11月29日「仕事はできるけれど・・・」。強風が収まり、今日の気温は平年並みに戻った。昨日の強風で痛めつけられたビニールトンネルやハウスを朝一番で点検する。昨夕、ひと通り点検して応急処置はしたつもりなのだが、きっと見落としたものもあるだろう。ニワトリさえ侵入しなければ1つや2つ隙間が出来ていてもかまわないのだが、好奇心旺盛なニワトリたちは小さな穴でも潜り込み、ひっかきまわしてしまうのだ。この下の写真は一昨日の夕刻、ヘッドランプをつけてタアサイの種をまいたビニールトンネル。9月まで続いた猛暑。それで今年の葉もの野菜は誤算続きだった。その不足を補うため、まさに厳しい冬に向かう今、1月から2月の収穫を目論んでタネをまいたのである。
点検したハウスは4つ、ビニールトンネルは9本。吹き飛んだビニールをたぐり寄せ、めくれたブルーネットの裾をピンで留める。風にあおられ、少しばかり葉がちぎれてしまった草丈30センチのエンドウに、ちょうどよい機会かと土寄せもしてやる。かくして、あちこち走り回っているうちに頭に浮かんだのが、1週間前の朝日新聞「耕論」だった。
職場では「能力が高い」と評価される人が、攻撃的だったり、他人の足を引っ張ったりすることがしばしばある。なぜそうなってしまうのか。「仕事ができる」とはどういうことなのか。
3人の方が、現代の職場でのあれこれを論じていた。パワハラを非難しつつも「強者たちも強者たちで、失敗したら振り落とされるという不安が常にあって必死なんだと思います」、そう理解を示したのは会社を題材にいくつもの作品を出している小説家。一方、若い世代は、期待を超える働きをしなくては、成功したい、そういう思いがない・・・こう語るのは精神科産業医の松崎一葉氏だった。氏は次のようなエピソードを紹介する。
天才的なフランス料理のシェフから聞きました。「皿に残ったソースをなめて覚えろ」という教えまで実行した若者と、レシピをマニュアル通り学んで覚えた若者。一人前になったとき、皿をなめて覚えた若者のソースは「格段に違う味になった」と言うのです・・・。
百姓の僕も、皿に残ったソースをなめて覚えたクチかも知れない。ただし、必ずしもそれは褒められたことではない。例えば僕は、電気製品の説明書を読むのが苦手。もし料理人になる場合でも、レシピ本を読破することは出来ないだろう。前に書いたように、野菜や果樹栽培の解説書を買って読むことは読んだ。しかし結局、僕のやることは試行錯誤と言えば聞こえはよいのだが、行き当たりバッタリで、ああもする、こうもする。ひたすらやってみた。遠回りしたかもしれないが、ああする、こうするの連続、その中から手応えを得たことはかなりある。タアサイは、氷の張るような寒さになっても、ビニールトンネルの上から古い布団やシートを翌朝まで掛けてやれば発芽する。冬至を過ぎ、じわじわと光の時間が長くなれば成長する。一昨日の種まきで、たぶん2月には立派なタアサイになるはずだ。
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