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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

冬と楽観/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(35)【千葉県八街市】

中村顕治

 新年である。年末からのテレビは大勢のタレントさんのにぎやかな笑いに溢れていた。高速道路や空港の混雑も伝えていた。そして4日、世の中が動き出す。株式市場の大発会があり、労使双方からのベースアップに関する発言があり、正月休みで減少していたコロナ感染者の増加と頻発する火事のニュースも伝えられているうち、今年もふだんの年と同じようにゆっくりと動きだした。

正月は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 もう40年以上も昔、会社の大掃除を終えた後、ジャン仲間が集まり卓を囲むのが定番だった。そのメンバーのひとりGさんは、僕と同じ大学の文学部を出た人で、一家言ある人、かつシニカルな表現を得意とする男だった。そんな彼が、あと3日で新年という日、チー、ポンとやりながら口にしたのが上の、一休禅師のものとされる言葉だった。

 30代半ばだった当時の僕には、場の笑いを誘うジョークとしか聞こえなかったが、今は僕より5歳年上だったGさんの心境が、そして一休禅師の心魂がわかりかけている。世の中は、3、2、1のカウントダウンの掛け声とともに、正月だあ、おめでとうとの歓声があふれる。しかし、有限の命の1個体として考えたら、新しい年とは、命のゴールラインに1歩近づいたことを意味する。正月早々に縁起でもない・・・そう感じる方もいるかもしれないが、僕は逆に、一休禅師の言葉をポジティブに受け入れる。いずれ終着点がやって来る。だからこそ、「フネ」の罵詈雑言にもめげず、残りの時間を、今日という日を、手抜きせず、全力で働こう、働いて何かを得よう。汗と泥にまみれて働きつつ、ひとつでも多くのことを笑顔でもって楽しもう、酒を、読書を、映画を、花を、生き物たちとの戯れを、オマケに太陽光発電だって・・・・。

 1月1日。紅白歌合戦は見ず、昨夜は夜11時前にベッドの明かりを消した。そして今朝は7時起床。強烈な霜と氷の朝である。いつも通りにランニングし、おせちなし、雑煮なし。野菜炒めとトーストと珈琲の元旦だ。そして今年も始まりは焚火である。この上の写真の場所に、半分はトンネルを仕立て、半分は秋のうちから袋に入れてためてあるヤマイモの種を植えこむ。その下準備として焚火でもって大量の灰を作っておきたい。

 1月3日。朝食をすませて畑に出たら、いつも通りに霜で真っ白なのだが、その上に点々と小さな粒がある。どうやらあられか粉雪も降ったらしい。今日はちょっと忙しいぞ。焚火にあたり、デコポンを口に押し込みながら段取りを考える。まずは大豆。モヤシ製造機にかける前に、豆取り、選別、水洗い。たかが3合ほどを得るために2時間以上かかる。その大豆作業が終わったらジャガイモの植え付けだ。

 種イモを植えるのはビニールハウスの中。堆肥を入れ、焚火の灰も入れる。吹けば飛ぶよな灰だから、スコップですくうと舞い上がる。きっと僕の鼻の中は、寅さんふうに言うならば、けっこう毛だらけ、猫灰だらけ、オイラの鼻も灰だらけ・・・なのであろうが、こんなこと屁でもない、気にしていたら仕事にはならない。

 露地ならばどんなに早くとも2月。しかし、ゴールデンウィーク頃には収穫したい。その一心で早植えに励む。立てる畝は6つ。1畝40くらいの種イモが植えられそうだ。途中ですっかり日暮れてしまった。でも、やりきってしまえば気分はいい、晩酌だって美味いものな。明かりをつけてやり通す。植え終わってもまだ終了じゃない。ゆるんだビニールをパッカーで留め、ビニールの裾には高く土を盛って冷気を遮断してやる。全作業を終えて風呂に飛び込み、晩酌を始めたのは7時半だった。

