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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

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庭先ニワトリ物語/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(36)【千葉県八街市】

                      中村顕治

 今回テーマはニワトリと暮らす幸せ物語である。もうだいぶ以前のこととなるが、取材を受けたニワトリの話の記事への読者の関心、それがけっこう高かったということを田舎暮らしの本編集部から聞いた。しかし、今回このテーマとする理由はそれだけではない。時あたかも、ニワトリにとって今はピンチである。ウクライナ紛争のとばっちりを受けて飼料が高騰している。さらに厳しいのは鳥インフルエンザ。年末ですでに殺処分されたニワトリは1千万羽に及んでいたが、最近さらに、群馬県前橋市で45万羽、千葉県匝瑳市で13万羽の殺処分が行われたと新聞が伝えている。こうした事情でもって、かつては物価の優等生と言われた卵もだいぶ値上がりしている・・・が、冒頭から辛気臭い話を書くのは僕の本意ではない。このテーマはあくまで、田舎暮らしにおいて、庭を自由に歩き回るニワトリのいる生活、それがどれだけ楽しいか、精神衛生にどれほど好影響を与えてくれるか。養鶏経験44年の我が暮らしを通して読者に伝えたい、ぜひともその飼育にアナタも関わっていただきたい、そう願って書こうとしているのである。

 1月22日。どうにも暗く、冷え冷えとした空模様だ。テレビはしきりと呼びかけている。朝、布団から出て別の部屋に行く際は体が冷えないよう厚手のものを羽織ってください。そして、念のため、交通障害と停電に備えて食料を備蓄しておいてください・・・。今日1日中、その寒波に向けて僕は走り回る。大根やチンゲンサイに土を盛り、レモンに毛布を掛けてやり、発芽待ちの人参にはすでに夜間防寒がしてあるのだが、それをさらにプラスしてやる。外に出ることはほとんどないので交通障害とは無縁。うちの室温は常時5度くらいなので、耐寒性あるわが身にヒートショックも心配なし。食料も、4つの冷蔵庫に1か月分くらいは常にキープしている。気がかりなこと、対策を講ずべきこと、それはひとえに畑の野菜なのである。

 午後3時ころだったか。ずっと暗かった空から光が差してきた。おっせえよ・・・ちょっとばかり舌打ちしつつも、ずっと暗いままで日暮れというよりはずっといい。この下の写真は光が差してから15分後くらいの風景である。うちのチャボたちの体内時計には夏モードと冬モードがある。夏は5時を過ぎても活動しているが、冬には早いものは2時、遅いものでも3時には軒下の寝床に脚立を伝って登って行く。そして・・・天気の良い日は西の林に没していく太陽をじっと見つめている。何を思っているのだろうか彼らは。その胸の内はわからないが、この夕暮れの風景は共に暮らす人間を幸せな気分にしてくれること間違いない。

 1月23日。ひえびえとした小雨の1日である。昼少し前の気温が4度。出荷用の野菜を取りに行った時、ちらっと見たイチゴハウス。またまた草が生えてるなあ。予定外の仕事になるが見て見ぬふりはできないぞ。晴天が続くとハウスの土はふんわり暖かい。しかし、ここ数日の光不足と低温で、まあなんとも冷たいことよ。でもな、みんなこの寒さにも負けず花を咲かせているんだもの、タップリの愛を注がなければ。

 ときどき焚火で体を暖めながら作業をこなす。手に抱えて運ぶものはすべて濡れている。加えて、わずかな雨ながらも頭の上からも濡れる。しかし人間の順応性というのはなかなかのものではないか。気温4度で出荷の野菜、大根、ヤマイモ、サトイモ、キクイモ、タアサイ・・・次々に水洗いしてもギブアップしないのだから。

