11月24日「可能性は危険だ」。今日は風がやや強いが、光タップリで気温も高い。だが、今晩から気温急降下、北風も強くなって明日の朝、当地はたぶん6度まで冷え込む。よってサトイモの土盛りに励む。来年3月まで収穫を続ける。土が浅いと年明けには凍傷でダメになる。サトイモを終えて、次の作業はキウイとフェイジョアの収穫。フェイジョアは勝手に落下したものを拾い集めればいい。しかしキウイは最高5メートルにあるものを梯子の上からギリギリ手を伸ばしてもぎ取る。左手に袋、右手でもぐ。ほとんど直立に設置してある梯子の段に立ち、ひとつ間違うと袋のキウイもろとも転落するかも、そんな危険な作業である。
仕事が一段落したところで珈琲タイムとする。熱い珈琲とともに口にするのはフェイジョアだ。2つ切りし、スプーンで食べる。可食部分はほんのわずかであるが、パイナップルかメロンかに近い味わいは貴重である。さて、今日も再び朝日新聞「折々のことば」から引かせていただくこととする。
「可能性」は危険だ。 稲垣えみ子
こんなこと、あんなことをしたいという夢はたしかに人生を支え続けるものであるが、ひとつ間違うと人のクビを絞めると、元記者のエッセイストは言う。「可能性を食べてばかり」いると、お金がいくらあっても「足りない」という欠乏感に日々苛まれ、人生自体が「ミッション・インポッシブル」になる。自分が自分自身の「使用人」に成り下がると。『家事か地獄か』から。(鷲田清一氏の解説)
面白い視点である。世間では、夢を追求しなさい、どんどんチャレンジしなさい、そう言われる。稲垣さんは、それに正面から異論を唱える。自分が自分の使用人にさえ成り下がる、そうまで言う。思えばたしかにそうかもである。なんでもチャレンジすることをヨシとする昨今、時間やカネをつぎ込んではみたものの、成果を上げられないままに挫折した、そんな事例は少なからずあるような気が僕もする。その流れで、20代、文系の大学院で博士課程に在籍している女性の人生相談を思い出す。彼女は「都会で働く、自分の芯を持った、おしゃれな女性像」に憧れている。人が多く、にぎやかな場所に安心感を覚える。「都会以外で研究職として働くことは、想像するだけでげんなりします・・・」そうも言う。この相談に答えるのは大学教授・山田昌弘氏。山田氏は、職業に就く動機に貴賤はありません、そう前置きしたうえで、現実は厳しく30歳や40歳になっても正規の研究職になれない「優秀な」博士号取得者はたくさんいます、給与はさほど高くなく、雑務に追われ、おしゃれとはほど遠い生活をしていることが多いのも事実だと、やんわりとクギを刺す。そして最後に言う。
あなたに周りが一目置くほどの特別な才能がある、もしくはあなたのおしゃれな生活を一生経済的に支えてくれる親や配偶者がいるのであれば何も言いません。そうでなければ、進路を再考することをお勧めします・・・。
人間、どう生きるか、そこで最も大事なこと、それは、自分の能力がいかほどのものであるのか、冷静に判断する自己診断力であろうかと思う。ただし、それは言うほどにたやすいことではない。自分の能力を過大に評価するにせよ、過小に評価するにせよ、客観適正に自分を評価することは誰においても難しい。それが難しいならば、別な方法もあることはある。どう生きたいのか、どんな夢を追うのか。その決断時において、その夢のためであれば死んでもいい、野垂れ死にでもいい、その覚悟である。田舎暮らしを始めたが様々な事情で都会生活にまた戻る。そうした例は少なくないという話に前々回であったか、僕は触れた。38年前の秋、ちょうどいまの時期、現在の家と畑を買おうとした僕にはひそかな覚悟があった。もし脱サラ百姓の暮らしがダメだったならば畑で死んでもいい。墓も戒名も不要。現在植樹から37年が経過した桜の大木、その下に誰か骨を埋めてくれ、穴は自分で掘って、目印に太い木を立てておくから・・・この気持ちは脱サラ時点と全く変わっていない。夢のためなら死んでもいい・・・無茶苦茶な言葉に聞こえるかもしれないが、究極のシンプルさではないか。上で引いた大学院の女性も、研究のためならビンボー平気、お洒落も捨てたっていいわ・・・その覚悟を決めたなら夢に向かって進めばいい。僕はそう思う。
この上の写真は午後6時、真っ暗な中でピーマンとナスの防寒作業をしているところである。前回、このふたつの野菜を延命させ、12月まで収穫を続けられるよう大急ぎで、乱暴な作業でビニールハウスをこしらえたという話を書いた。すでに2枚のビニールが掛けてあるのだが、今夜からの冷え込みに耐えられるか心配。それで、6畳サイズのカーペットを天井部分に広げることにした。ただし、ずっと雨ざらしだったゆえに水分を含んでとんでもなく重い。それに挑む。カーペットの角をロープで縛り、そのロープを反対側に投げる。力任せに引っ張って、50センチだけアップさせる。再び反対側に周り、脚立に乗ってあと50センチ前進させる・・・これを繰り返すこと20回。19日の日付で、自分の完璧主義に悩み苦しむ女子学生の話を書いたが、この場面での僕もどうやら完璧主義者である。厚手でズシリとした6畳サイズのカーペットで上部を塞げば夜の冷気は確実に遮断できるぞ。やれるさ、やって見せるさ・・・空腹と疲労で少しクラクラする頭と体で成し遂げたのである。
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