 1月4日。今朝も強烈な冷え込みである。ふだん電気座布団をベッドに入れて、ほどよく眠れる。しかし昨夜は事情があって雨戸なし。頭からガラス戸までは30センチ。寒さで何度も目が覚めた。しかしこんなもの・・・ふだん見ているニュース専門チャンネルは世界各地の天気予報も伝えるのだが、モスクワは、なんと、上がマイナス18度、下はマイナス25度。すごい。30数年前の僕は、会社を辞めて、百姓生活もまだ軌道に乗らず、貧しかった(今も貧しいがそれよりさらに)。冬のモスクワにふさわしい衣類を買えず、普段着で旅立った。そこで経験したのがマイナス15度。街を歩いていて、徐々に体が硬直してくるのを自覚した。しかし、今朝テレビが伝えたモスクワの気温はそれよりさらに10度も低い・・・道端でウオッカを飲み、そのまま凍死という話は以前よく耳にしたが、それは飲んべだけの話で、一般の市民が寒さで苦しむということは今はないだろう。驚くなかれ、室温と外気温の差が30度、40度というのがモスクワだ。住宅内はシャツ1枚でも過ごせるくらい暖房が効いている。何度か泊まったラーラの部屋には窓の外側に寒暖計がぶら下げてあった。それを部屋の中から見て、10度なら平気だね、出かけよう・・・10度というのは零下のことだ。モスクワの市民は、たとえ食料不足があろうとも、部屋の暖房だけは気にする必要はない。ガスと石油はいくらでもある。エネルギー輸出国ならではのそれが強味だ。しかし、そのモスクワよりももっとすさまじい話もある。その話はあとでちょっと書くとして、その前に。今朝は薪の調達のために竹林に入った。竹林にはこの下の写真の2本の他にもう2本、昨年切り倒したものがある。それを焚火の現場まで運び出したいが、太くて重いだけじゃなく、竹の切り株が無数にあって、うまくステップが運べない。それで、例の、重さ7キロある鉄斧をふりかぶり、粉砕したのである。寒さはこれでもって吹き飛ぶのである。

 モスクワの寒さよりもっとすさまじい話。年明けに始まったヒストリーチャンネルの「ALONE~地獄の極寒サバイバル」 。50日間生き延びたら50万ドルがもらえるというサバイバルドキュメントである。この番組はかなり前からやっている。ずっとご無沙汰だったのだが、2日の夜からまた楽しんで僕は見ている。今回放送の場所は大西洋に面したカナダのラブラドール海岸。時はもちろん冬。寒いのも寒いが、湿気の多い場所で、それがサバイバーたちを苦しめる。ヘリコプターで運ばれてきて早々、男3人、女3人のチャレンジャーたちは、何はともあれシェルターの建造にとりかからねばならない。そして翌日からは食料の調達だ。すぐ手に入るのは砂浜のイガイだけ。わなを仕掛け、弓矢を使い、鳥や動物を捕獲しようとするが、成果を上げて腹を満たせる者はいない。そうするうちに鬱症状をきたす。残してきた家族を恋しがる。凍傷で足の指が真っ黒になる。巨大な黒熊や白熊が生息する場所だから緊張感もすさまじい・・・。途中リタイヤするケースも多いが、観ていると勉強になる。僕の暮らしにも役立つことがけっこうあるのだ。人はどこまで文明に頼らずに生き延びられるか・・・そのことを逆説的に証明して見せるのがヒストリーチャンネルのその番組なのだ。

 今日は焚火でイチジクのジャムを作ろうとしている。元は圧力鍋に入れたのだが、水が多すぎたせいか、なかなか水分が切れない。よっし、それなら焚火だ。鍋を回転させ、包丁でかきまぜる。さすが、電気と違って薪の火力は短時間の勝負には強い。うまく仕上がった。

 1月6日。きびしい冷え込みが続く。過日、「WHO勧告 日本の家は寒すぎる」という見出しの記事を読んだ。室温が低いとさまざまな病気の誘因となる。特に起床時に部屋の温度が低いのはいけない。起きる前に部屋の温度を上げておくように。理想的には最低18度が必要だが、日本の家の9割はそれを満たしていない・・・記事にはそうあった。そうか、オレの暮らしは体に悪いんだなあ、なんせ、ベッドからパソコンのある居間に行った時は6度なんだもの。ということで、朝一番の作業は変わらず焚火である。杉の葉を箱いっぱい拾い集める。乾燥注意報の出ている今は一瞬にして燃え上がる。その焚火で体の芯を暖めてから仕事にとりかかる。