 仕事でせわしなく動き回る僕のそばでチャボたちが野菜の切れ端をかじっている。チャボは夏の暑さにはいくぶん弱い。猛暑の日には羽を持ち上げ、胴回りに風を入れてしのぐ。一方で、寒さには強い。寒さゆえに活動が鈍るということはない。人間よりもずっと体温が高いのだ。41度くらいある。そんなことはないと思うが、もし何かのイベントの行列にうちのチャボたちが並んで、係員から顔に体温計を当てられたら、間違いなく入場を断られるだろう・・・その高い体温でもって、真冬、零下まで下がってもヒヨコが生まれるのだ。養鶏初心者の時代、今から42年くらい前、利根川そばでの最初の田舎暮らし。縁側の下で卵を産んでいたチャボから5羽のヒヨコが孵化した。感動だった。

 1月24日。テレビはずっと、10年に一度の寒波襲来を伝え続けている。よって、厳しい天気を覚悟していたが、今日は薄日ながらも太陽が顔を出す時間もあって、ちょっと儲けた気分で仕事に励んだ。朝食している時、廊下の向こうからカチカチと音がした。顔を出したのはチビちゃんだった。ヒヨコ時代からの付き合いでもう5年。ヒヨコの時の名前をそのまま使い、立派な女性となった今もチビちゃんと呼んでいる。彼女にはちょっとした目の持病があって涙目になる。幼少のころからずっと、僕はアルコールティッシュで拭いてやっている。流れた涙が目の周りの毛を濡らし、その濡れた毛に土が付く。わずらわしいことだろう。ハサミを使って泥の付いた毛を切り落とす・・・だから、どのチャボとも懇意なのだが、チビちゃんとはとりわけ親しい。廊下から部屋に顔を出したチビちゃんを抱き上げる。そして言葉を交わす。どうだい、具合は?

 最初の田舎暮らしではチャボ以外に何種類か、普通の鶏のヒナを養鶏業者から取り寄せて飼っていた。それが最終的にチャボだけの飼育になったのは、頭が良いこと、意思疎通ができること、もっとわかりやすく言うなら、彼らが人間の言葉を理解するゆえである。次の写真は牛乳を飲んでいるところだが、「おーい、みんな牛乳だぞう」、僕がそう呼びかけると、かなり遠くにいても走り寄って来る。頭のよさは別の場面でもわかる。前に一度書いたように思うのだが、僕がスコップを手にして作業現場に向かおうとすると、気づいたチャボが何羽か後ろについてくる。少し遅れてさらなる数が、ヤマイモを掘る、ジャガイモを植える準備をする、そういった場所に集合する。スコップ→土の下から出てくる小さな虫・・・この連想が彼らの頭では働くのだ。

 チャボのことから少し離れて、ちょっと別の話題に転じたい。朝日新聞の夕刊「現場へ!」が昨日から「耕さない農業」の連載を始めた。2回目の今日は、不耕起栽培の教祖ともいえる福岡正信氏、その実践者のおひとり川口由一氏、さらに、以前ここでも触れた『土を育てる』の著者ゲイブ・ブラウンも登場している。チャボから離れてこれについて書こうと思うのは、僕には素通りできない重要テーマであるからだ。川口氏は田舎暮らしの本にも登場されているからご存じの方も多いだろう。僕は朝日の記事で初めて知ったのだが、川口氏は多量の化学肥料と農薬を使った農業を20年以上続け、体調を崩して農薬の危険性を知り、「耕さず、土を裸にせず、自然にまかせて余計なことはしない『自然農』を編み出した」という。

