、視野が狭くなる(良い意味で)。世の出来事(雑事)と無縁でいられる。昨日、SNSがらみの人生相談について書いたが、走る、手先を動かす、そういった日常であるならばスマホを通した他人のつぶやき、自慢話にいちいち腹を立てたりやっかんだりすることはなくてすむ、僕はそう断言する。

 今日もキウイの収穫をやった。昨日の収穫はグリーンで、今日のはイエロータイプ。収穫しつつ、長く伸びたツルをどんどん切り捨てる。乱暴なくらいツルを伸ばすのがキウイの性格。切りすぎを心配することはない。

 11月25日。寒いが、まぶしいほどの光が降りそそぐ朝である。我がランニングコースは落葉にほぼ埋め尽くされた。思えば、田舎暮らしにおいて、季節のめぐりは木々の葉からもよく感じられるものだ。冬が去り、かすかな芽吹きが見られる2月。いっせいに広がった若葉で向こうの風景がさえぎられる5月。その葉が毛虫のヤツらに食われて無残な8月。そして今、道を埋め尽くす茶色と黄土色の落ち葉。五木寛之著『林住期』(幻冬舎)を寝床で読んでいる。今朝はひえびえとした空気だが、惜しみなく降りそそぐ光と落ち葉の絨毯・・・林住期とは50歳から75歳を言うらしい。それからあとは人生のオマケ。僕の人生はオマケの部分に入っている。五木氏が綴る言葉、ひとつひとつが朝のランニングの足元で説得力をもって浮かび上がってくる。

 寒いが明るい朝。そんな朝は、種をまいて間もないビニールハウスに僕は急ぐ。少しドキドキする感じで。どうかな、出たかな・・・。ああ、出ている、ほぼ満点の発芽だ。この下の写真はタアサイである。かなり密な種まきだが、3センチくらいまで育ったら移植する。すでにそのビニールトンネルは準備してある。前にも少し書いた。1月から2月にかけて、若い葉物野菜を確保するために晩秋から初冬にかけて種をまく。ハウスのビニールは完全密封だ。それで温度は上がるが、土の乾きは激しい。タップリ水をやって発芽を促し、発芽後も定期的に水やりする。今年の冬は例年よりも寒さが募る、気象庁の長期予報はそう言っている。水たまりに張った氷を踏み割りながらまだ幼い葉物野菜たちの成長具合を検分に行く・・・ドキドキしつつも、これまた冬の朝の愉しみのひとつなのである。

 今日の発送荷物はふるさと納税の品。初めてのお客さんゆえ、お礼の言葉と、野菜の説明いくつかを書き添え、大根、白菜、サトイモ、サツマイモ、シークワーサー、生姜、ピーナツ、カブの間引き菜、長ネギ、ピーマン、トマト、カボチャ、卵を箱に詰める。行先は神戸。死んだ父の仕事先が神戸、従兄、同級生も数多く住んでいて馴染みの土地だが、でも、八街からみればはるか遠い場所。何をもって中村自然農園の野菜に視線を届けてくれたのだろうか・・・ともあれ僕は嬉しい。力を込めて荷造りした。

 この前の日曜日、我が街の市長選挙だった。それにまつわる記事を朝日新聞の千葉版が大きく取り上げていた。僕がこの土地に移り住んだ時はまだ印旛郡八街町だった。人口は3万人台。娘が通った小学校は学年1クラスだけだった。以来、右肩上がりで人口が8万人まで増加した。地価が安かったこと。東京までさほど遠くないこと。そして特徴的なのが、「市街化区域」、「市街化調整区域」という線引きがない。すなわち、どこにでも住宅が建てられる。たしかに我が街は農地と住宅が雑然と混在している。朝日新聞の記事は、いくつかのポイントを指摘していた。市の人口は2000年代半ばから減少に転じ、農家の高齢化が進み、先行きに懸念があること。主要作物である落花生は、肥料や農薬の高騰もあって利益率が低いこと。市内の落花生農家は65歳でも「若手」に入ること。そして、記事を読んで僕がいちばん驚いたのは、2000年には3251人いた農業従事者が過去20年間で4割以上減り、耕地面積も3割近く減少しているという記述だった。

 計算してみる。算数苦手な僕の頭で、現在、市内の農業従事者は1800人くらいとの答えが出た。そうか、オレは1800人のうちのひとりなのか・・・。特急電車ならば東京まで1時間。この地に移って2年間、片道通勤2時間半を頑張った僕としては、東京までの距離を考えたら地の利はあるはずと思う。ただし悲しいかな、同じ千葉県内と比べて、美しい山がなく、サーフィンのできる海もない。若者たちが描く「移住」の対象地としてはやはり劣るかなあ。でも僕は、すっかりこの地に根を下ろした。37年前に植えた桜や梅やキウイとともに、精神の根を下ろした。ふるさと祝島よりも、父母や兄弟よりも、妻や我が子よりも、はるかに長く連れ添った地、それがこの八街なのである。だから愛がある、積年の情がある。37年の間に交情をかわした山羊、犬、猫、チャボたちへの記憶も薄れずにある。最後の農業従事者になるまで頑張ってみようかなあ・・・今日の青い空を見上げながら、ちょっとばかり破天荒なことを考えたりもした。