 昨日、ハウスで育てているタアサイの苗400本を、新たに仕立てたトンネルに移植した。今日もその続きで、もう1本トンネルを準備する。そして午後からは荷造り、今年の初荷だ。せわしなく動き回りながらも、頭の中では常に野菜の在庫、今後の仕上がり具合、そして、これから春の到来まで、何をどうしておけばしかるべき品目を確保できるかを考えている。昨年からの持ち越しとなっている野菜は大根、白菜、サトイモ、キャベツ、ゴボウ、ヤーコン、人参、長ネギ、大豆、ヤマイモ、赤カブ、チンゲンサイ、キクイモ。これにキウイとユズと卵を加えて2月まではなんとか乗り切れる。しかし3月はきびしい。端境期の落ち込みをなんとか避けるために、チンゲンサイとタアサイをトンネルで作り、せっせとイチゴの世話をし、大豆モヤシも貴重な1品となるから、あかぎれの痛みをこらえて豆取りに励んでいる。

 僕の農法には木灰が欠かせない。少品種で大規模経営の農家には畑を休ませる時期があるが、我が畑には休む時がない。ナス科の連作には気を使うが、アブラナ科やマメ科にはナス科ほどの気遣いはできない。その連作による弊害を避けてくれるのが木灰だと考えている。それでもって、暖を取るためのみならず、僕はほぼ連日、焚火に精を出す。

 林に入って枯れ枝を拾い集めている時、昨日の読売で読んだ「世界秩序の行方-燃料争奪 あえぐ小国」という記事のことを想い出した。ロシアのガス輸出は減少もしくは停止となり、EU各国は代替確保に躍起となっている。ドイツなどの大国は比較的容易にガス輸出国を見つけられるが、経済力の劣る小国ではそうはいかない。読売の記事には東欧、北マケドニアの28歳男性の例が伝えられていた。電気代はこの1年で1・5倍に上昇、3歳の娘は4回も風邪を引いたという。そして今、電気の代わりに使っているのが薪。記事には家の壁際に積み上げられた薪の写真が添えられていた。その薪も前年の2・5倍に跳ね上がったのだという。僕は幸い労力さえ惜しまなければ薪は無尽蔵と言ってもよいくらいある。ただしハードな負荷との交換である。北マケドニアの青年宅にある薪はほどよく、きれいにカットされているが、我が薪は、この上の写真の如く太さも長さもメチャクチャだ。どうにかこうにかノコギリで切って、足場の悪い林の中から、時には引きずり、時には担ぎ、焚火の現場に到達する。まあそれでも、これは無料のトレーニングジムに行ったと思えばよい。買えば毎日1000円分はするであろう薪を燃やす、それがタダで手に入るんだから儲けものじゃないか、そう思えばよい。大地震が来てもし家が倒壊しても、急ごしらえの掘っ立て小屋と、薪を使った暖房と煮炊きで生き延びる地震が、いや自信が、僕はある。

 1月7日。起きたら庭のあちこちに水たまりが出来ていた。ふだん白っぽい庭の土が黒くなっていた。寝ている間にまとまった雨が降ったらしい。その雨に洗われたか、空がかすか春めいてきたように感じられた。さてと、今日はまず人参の種まきからだ。ふつう人参は3月にまく。それだと収穫は6月半ば。これを1カ月半くらい早めたい。人参の発芽は「好光性」と言われ、あまり土を深くかけると発芽率が悪い。まいた直後に強い雨が降るのもまずい。まいた種に薄く土を掛け、ビニールは裾に土を盛って完全密閉する。発芽して半月くらいから一部をブルーネットにして換気してやる。

 次はジャガイモの収穫だ。前回少し書いたと思うが、春の収穫で取り残したものを育ててやる。生育後半からは温度が足りなくなるのでビニールトンネルを掛ける。気温が下がるにつれて防寒を増やしてやり、最終的には5枚。防寒ばかりでなく、光も必要だから、朝にカバーを外し、夕刻にはまた掛ける。その作業をほぼ40日やって今日なんとか収穫の日を迎えた。

 今日は少しばかりあたふたすることがあった。ふるさと納税の送り状が待っているのに来ないのだ。リピーターのお客さんからいつ届けていただけますかの連絡があって、僕はメールで問い合わせたのだが返信がない。それで事務局の方に電話をかけた。電話に出た、たぶん責任者らしい方にまず疑問点を伝えた。年末ギリギリに納税された最後の方の送り状だけが一昨日届き、それ以前のものはなぜ届かないのか・・・しかし、電話に応対してくれている男性は僕の話の内容をなかなか理解してくれない。そうするうち、では、中村自然農園の直接担当者に代わりますから・・・そう言ってしばらくチャラチャラチャラという音楽が流れた。僕は胸のうちで思った。電話の冒頭、僕はどこの誰と名乗ったのだから、その直接担当者に初めからつないでくれたらよかったのに。この話はもう少し複雑な経緯があるのだが、割愛しよう。そして、急いで付け加えておこう。僕は腹を立てているわけでも、先方にクレームをつけようとしているわけでもない。皆さんそれぞれよく働いている。自分の任務をきっちり果たしている・・・ただし、ひとつの仕事をなすのにプロセスが多すぎる。それでもって少しずつの行き違いが生じる。ふるさと納税というのは、まず専門業者がサイトで受け付け、行政の窓口に行き、そこから行政の委託を受けた民間業者に連絡が行き、そこから宅配業者を経由して最後に僕のところに発注伝票が送られてくる。