 記事にはある。「この農法は実際にやるとかなり難しいようだ。期待した収量を得られずにやめる農家も多く、一般には広がっていない・・・」と。少し乱暴な言い方になるが、そうか、耕さずともいいのか、草を取らずともいいのか・・・そう安易に考えて、まだ経験の浅い人が同じことをやってみようとするのは、例えば天才画家の魔術的な筆使いを真似てみようとするのと同じだと僕は思う。そう、福岡正信氏も、川口由一氏も“天才画家”なのだ。経験浅い者が真似できるレベルではないのだ。もしやるならば、一気に成果を求めたりせず、5年、10年という時間サイクルの中で観察を続けていくことだ。では僕自身はどうだろうか。草を取る。耕す。やっているのは朝日の記事とは正反対である。ただし、朝日の記事が記述する細部と重なるところはある。例えば、草は取るが、それをあちこちに積み上げ、腐食させるのだ。「耕さない農業」の第一回には、北海道長沼で日本人の奥さんとともに農場を営むレイモンド・エップ氏が登場する。氏は鶏糞や米ぬかを肥料とする有機農法をずっと続けていたが、耕作に関しては機械に頼っていた。そして、不耕起栽培に転ずるまで、ミミズは1匹もいなかったのだという。僕の場合は、草は取る。取った草を積み上げておく。これでもって、ミミズはもちろん、ダンゴムシ、ムカデ、ハサミムシ、クワガタやカブトムシの幼虫が繁殖する。当然ながら微生物も多くいるだろう。あと、うちには落葉果樹がいっぱいある。その落葉の上を日々チャボたちが動き回り、糞を落とす。これもさまざまな虫が発生する要因となっている。

 草を取らずとも野菜は育つか、収穫に結び付くか。野菜によるだろう、草の取り方にもよるだろう。これが僕の経験から言えることだ。朝日の記事には、大人の膝丈を超える草が生え、そこにエダマメが育っている写真が掲げられていた。現場を見ないとわからないが、そのエダマメの実入りにはバラツキはなかったか。みな同じように莢はふくらんでいたか・・・昨年の秋の経験を書いておこう。6月終わりにまいた大豆。それが花を咲かせ始めた夏の終わり、僕はすぐそばに聖護院大根を1列まいた。その結果は・・・聖護院大根と隣り合わせている大豆1列だけがほとんどカラ莢になったのだ。他の列の大豆は良い出来だったのに。聖護院大根の葉は大きく広がる。その葉で午前中の光が遮られた結果なのだ。草を取らずとも育つ野菜はあるだろう。しかし、全く草を取らずともすべての野菜が育つ、そうとは僕は考えない。

「高温多湿の日本は雑草が多く、除草剤なしの不耕起は難しいという声も依然として強い・・・」朝日の記事にはこうもある。そこでもうひとつ、我が農法について書いておこう。僕は果樹にも野菜にも、農薬、化学肥料、除草剤は一度も使ったことはない。どうしてなのか。24歳から18年間、医学雑誌の編集に関わった。その雑誌の常任編集者は東大、京大、阪大、東北大の教授連で、まさしく日本の医学界を引っ張る大物だった。内科、外科、産婦人科、小児科、精神科、全30巻から50巻というわが社の体系全集はいかなる僻地の診療所にも必ずあるという盛況の時代が僕の出版社勤務の頃だった。雑誌の執筆者に会うため大学病院にもよく出入りした。医学の偉大さはだからよく知っているはずなのに、僕はなぜか医者と薬があまり好きではない。

 どうしてだろうか。ガールフレンド「フネ」は僕を原始人と侮蔑するが、ここでも僕は原始人なのかもしれない。ひそかにつぶやくのだ。ふん、たかが粒や粉(クスリのことネ)だろう、そんなものがそうそう簡単に人間の体を治したり和らげたりするものか・・・まことにもって乱暴・低次元の思考を抱いているのだ。風邪を引かない、便秘もない、血圧も異常なし、そのせいでもあろうが、僕は風邪薬も胃腸薬も、クスリと称されるものを全く服用したことがない。今まさしく、異常寒波襲来でもって、テレビは懇切丁寧にヒートショック対策を教えてくれている。まず手足にお湯をかけて、入る前に水一杯を飲んで、浴室前に小さな暖房機を置いて、湯温は40度以下にして・・・この原始人は、午後6時半、気温5度の畑から直行、裸になるや45度の湯船に飛び込む。再び室温6度の居間に行って・・・。人体にとって大事なことは何か。骨や筋肉をしっかり動かすこと(口達者で無精者はいかん)。暑さ寒さを恐れずそれにどんどん体を馴らすこと。そして、野菜、果物、肉、魚、乳製品・・・毎日バランスよく食べること、他人の暮らしを羨まないこと・・・原始人はそう考えている。ついでに言うと、食の大切さを僕は若い頃から本能的に察知していた。次の写真は昨年春のこぼれ種から育った小松菜を夕食にするために準備しているところ。寒気に当たった小松菜はとろけるように美味。近頃は腸内細菌云々がしきりと言われるが、僕は感覚的に自分の胃腸内に収まるこの小松菜やほかの野菜の姿を思い描くことが出来たし、どのような働きをするかも想像することが出来た。田舎暮らしを始めて44年。果樹にとりついた毛虫も、キャベツにとりついた青虫も、ぎゅうぎゅうと手で握り潰し、真夏、地上温50度の畑で草取りもする。ついに農薬・除草剤とは無縁なまま今に至ったわけだ。文明人じゃなくって原始人・・・それも悪くはないぞよ、そう思うのである。

