11月18日「便利なものっていうのは『自分』を見えなくするわけですね」。冬がやってきた。そう感じる今日の空模様である。ランチ時の室温は14度。あの夏の35度から21度も低くなったわけだが、今日の気温そのものはどうこう言うほどの低さではない。問題は光と風だ。光は全くなく、冷たい風がビニールハウスをバタバタ言わせるくらい強く吹く。
天気予報では、風は強いが昼頃には晴れてくるとのことだった。実際、東京までは晴れたらしい。しかし千葉だけが取り残された。天気予報を信じ、洗濯をしたのだが、かつ、お日様はなくともこの強い風で乾くかもと期待して干したのだが、やっぱりダメだったねえ。冷たく湿っぽい洗濯物に触れながら、僕はちょっと思ったのだった。こんな日には衣類乾燥機があるときっと気分いいんだろうなあ・・・。
便利なものっていうのは「自分」を見えなくするわけですね。稲垣えみ子
しばらく前、朝日新聞「折々のことば」で目にしたものだ。鷲田清一氏はこのように解説していた。
掃除機や洗濯機、冷蔵庫など家事をラクにする家電製品は、できることが増える歓びを、しなければならないというプレッシャーに変えてしまう。つまり僅かで満足できるシンプルな生活をいつの間にか「オオゴト」にすると元記者のエッセイストは言う。そして何より怖いのは、家事を「めんどくさくてつまらないもの」と思わせてしまうことだと。『家事か地獄か』から。
最新の状況は存じ上げないが、以前読んだ本では、冷蔵庫もクーラーも洗濯機も掃除機も持たない、ガスの契約もしていない。電気代は月額200円、風呂は銭湯に行く・・・稲垣さんはそう書いておられた。この「アンチ文明」の精神はどこから生まれたものなのか、そこにひそかな興味を抱きつつ、稲垣さんのエッセイを読み、ラジオ深夜便での語りを聴いている僕なのであるが、幸いにも家事を「めんどくさくてつまらないもの」とは思わない。畑仕事の合間、僕は夕食用の煮物を作り、今朝のように、ランニングに向かう前に洗濯機を回しておき、帰宅してから干す。また、少しでも水道ポンプを回さずにすむようにと、昨夜の風呂の残り湯をバケツで洗濯機に運び込むということもやる。
されど、稲垣さんのアンチ文明精神にはとうてい及ばない。洗濯機も冷蔵庫もある。冷蔵庫なんか3つもある。稲垣さんは衣類をお風呂なんかで手洗いするらしいのだが、毎日少なくとも5枚、雨の日には10枚の衣類が濡れて泥だらけになる僕の暮らしでは洗濯機は必需品だ。便利なものって、自分を見えなくするわけですね・・・これに該当するかどうかはわからないが、農家なら必需品である耕運機と草刈り機を、僕は持たない。たぶん機械に弱いという性格のベースが遠因だろうという気がするのだが、土をスコップで起こし、草は手で抜くという作業、それに僕は文字通りの手応えを感じるのだ。それにしても、真冬に暖房がないという稲垣さん。夜はたいてい縫物をするらしいのだが、厚手の靴下を履き、頭からスッポリ体を包んでそれをやるらしい。そして言う。周囲の人は寒くないか、大丈夫かと心配してくれるのだけれど、慣れてしまえばなんでもない。暖房を使っている人の方が寒さがこたえる、そういうものなんですよね・・・。すごいお方だ。
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