 この多段階に対し、我が百姓仕事・・・これはいかにもシンプルではないか。僕がいま考えているのはそのことだ。シンプルといっても、人参をまくにせよ、時期はずれのジャガイモを収穫するにせよ、その栽培作業プロセス自体はけしてシンプルじゃなくて、けっこう複雑だ。けれども、Aからの指示をBが受け、Bからの指示をCが受けるという人的プロセスはない。指示を出すのは僕自身。その指示を受けて現場作業に励むのも僕自身。作業を半分やり終えてから、これじゃいかんと初めからやり直すこともある。時にはせっかくの努力が全く無駄ということだってある。しかし、良いも悪いも出た結果はすべて自分のもの、他者の気持ちを忖度する必要はなく、意思疎通がうまくいかなかったゆえの失敗ということもない。もし、人参やジャガイモの栽培を、指示は僕が出し、現場作業はほかの誰かに任せるというスタイルであるならばそうはいかないだろう。ひとつの例がある。近所にすごく働き者で、優秀な農業者がいる。ふだんは単独で作業しているのだが、農繁期には実父母と妻が仕事に加わる。そして・・・我が家まではかなり距離があるのだが、一瞬ドキリとするくらいの怒声がこっちまで響いてくる。どんな場面なのかは見えないが、「そうじゃないと言っただろ。もういい、あっちへ行ってろ」という怒声が聞こえるから、きっと彼の思う通りにはやってもらえなかったのだろう。

 1から10まで自分の頭と力でやる。それはたしかにハードではある。ハードだが、精神的にはとても心地よいものだということを、僕は30数年の経験から体得した。独力で、機械もなしという農業だから大収穫は望めない。それでも、自分の体力をフルに活用し、周辺への気遣いもいらないという「一匹狼」・・・いや、僕は体が小さく、常にちょこまか動いているから一匹ネズミかもしれないが、そんな百姓暮らしを、これを読んでくれているアナタにも、体はシンドクとも悪くはないよ、まあ、やってみなはれ。そう言って薦めたい気が、いまここでしているのである。

 朝食をすませて庭に出る前、モヤシ製造機の水を取り替えておこう。当然ながら大豆は生きている。水の中で呼吸し、やがて発芽する。その過程で豆の表面や内部から汚れを分泌する。製造機の下部の水タンクはあぶく状となり、タンクの壁面には垢が付く。それをゴシゴシと洗い、新しい水に取り替える。ついでに豆全体にぬるいお湯を掛けてから機械に戻す。現在、もやし製造機は4台が稼働しているのでけっこうな手間だ。

 昨日から、また新たなトンネルを仕立て、人参をまく準備をしている。最近まで大豆があった場所で、その残渣と草を拾い集めてからスコップを入れ、今度は土の深い場所から出てきた根っ子をしつこく追いかけ、つまみ出す。かくして、我が右手はとめどもなく荒れる。クリーム代が高くついている。ふだんは湯上りにだけつける。しかし今は、こうしてパソコンに向かう時、さらにはベッドに入ってからもタップリ塗る。5本の指たちよ、春までの辛抱だぜ、苦労をかけてすまないな・・・76歳の誕生日である今日という日、ごわごわになった手に向かって僕は囁く。父は78歳で死んだ。その年齢まであと2年というところまで来た。でも、ハードな仕事を何十年もこなしていた父だが、死ぬ前の数年はずっと病院の世話になっていた。百姓生活37年。僕は幸い自転車で車にぶつけられたとき以外、病院には行ったことがない。