 1月25日。キビシイ天気である。雪はすでに昨夜10時に降り積もっていた。水道管も凍結していた。そして今朝は晴天だ。ただし、せっかくの太陽も効果なし。午前10時過ぎで気温0.5度。庭も畑も凍り付いている。そこでヒヨコが元気に走り回っている。生後3週間。この寒さの中で走り回れるのは母親のおかげだ。母親にも違いがある。短い時間で何度もヒヨコを体に包み込んで冷えないようにしてやる親。ヒヨコは泣いているのに自分の行動を優先する親。きめ細かなケアをしない母親のヒヨコは虚弱になってしまう。だから僕は常に監視して、体力不足のヒヨコには手を差し伸べる。

 雪は昼過ぎに溶けた。ただし溶けた雪で畑は滑りやすい、のみならず、北寄りの風が強く吹く。少し早めに荷造りにかかろう。まずはヤマイモを掘る。先に書いたように、僕がスコップを手にしたのを見てチャボたちがいっせいに走り寄る。思えば、こんなに寒く、土が凍っていても、地中には何か食べ物がひそんでいるのだな。チャボたちの好物ナンバーワンは昆虫だ。セミ、バッタ、カマキリの生体を競って食べる。だが、その幼虫はさらに好きなようだ。人間世界では昆虫食が話題になっているが、うちのチャボたちはずっと昔からその実践をしている。

 荷造りの合間、陽が高くなったので、気温は低いが光を入れるために人参の防寒カバーを外しに行く。種をまいて半月ほど。ビニールトンネルの上に厚手のビニールをかぶせ、さらに夕方には古い布団をかぶせる。そして今日・・・ビニール越しに中を覗き込む。見えにくい。頭を入れて見られるのなら簡単だが、寒気の完全防止のためにビニールの裾にはガッチリ土が盛ってあるのだ。ホコリをかぶったビニールに目を近づけて観察する。トンネル内にはさまざまな草が生えている。だから僕の観察はその区別から始まる。発芽したばかりの人参はキャベツや大根みたいに葉は丸くなく、しかも細い。多数生えている草の中からその姿を探し出す。おお、あったぜ。1センチ間隔に埋めた種、その三分の一くらいが土の下から顔を出している。感激の一瞬だ。凍り付く日々なのである。そこをなんとか、僕も、人参も、乗り越えようとする。百姓の苦労、そして訪れる幸福がこの瞬間にある。

