今回のテーマは、人間、どう生きるべきか、それを考えてみようとするものである。ここ10年くらいの間で、「君たちはどう生きるか」と題する映画、ドラマ、アニメなどが好評を得たらしい。そのことについてはほとんど知らなかった僕なのだが、はるか60数年前の出来事を思い出す。我が家の長男である兄は8歳年上。その兄が東京から帰って来た時、中学生になったばかりの僕に、これ、読んでみろ、そう言って差し出したのが吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(岩波書店)だった。勉強は好きじゃない、虫や土いじりが好き、兄とは正反対の僕に兄は何を伝え、教えたかったのかはわからない。本の内容もまるで覚えていない。しかし、兄85歳、僕77歳にじきならんとする今、どう生きるかの命題は過去の失敗を含め、ふたりの男の頭や体に深くからみついている。さっき書いたように、兄は綺麗好きで勉強のできる男だった。中学時代は学年のトップ。父と母の期待は大きかった。県立の進学校に合格し、島ゆえに家を離れ、街に下宿して暮らすようになった。だが、これは何十年ものちになって聞いた話だが、兄は強いショックを受けて、いっとき不登校になったというのだ。学年トップとはいえ、しょせん全校200人足らずの田舎の中学である。そこからノーベル賞受賞者さえ輩出したという高校への進学は、まるでおよびじゃないという現実を思い知らされ愕然とする。それでもって兄は不登校となり下宿に引きこもった。授業に出て来いと、担任が何度も訪ねて来たのだという。
いま月に1回くらい、僕が畑仕事を終える時刻を見計らって電話を掛けてくる。開口一番、その兄の言葉は、相変わらず元気な声だねえ、やっぱりそんな泥もぐれ(「もぐれ」は祝島の言葉で「まみれ」)の暮らしが人間にはいいんだよなあ・・・。大学を卒業し、兄は電機メーカーに就職する。そして、たぶん50代に差し掛かった頃だと思うが、会社を辞めて事業を始めた。しかし躓いた。かなりの借金を抱え、けっこう立派なマンションを手放すこととなった。兄にとっては最も苦しい時期であったろうが、僕自身も会社を辞めて百姓になったばかりで、あたふたする日々だったゆえに、当時の兄の心境を聴いてやるゆとりはなかった。マンションを手放し、公営の賃貸住宅に移った兄は再就職した。クリーニング業界で最大手とされる会社のある店でアイロン掛けをする仕事だった。職業に貴賤はないと言う。だが、結核で闘病する母の薬代を削ってまでも兄の学費を工面し続けた亡き父と母が、もしそれを知ったら、おそらく愕然としたであろう。でも兄は泰然としていた。立派にアイロン掛けの仕事をこなして年金生活に入り、85歳になるまで病気ひとつせず、今は団地のベランダで盆栽作りを楽しみながら生きている。電話をくれるたび、僕に言う。私にはケンジみたいな暮らしはとても無理だよなあ・・・。兄の一人称はずっと「わたし」である。僕の一人称「オレ」との対称は、勉強ができて綺麗好き、勉強ができずに汚れ仕事が平気・・・わたしとオレ、そこにふたりの男の人生が重なっているような気もするのであるが、どうであろうか。
今回僕が書こうとしていることは、抽象的でも哲学的でもない。「卑近な」と言ってもよいと思うが、食べること、眠ること、ウンチすること、体を動かすこと、カネを稼ぐこと、稼いだらすぐに欲しい物を買うこと、そしてときに、静けさの中で独り遊ぶこと、そういった日常生活の中でどれだけ人間の心は満たされるのか、あるいは満たされないのか。それを日々の具体的シーンを追いつつ考えてみようと思うのだ。
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