 今日の荷物は一般の注文と、『田舎暮らしの本』のプレゼント当選者宛だ。前にも書いたが、最近の電話はすべて090とか080、住居表示も洒落たカタカナ名だ。キウイは柔らかくなるまであと半月待ってください、小さな柑橘はジャムかママレードにしてください・・・・挨拶状にひと通り品物の説明を書いてガムテープで箱を閉じた瞬間、心地よい安堵感が訪れる。ここには百姓ならではの場面転換の明瞭感がある。荷造りのために用意したポリ袋、新聞紙、それがすべてなくなり、作業台の上に残るのは包丁、ハサミ、ガムテープ、挨拶状を書いたボールペンだけ。それらが落日間際の光を受けて転がっている。舞台はハネたのだ・・・そう教えてくれる現場が僕の目の前にある。荷造りという舞台はハネた。だが百姓仕事はまだ残っている。3時間余の荷造り作業のために400カロリーくらいを消費した。あと1時間半を働くためにはエネルギーを補わねばならない。珈琲をいれる。キウイとクッキーを、だいぶ傾いた太陽に向かって口に運ぶ・・・。自画自賛である、それを承知の上で書くが、百姓が病気と無縁でいられる遠因はここにある。仕事の開始と終了のさまが視覚的にすこぶる明瞭であること、そして、一区切りついたところで、珈琲カップ片手にオレンジ色の落日と向かい合って一瞬の静謐にひたれること・・・。馬鹿は風邪をひかないと昔はよく言ったものだ。またガールフレンド「フネ」は僕を仕事バカとも嘲笑する。でも、いいじゃないの、幸せならば、馬鹿でも・・・落日に向かって胸張って、いささかの負け惜しみをつぶやくのである。

 僕の仕事は相変わらず、アドリブ的な発心であり、まあ、なんとか行けるであろうとの楽観に支えられている。人参のためのトンネル設置の場所にはさっき書いたように半月前まで大豆があった。そこに何を作るか決めないままに片付け作業を始めたのだが、大豆の残渣を取り払い、天地返しをやり、下の方の土を寒風にさらそうとしていた時、発心した。ああ、この土なら人参に最適だな・・・そう思った瞬間、僕はもう準備に取り掛かったのである。ほとんどのことに熟慮なし。なんとかなるだろうとの楽観でずっと貫いてきた。もし途中でダメだと思えばやり直せばいいのさ・・・そんな思いで幅3メートル、長さ15メートルのビニールハウスだって完成させたりすることもある。

 昨日から読み始めたのは、楠木建著『絶対悲観主義』(講談社)という本である。楠木氏は、世にある「うまくやろう」、「成功しなければいけない」という思い込みを否定する。そういう思い込みは、ちょっと思い通りにならないだけで「困難」に直面し、「逆境」にある気分になってしまうというのだ。そこから氏の理論「絶対悲観主義」が生まれる。仕事を始める段階で「うまくいく」という前提を持つからこそ「うまくいかないのではないか」という不安や心配にとらわれ、困難に陥る。ならば最初から、ダメかもしれないという覚悟をもって仕事にとりかかれ。それが絶対悲観主義というものであるらしい。楠木氏は次の4つを並べる。

①事前にうまくいくと思っていて、やってみたらうまくいった。
②事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらうまくいった。
③事前にうまくいくと思っていて、やってみたらうまくいかなかった。
④事前にうまくいかないと思っていて、やってみたらやっぱりうまくいかなかった。

 今日は最後の仕事として果樹の剪定をやった。足場は悪い。太陽光パネルがある場所では、隙間に無理やり押し込んだ脚立は傾いている。その傾いた脚立に立って、ギリギリ体の重心を整え、天を仰ぎながら長い柄の剪定挟みを使う。ひとつ間違えば僕は危険な物体がぎょうさんある中に転落することになるが、なあに、落ちるものか。その時の僕の心は・・・上の①と②と③がすべて当てはまる。そして最後は、まっ、出来は70点だが、悪くない。若い頃の数学の点は毎度50点にもいかなかったんだから、これなら上出来というものじゃないか・・・そう自分を納得させるのだ。これって、もしかしたら、絶対楽観主義か。あるいは自分に甘い絶対自己弁護主義か。しかし、どっちであるかは別として、僕はこれまでずっと、何かを始める時には自分のひらめきを動機としてきた。そして、ひらめいた瞬間、ただちに必要な道具と材料を調達する作業にとりかかった。迷わない。後でやろう・・・ではなく、ただちにとりかかる。それでもって失敗することはあるが、10中6か7くらいは成功する。だから幸福である。