 映画について少し書きたい。2006年、長崎俊一監督作品西の魔女が死んだ梨木香歩による同名の原作は94年刊行のロングセラー。僕はこの原作も映画も知らずにいたのだが、たまたまテレビ放映での予告編が鶏の出てくる場面で、これは面白いかもしれないと、録画しておいたのだ。繊細な感情の少女が学校に行きたくないと思うようになる。母親は自分の母のところに娘を連れて行く。少女にとっての祖母は英国人。英語教師として日本に来た彼女は日本人男性と結婚する。夫はすでに他界し、今は独り森の中に暮らしているという設定だ。高原の美しくさわやかな風景。住まいも瀟洒。住まいの壁際にはきれいに整えられた薪が積み上げられている。先ほど書いたように鶏がいて、野菜が栽培され、イチゴ園が広がり、薪を燃やし、そのイチゴで祖母と孫娘は語らい合いつつジャムを作る・・・。田舎暮らしとしては超一級の風景だと言ってよいだろう。少女はその暮らしの中で穏やかな心を取り戻す。鶏はあくまで物語のわき役にすぎないが、それがいるといないでは観る者の情感が大きく違ってくるだろう、僕はそう思った。犬もいい。猫もいい。鶏というのは犬や猫ほど人間には「ベタベタ」せず、どちらかというと不愛想なものだが、高い木々があり、菜園があり、季節の花々が咲き競う、その風景にそぞろ歩きの鶏が加わる。するとぐっと深みが増してくるのだ。思えば、卵はほぼ毎日食卓にのぼるが、それを産む鶏に接する機会というのは都会に暮らす人々にはほとんどない。夜明け、コケコッコーと鳴く雄鶏の声で僕は目を覚ます。夜更かしをした日にはこのコケコッコーはちょっと迷惑だが、なあにかまわない。彼らは彼らで人生を謳歌している、今日も元気に行こうぜと夜明けの風に向かって叫んでいる・・・かくして、起床ラッパのごときコケコッコーで原始人の1日は始まるのである。

 1月26日。やはり冷え込みキビシイ朝である。あらゆる物が凍結している。面白い風景をお見せしよう。少しわかりにくいが赤く見えるのは金魚とメダカの池である。それが結氷している。ふだんチャボたちはこの金魚の池の水を飲む。今朝もそのつもりで行ったがコチコチだ。それでも朝日を受けた表面はかすかに溶け始めていたに違いない。チャボたちはそのかすかな水をくちばしを横滑りさせるようにして飲んでいる。僕が思わずガンバレと声援を贈ったのはヒヨコだ。母親の後を追ってこの池によじ登ったらしい。周囲の大人の真似をしてなんとか水を飲もうとしたのだろう・・・可愛いではないか。

 今日はちょっとしたアクシデントがあった。井戸ポンプが回りっぱなしで止まらない。ポンプは回っているのに台所も風呂場も、蛇口をひねっても水は出ない。つまり、車で言うと、アクセルを踏み続けてカラぶかしを続けているようなものだ。修理道具を手にして僕は分解する。構造がわかっているわけではないが、以前故障したとき、あれこれを触っていたら動き始めた、だから今回もなんとかなるだろう・・・しかしどうにも手ごわい。途中ランチで休憩し、再びトライした。のべ1時間半を費やしても状況は変わらなかった。もうオレの手には負えない。今夜は煮物も風呂も、雨水を貯めているタンクから汲もう。明朝業者に電話して来てもらおう。またカネがかかるなあ・・・。修理はあきらめて、やや重い気分でビニールハウスの作業現場に向かった。

 その時だ。草に覆われた奥の方から激しい水の音が聞こえる。なんだ・・・そうか、問題はここにあったのか。我が家の元の家主は火事で住んでいる家を失った。新築されるまでしばらく掘っ立て小屋みたいな家に暮らしたらしい。そこに母屋の場所から水道管を引いた。僕はその地下から出てきた水道管の存在を、偶然スコップ仕事をしていて知ったのだ。ただし、その水道管はふだんは使わないし、めったに足を向けない場所にある。寒波で水道管を凍結させないようにと、台所や風呂場は入念に対策をしたのだが、この破裂したものには全く意識が行かなかった。不運なことに、風呂や台所の管よりも、破裂したこいつはうんと太い。そこから夜通し水が流れ続けたのだ。よって井戸ポンプの地下部分には水はゼロ。ポンプはなんとか水を汲み上げようとひたすら無駄な稼働をしていたわけである。問題が解決し、風呂から上がっていつもの安物ワインを飲んだ。うまかった。地中に埋まった水道管の破裂に気づかぬままであったらかくも晩酌に気分よくは酔えなかっただろう。