 11月26日。ぐんと冷え込んだ朝。本格的な冬が近いと思わせる朝。曇天だが、起床時はまだ雨は降っていなかった。今朝の気分は自転車。今日もゴルフ場周辺に工事関係者が大勢いて仕事にかかる準備をしていた。ゴルフ場や遊興施設、マンション建設などで農地はどんどんつぶれていく。しかし一方、こうして新たな仕事が生まれ、働く人たちの雇用機会が増えていくんだな・・・なんてことを自転車をこぎながら僕は考えた。

 さて朝食だ。部屋の電気器具がいっせいに稼働する。井戸ポンプ、トースター、珈琲メーカー、電子レンジ、電気座布団、さらにテレビ、パソコン、デスクの照明、ウナギやドジョウたちの酸素ポンプまで・・・すべては太陽光発電からの電気である。昨日は終日快晴でたっぷり蓄電できた。しかし今日はまるで光なしの1日になりそうだ。こんな日は、どのラインをどう使うか、けっこう苦心もするが、それがまた太陽光発電の楽しく面白いところでもある。バッテリーとインバーターを組み合わせたラインが12、ソーラーパネルからじかに充電するポータブル蓄電池が9個。潤沢な気がするかもしれないが、先ほどの羅列に加えて冷蔵庫3つまで動かすとなると漫然とはやっていられない。とりわけ日照時間が短い冬の時期はそうだ。いちばんのポイントは快晴の日の「余剰」を無駄にしないこと。例えば200アンペアのバッテリーに24ボルトのインバーターを接続している場合、バッテリーが満タンになるとコントローラーが自動的にパネルからの送電を停止する。それでは、日没までにまだ3時間あるという日にはせっかくの光がロスになる。そこで僕は蓄電量が少なくなっているポータブル蓄電器をインバーターにつないでやるわけだ。

 朝食をとりながら、昨夜寝床で見たNHKのドキュランドをふと思い出す。昨夜はアルゼンチンの作品。ふだんの作品と違うのは、登場人物自身が被写体であるとともにカメラを回す製作者でもあるというドキュメンタリーであったこと。その人の名はパウラ。彼女の本職は映画の撮影助監督。仕事の関係で世界を飛び回る。そこで何人もの優秀な男と出会う。しかし、「35歳・シングル」という題名通り、何度も恋をし、なかには結婚の約束までしながら恋は成就せず、多くの友人が結婚、出産となっていくのに、彼女だけが今もまだシングルという哀切に焦点が当たる。出色であったのは、自分の人生、進むべき方向が定まらない哀しみを抱えつつ、彼女が昔の恋人を訪ねて回る点だった。その再会は安っぽくない。甘ったるい過去の男女の回想とはまるで逆で、ときにユーモアをまじえつつも、かつて深い関係だった男と女が、冷静に、客観的に、ふたりの間に何が足りなかったか、何が不満だったか、本当はどうしたかったか、どうしてもらいたかったかを語り合う。我々は、一般的に、別れた男、別れた女と再び顔を合わせることはない。もしあったとしても、恨みでもなく、未練でもなく、さわやかな気持ちと表情で、自身の過去への反省心をもちゃんと携えたうえで再会の機会を持つということはきわめてまれであろう。パウラという女性と何人もの男たちはそれをちゃんとやって見せた。寝床の中の僕の気持ちは見ていてとても爽快だった。人生の「理想」の姿を見たような気持ちにもなった。映像ドキュメンタリーを超えて、純文学、哲学的要素の濃い小説みたいだと僕には思われた。

 朝食をすませ、畑に向かった。こんな寒い日は激しく体を動かすにかぎる。細い枯れた竹が刺さっている場所に狙いを定める。竹はヤマイモがあるという目印なのだ。そのヤマイモを掘りつつ、あたり一帯をスコップで深く攪拌する。竹の根が何本もある。ヤブカラシの根がはびこっている。そいつを根絶する。低温ゆえ汗は出ないが、体の内部が温まってきているのがわかる。先ほどから頭上で雷鳴が聞こえていたが、だんだん大きくなり、ついに真上でゴロゴロと鳴り始めた。ちょっと危険かな・・・スコップを振り廻していてはまずいかな。ランチを兼ねてしばし休憩としようか。部屋に戻った。昼食をレンジで温め、熱い緑茶をいれた。カミナリが遠ざかったらもう一度畑に向かおう。師走がもう目の前にある。イルミネーションの輝きとジングルベルの音で世間の気分は日ごとに高まるに違いない。僕はスコップと鍬を手にし、土を起こし、ときにサツマイモを焚火の灰にもぐり込ませながら春を待つ・・冬至まであと1カ月足らずである。

 

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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