 楠木氏は「幸福の条件」についても書いている。人は「幸福になる」ことと「不幸を解消する」こととを混同する。不幸になる要因を潰していけば幸福になれるという考えは間違いだと氏は言う。続けて「幸福の敵」についても論じる。幸福の最大の敵は嫉妬心だと楠木氏は言う。我が意を得たりである。これまで僕も何度か書いてきた。他人の暮らしを妬むなと。嫉妬心ほど人間の自由度と行動力を奪うものはない。たとえ乏しくとも、自分に備わった知恵と力をフル稼働させ、生きてゆく。そこにこそ健康と精神のゆるやかさに満ちた暮らしがある。百姓暮らしとは、実入りこそ少ないが、まさしくそれなのである。

 1月11日。今日は無風である。昨日の風はすさまじかった。丸一日吹き続け、最大風速は20メートル。たった1日の風で我が仕事は3日分くらい増える。今日まずは、最も被害の大きかったハウスの修復である。このハウス、構造的な弱点があった。その弱点を、以前は付け焼刃的な作業ですませたのだが、よっし、この機会にガッチリと、夏の台風にも平気でいられる強度にしてやろう。必要なのは長いパイプである。ピッタリ、おあつらえ向きのパイプがあるわけもない。そこそこ使えそうなものを探し出し、曲げたり、ジョイントをかませたりしてどうにかやる。足場不安定な中で、ずっと空を仰ぎつつ、パイプ同士を縛る。縛る箇所は40くらいあったか。首が痛む仕事である。

 話がちょっと飛ぶが、年末の新聞はどれも読むところがなくてつまらない。しかし、年が明けると、ニュースと言うよりも、ドキュメンタリー風の読み物があって僕は楽しく目を通す。年明け早々、読売新聞の千葉版が伝えたのは、移住相談の数が神奈川や埼玉を抜いて千葉がトップに躍り出たということだった。千葉県人としては喜ばしいが、我が地は無縁。人気があるのは、房総の海岸地帯、もしくは、かつての「ド田舎」が、鉄道新線で東京まで45分で行けるようになり、大型のショッピングモールがあり、ちょっと足を延ばすと田園地帯が広がる、そういう街であるらしい。 

 朝日新聞の千葉版は、若い人の千葉への移住を連載している。その第一回目に登場した24歳の女性は大学時代、タイの孤児院でボランティアをした。そこで聞いた現地の人の言葉が今の移住の動機になったという。彼女の心を動かしたその言葉とは・・・「自然が人の内面をつくる」・・・たしかにそうだ。僕も常々そう思っている。パイプ設置を終えた僕は7×15メートルのビニールをえっちらおっちらと、脚立を何度も移動しながら張り渡していく。そんな僕を南にある太陽がビニール越しに照射する。すぐわきの林からチョットコイ、チョットコイとコジュケイが心地よさげに鳴く。昨日は強風だったが、今日は身も心も穏やかになれる天気である。もちろん荒天の日も含め、たしかに、自然が人の内面をつくるのだ。妬まない、イラつかない、落ち込まない。初詣というものには全く無縁な僕だが、柏手なんか打たずとも、百姓暮らしにはそうした精神衛生上の優れたご利益が空から降ってくる。

   

 いったんハウス作業を止め、荷造りにかかる。ハウスの中で、5段階の時間差収穫を考えて苗を作ったキャベツ、その第一グループが収穫期を迎えた。なかなかの出来だ。今日の品物は、このキャベツの他に、大根、白菜、キウイ、チンゲンサイ、赤カブ、サトイモ、長ネギ、キクイモ、生姜、大豆モヤシ、ホウレンソウ、卵。荷造りを終え、デコポン、かりんとう、珈琲で元気づけ。再びハウスの現場に向かう。ビニール設置が終わったら、ただちにジャガイモを植える。先日カットして植えきれなかった種イモが100あまり残っている。急がねばならない。

 朝日新聞には「わたしのよりどころ」と題された連載もある。コロナを含めた世間の息苦しさ、せわしなさから逃れ、「移住」を含めた新たな道に歩み出す人たちのドキュメントだ。その記事とセットになったかたちで、作家・吉本ばななさんのインタビューが昨日あった。吉本さんは最近の本で、「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲けだ。今日が来るのが嬉しい、目を覚ませるのが嬉しい。だいたいの人がみな愛おしい」、そう書いたという。そして言う。

それはほんとうですよ。結局、幸せって、生活の中にあるんだと思いますよ。掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯したり、そのことじたいが幸せなことだったということに気づく。だって、みんな年を取るんですからね。いつかだんだん生活ができなくなってくる。自分で着替えられ、瓶のふたが開けられて、もうそれだけで幸せなことなんだと思います。きちんと生活することがいちばんです。