 1月27日。昨日までよりはほんのわずか冷え込みはやわらいだようだ。しかし暗い空。昼頃には小さな雨が落ちてきた。さて今日はチャボたちの産卵について詳しく書いてみよう。産卵は季節の光に作用される。秋の半ば、冬至に向けて日照時間がだんだん短くなるにつれて卵の数は減り、冬至を過ぎると少しずつ回復する。この性質を是正するため、昔の大規模養鶏場では夕刻に照明をつけていたようだが、今はどういう対処をしているのだろうか。この上の写真は玄関風景だ。野菜箱にはすでに2羽のチャボが腰を下ろして卵を産もうとしている、手前の黒いのは場所があくのを待っている。野菜箱は産卵用に置いたものではない。ふだん、サトイモやジャガイモや生姜が入っている。そこにチャボたちは目をつける。外敵に狙われない、奥まっている所、さらには深い穴状になっているもの、それが卵の安全に適していると考えるのだ。ちょっと笑えるエピソードを追加する。夜には当然、玄関扉を閉める。僕が扉を開けてやるまでチャボたちは上の写真の野菜箱にはたどり着けない。そう早い時刻には産卵しないのが通常ゆえ、それでもかまわない。ただし時に・・・前夜夜更かししたとか、すごく疲れているとかで僕はまだベッドの中。そしてたまたま、いつもより早い時刻に産卵を催したチャボがいるとする。彼女はいったん玄関扉の前に立ったが入ることはできない。どうするか、ぐるっと方向を変えて歩き、僕が寝ている部屋の雨戸をくちばしでトントンとやり、コッコッコと鳴く。玄関がしまったままだよ、寝ている僕にそう知らせるのである。おお、すまんな、すぐ開ける。チャボの頭の良さがこれでもわかるだろう。

 このような結果、チャボたちは我が家の中にどんどん入って来るようになる。パソコンのある居間、寝室、押し入れ・・・以前は部屋の汚れを気にして追い出したりしていたが、いつからか、まっ、いいかと思うようになった。ひとつのキッカケはハヤブサの襲来。庭や畑で遊んでいるチャボをハヤブサが急降下して襲う。木の下や軽トラの下に身を隠すものもいるが、いちばん間違いないのは家の中に駆け込むことだ。彼らの恐怖を軽減するなら部屋の中が泥や糞で汚れたってかまうものか。ということで、うちの廊下はこんな具合になる。

 この次の写真は夕刻の風景だ。ここはれっきとした客間仕様。花瓶のひとつも置けば風流であろう床の間もある8畳の部屋である。しかし現状、その主な用途は冷蔵庫がふたつあり、太陽光発電のバッテリーが6つとインバーターが並ぶ、袋に入った野菜もある。僕にとっては倉庫みたいなものなのだが、その部屋で昨年夏9羽のヒヨコが生まれた。ヒヨコたちは生後半月くらいはそこで過ごした。おそらく、この幼児体験が記憶にあるのだろう、成人しても住処とし続けた。写真に写っている四角状は旧家主が仏壇として使っていたところ。横並びしているのは今は5羽だけ。体の小さいうちは9羽が横並びに寝ていたが、だんだん息苦しくなったのだろう、4羽は軒下の方に移動した。愛らしいヒヨコだった彼女たちも今は立派な成人だ。チャボは6カ月で産卵年齢に達する。正月になってから毎日卵を産んでくれているのである。

 晩酌しながらTBSテレビで、へぇーと思うような面白いニュースを観た。アメリカでの話。カリフォルニア州では今、卵ワンパックが730円するそうだ。それでもって養鶏場直販は大人気で少しでも安い卵を手に入れようと車の長い列も出来るという。面白いのはここから先。鶏のレンタルが人気だというのだ。もともとは一時的なペットとしてレンタルしていたが、今では少しでも安く卵を手に入れて食べたいと考える人がいるらしい。でもねえ・・・採算は取れるのだろうか。テレビのニュースによると、飼育小屋、餌代などで半年間に7万円くらいかかるとか。単純計算して1日400円の卵代になる。でも物価の高いアメリカならこの値段は容認できるのかな。ペットとしての役割も果たすとなればペイする金額なのかな。さて、この先、日本でも卵の値段はどうなるのだろうか。