 掃除、洗濯、布団干し、ゴミ出し、3食の準備、そして30ある鉢植えの花の世話、水槽のウナギやドジョウの世話・・・百姓仕事の本務の他に僕も日々奮闘する毎日だ。あらためて考えたことはなかったが、吉本ばななさんの語りを読むと、たしかにそうだなあという思いがする。ゴミ出しという雑事も、両手に袋を下げ、ごみステーションまでの150歩をすたすた歩けるのはなるほど幸せなことなのである。まして、今日という日、ハウス改築に6時間労働ができたというのは大いに幸せなことかもな・・・朝日の記事を読みながら、風呂上がりの晩酌に酔いながら、そう思ったのである。

 1月13日。少し冷気がゆるんだ。部屋に取り込んでいる鉢植えの花を、いつも、朝食後に屋上庭園のベランダに出す。すると、すかさずミツバチたちの羽音がする。花はバラやシクラメンの他に6種類くらいあるが、どうやらこの中にミツバチたちがとりわけ好むものがあるらしい。うんと寒い朝だってやって来るものね。

 今日はまたトンネルを1本仕立てる。別なトンネルにまいたチンゲンサイ、かなり間引いたのだが、生長が進んで息苦しそうにしている。のびのび育つようにしてやらんとね。昨日、新しいビニールを買った。21メートルの長さで11800円。しかし、それはもったいない。ここはこの前の強風で吹きちぎられたものをなんとかツギハギでそれらしい形に仕上げる。苗は6列、総数500くらい。ついでに周囲を清掃し、天地返しもやったから午前中いっぱいかかった。

 ランチをすませて荷造り。包み紙の新聞を拾い読みして少し笑った。前から好きな作家、辻仁成氏。フランス移住20年。僕は勝手に優雅な住環境での生活だと思っていたが、そうではなかった。こう語る。

生活の大変さは日本に比べて「倍」なんてものじゃない。この間まで住んでいたアパルトマンでは、3年間水漏れが続いて天井が崩落しました。引っ越したばかりの新居で、今度はキッチンの食器棚が崩落寸前。美観を維持するため、古い建物を直して使い続けているゆえなのですが・・・。

 ふふっ、これならオレんちの方がマシかも。時に雨漏りはするけれど、内部構造には問題ない。ヨーロッパでは、100年、200年たった建物を、日本の木造家屋と違い、いつまでも手入れして使い続ける・・・それを一種の美徳としてこれまで聞いたり読んだりしていたが、なるほど、こういう実情もあるのだな。荷造りを終え、次の作物のために清掃作業に励む。わずかではあるが日没時刻が遅くなった。年末までは明かりなしでは4時半がリミットだったが、今日あたり5時まで働ける。たとえ10分でも暗くなるのが遅いというのは僕には「希望の光」だ。

 太陽光発電に関してふたつ書いておこう。脱酸素、再生エネルギー、その中の太陽光発電。それが最近は苦境にあるという。つい先日も、ため池にソーラーパネルを浮かべる香川県での「ため池発電」が苦境にあると伝えられていた。理由は買取価格の下落。かつて買取価格「1キロワット時」40円だったものが、今は10.5円だという。また、香川県のみならず、景観を悪くし、パネルを設置するために森林を伐採した場合、環境破壊につながるとも言われている。この環境問題に関しては、僕はよく理解できる。僕はパネルを設置するために1本の木も切ったりはしていない。ゴチャゴチャと果樹があり、それらと何とか共存させる。この先、太陽高度が変わる季節になったら、けっこうな手間だが、果樹にぶつからず、畑に日陰も作らないという位置まで苦心しながら移動する。ひとつのことに利を及ぼすため、もうひとつに害を与える。これは万事において避けねばならないことであろう。

 太陽光発電がらみのもうひとつのニュースは、ドイツが太陽光発電に力を入れようとしているというもの。化石燃料の脱ロシアを念頭に、2030年までに再生可能エネルギーでの発電を80%まで引き上げる計画だという。読売新聞が伝えるこの記事の中に、太陽光発電に関わるソーラーパネルなどの生産は中国の寡占状態にあること、かつて、日本のパネルメーカーは2006年までは生産世界一だったのに、中国との価格競争に敗れ、三菱電機やパナソニックはそこから撤退したのだという記述があった。僕が太陽光発を始めて今年は5年目。今書いたような歴史的背景には全く知識がないまま、ネット販売を通して手に入れたのは、パネルも蓄電池もインバーターもコントローラーも、ほとんどが中国製だった。安かろう悪かろうという品も一部にはある。ただ、例えば同じ2000ワットのインバーターが、国産だと10万円、中国産だと4万円という現実は、出せる金額に限度がある者としては中国産にどうしても手が出てしまう。再生エネルギーを「主力電源」と位置付ける日本だが、太陽光パネルの海外依存を改めようという戦略は描いていない、読売の記事はそうも伝えていた。

 明日は雨というから、日暮れ前から始めたクリーン作業で出た草や枯れ木を燃やし切っておくことにした。寒い朝の焚火はひたすら寒さから逃れるためのものであるが、夕暮れの焚火には穏やかさ、ゆるやかさといった味わいがある。昨夜から読み始めた服部文祥著『お金に頼らず生きたい君へ』(河出書房新社)の記述が、その焚火の赤い炎の中で想い出される。トップクライマーであり作家。現在は古民家で、狩猟、畑作を軸にして生活しているという。服部氏は太陽光発電もやっている、山の中での暮らしゆえ、僕みたいに電気釜も井戸ポンプもテレビも冷蔵庫もといった欲張りではなく、室内照明とノートパソコンに使うらしいが、電気には疎いと自認しつつも、初心者にもわかりやすい記述で太陽光発電の基礎を解説している

 服部氏は言う。生きるためになすのはふたつ。賃金労働か、生活労働か・・・。生活労働とは、食料を農作業と狩猟で手に入れる、燃料は薪を拾い集める、生活用水は沢から引き、住処は自分で確保し、修繕する。すなわち、生きるために必要な物資は購入するのではなく、身の回りから自分で調達し、生活の雑事は外注するのではなく、できるだけ自分でやることなのだと言う。登山家ゆえに、こうしたひとつひとつの作業についての説明にはリアリティーがある。僕も薪を集め、井戸水を使い、家の修理も自分の手でやる暮らしをしているが、作業の丁寧さと合理性には大いに服部氏に学ぶべきところがある。

 新年も、瞬く間に半月がたとうとしている。コロナ感染者は増加を続けている、物価も上昇し続けている。それでも、世の中には賑わいが復活しているような気が、畑にいる僕にはしている。ウクライナの人は寒かろう。大阪湾に迷い込んだクジラは元気で外洋に泳ぎ出してほしかった。梅はいつ咲くか。先週トンネルにまいた人参の発芽はいつごろになるか・・・。今日、仕事の途中でふと見た足元には大きなフキノトウがあった。春まで何マイルという標識があったらいい・・・、これは、かつて、聴かないままでは眠れないくらい愛聴したジェットストリームでの城達也氏のナレーションの一節だが、仕事を終えて、安物ワインでほろ酔いになりつつ、あれこれ考えながら、今夜も春到来を待ち焦がれている、そんな百姓の僕なのである。

 

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(4)夏草とミミズと焚き火
https://inakagurashiweb.com/archives/7435/

(5)あの角を曲がって
https://inakagurashiweb.com/archives/7451/

(6)理科のダメな男が電気の完全自給に挑む話
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(7)ボロ家に暮らす男が積水ハウスのCMに胸をときめかす話
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(8)猫もいい。犬もいい。鶏がいればもっといい
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(9)人にはどれほどの金がいるか
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(10)人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~
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(11)心をフラットに保って生きる心地よさ~メンタルを健康に保つためのルーティン~
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(12)周囲の生き物たちと仲良く暮らすこと
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(13)僕の家族のこと
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(14)独り身の食生活と女性たち
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(15)家庭菜園と人生における幸福論
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(19)定年後の田舎暮らしは難しいか
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(20)少子高齢化の未来
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(21)田舎の人付き合いは大変か
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(22)畑から見る東京
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(23)コロナ禍が意味するもの
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(24)男というもの
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(25)「良い」孤独、「悪い」孤独
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(26)生きる喜び、生きる悲しみ
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(27)畑の神様
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(28)気力・活力・体力
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(29)僕があなたに就農をすすめる理由
https://inakagurashiweb.com/archives/20212/

(30)土食う客人
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(31)DIE WITH ZERO考
https://inakagurashiweb.com/archives/22634/

(32)冬の愉しみ
https://inakagurashiweb.com/archives/23257/

(33)焚火の効用
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(34)あかぎれと幸せ-年末年始の百姓ライフ
https://inakagurashiweb.com/archives/24742/

 

中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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