 1月28日。雪の朝である。前回の雪よりも少ないです、降っても一時的です、テレビはそう言っていたのだが、逆だった。前回の雪よりもずっと深い。トンネルもハウスも完全に覆われてしまっている。朝のランニングはゆっくり、慎重に行った。幸い注ぐ光は強いから昼までにはすっかり雪は解けてくれるのではないか。

 外の雪を眺めながら朝食とする。卵3個の目玉焼きだ。卵の下に見える緑はタアサイ。タアサイは12月、ハウスの中にうんと密にまいた。それをすでに3か所、何百本も移植したが、まだまだ込み合っている。しかし、込み合って小さいこのタアサイはサラダで食べると食感がすこぶるよろしい。お客さんに毎回タップリ送るとともに、自分でもこうして朝食に食べる。

 この先、卵の値段はどうなるだろうかと昨日書いた。千葉県内では一昨日、また鳥インフルエンザが発生し殺処分が行われているとニュースは伝えている。厳格な対処がなされているはずなのに、ウイルスというのは手ごわいやつだなあ。鳥インフルエンザウイルスはシベリア方面の大陸から飛来する渡り鳥によってもたらされる。そのウイルスは日本の野鳥あるいはネズミなどを媒介して鶏舎内に侵入すると言われている。だから、家畜衛生を扱う行政は徹底的な防除を呼びかける。ネズミ1匹入り込まぬよう鶏舎を完璧に金網で囲うこと。飼料搬入などで農場に出入りするトラックや、運転手が履く長靴なども消毒すること・・・。万単位で飼育する養鶏専門農家に比べると、わずか50羽という我がチャボ飼育はお遊びみたいなものである。しかしそれでも飼育していることには変わりなく、県の家畜保健衛生所に登録してあり、どこどこで発生しましたと、全国からの注意情報が頻繁に書面で僕に送られてくる。一度うちに来訪した担当者は庭を走り回るチャボを見て少しばかり顔をしかめた。そして提案されたのが、上の部分、すなわち空中にざあーっとネットを張り、野鳥が侵入しないよう対処してはどうかという案だった。5×10メートルくらいならなんとかなるかもしれない。しかし現実にはチャボの行動範囲は40×40メートルくらいに及ぶ。不可能である。

 全く野放しの我がチャボたち。それに鳥インフルエンザはもちろん、他の病気も全く発生しない。ハヤブサに食い殺されるものを除き、みな天寿を全うする。対して万単位の大規模養鶏場では、さっき書いたように完璧ともいえる防御態勢が整えられていながらインフルエンザの発生は途切れることなく、全国各地で毎年繰り返されている。なんとかならないものだろうか。そこで、これまた原始人たる男の思考であるかもしれないが、ニワトリにも集団免疫を獲得させてはどうだろうか。そんなことをふと思いついた。中国ではほぼ全員といってよい人がコロナに感染した。どうやら集団免疫が獲得されたらしいという。日本でも今、2類から5類への格下げが決まり、ありふれた感染症という認識に移りつつある。

 鳥インフルエンザに感染した鶏の卵や肉を食べても人体には影響ない、これが専門家の意見である。それならば、怖いのは、感染がどんどん広がり、飼育する鶏が多数死に、やがて人間の食用である卵や肉が減ることである。そこで僕は考えるわけだ。現在の防御態勢ではどうやら防ぐことは出来そうにない。ならば、ニワトリたちの免疫力を向上させる、すなわち、人間にとってのコロナと同様、全員をいったん鳥インフルエンザに感染させる。もちろん相当数が死ぬだろう。しかし何億年という地球の歴史で、さまざまな天変地異に遭遇しつつも必ず生き残るものがいて、その遺伝子が次世代に受け継がれてきた。それと同じことは期待できないだろうかと。一定の数が急に死んだ場合、養鶏業者は行政の担当部署に連絡し、死んだ鶏の遺伝子検査を受けるというルールがある。たいていは数十羽が死んだ段階で連絡を入れているようだが、何百もがいる同一鶏舎の中で死んだのは数十羽で、僕の推測だと、すでに感染していながら死なないでいる、そういう鶏もいるのではあるまいか。人間のコロナ感染でも、高熱の出る人、味覚障害を起こす人がいる一方、さほどの障害もなく通常生活に戻れる人もいる。すなわち、個体差はかなりあるのだ。こうした観点で言えば、万単位の鶏の中で数十羽が死んだ、ただちに全員を殺処分するというのは必ずしも科学的な対処法ではない・・・。大規模農場で狭い空間に収められ、ひたすら卵を産み続ける鶏は、運動が足りない、光が足りない、緑餌も足りない、地面との接触もない、昆虫を追いかけて食べるということもない・・・それでもってストレスが蓄積する。ニュースが伝えるケージ飼いの鶏のトサカの色と艶はかなり悪い。日々の生活条件がこのトサカの色や艶に表れているんだろうなあ、テレビを見ながら僕はいつもそう思う。こうしたことを総合して考える時、僕には免疫力の低下が大きな原因で、鳥インフルエンザに対抗する根本的な解決法は鶏たちの免疫力を高めてやることではないか、そう考えるわけだ。乱暴な意見ではあろう、そんなことは無理だよと言われることだろう。しかし、現状のままでは、感染→大量の殺処分というイタチごっこの繰り返しが避けられない。このままではいつか、アメリカ並みにワンパック500円という卵の時代が来るかもしれない。

 1月29日。しびれる寒さの朝だ。昨日の雪は日陰にかなりの量が残っている。それが冷蔵庫の役目を果たしている。でも、光はタップリ、強くもなってきた。庭の梅10本、その蕾はすべてほころび、屋上庭園の鉢植えの花も朝日の中で味わいを増す。この花たちにとって外は寒いが受ける光はきっと嬉しいことだろう・・・そう思いながら、部屋に取り込んだ鉢植えの花を毎朝こうして屋上庭園に運び出し、夕刻にまた取り込むのだ。時にはそれを忘れることもあり、真っ暗な中でごそごそやったりもする。暮らしのそばに野菜がある、花がある、鶏がいる、そこに光が差す、仕事上がりの風呂が心地よく、珈琲とワインが美味い・・・人の幸せとはたぶんこれで十分。僕はそう考えるが、アナタはどうか。

 最近これらに新しいメンバーが加わった。猫である。こいつが初めて庭に顔を見せたのは昨秋だった。ヒヨコに手出しをするかもしれない。台所を荒らして鍋の残り物を食うかもしれない。実際、無理やりこじ開けようとした鍋が床に散乱することが何度かあった。だから当初は追い払った。そしてある時、こいつは道路沿いのビニールハウスを寝所としていることに僕は気づいた。だんだんと情が移って来た。ビニールハウスといえども12月以後の夜の気温は2度、3度だ。少しでも寒くないようにと、もう着られなくなった衣類を布団にしてやった。そして・・・盗み食いばかりじゃなく、ちゃんとうちでメシを食え。冷蔵庫からチーズを与え、鍋から豚肉を取り出して与えた。警戒心はまだ完全には消えていない。しかし、食べている間、背中を触っても噛みついたり引っかいたりはもうしなくなった。チャボとの信頼関係も生まれた。名前はブチとした。ランニングに出かける頃、ブチ、ブチと名前を呼ぶとやって来る。彼に朝食を差し出してから僕は走りに行く。

 きびしい寒さが続くが、春はもうさほど遠くない気がする。春が近いとなれば、やるべきことはさらに増える。今は日暮れが早いのでやむなく暗くなる5時半には仕事を終えるが、これから先、日没時刻に合わせて働くゆえに、労働時間はだんだんに長くなってゆく。そんな今日、荷造りの途中で包み紙としての新聞で本の広告が目に留まった。アンデシュ・ハンセン著『運動脳』(サンマーク出版)。広告が大きいからだけでなく、僕が作業の手を止めて見入ったのは、「私たちの脳と体はサバンナにいる」というリード文だったからだろう。

人類史を1日に短縮すると、インターネットにつながったのは午後11時59分59秒。

私たちはまだ狩猟採集民なのだ。祖先がサバンナで生き残るには「運動」が必須だった。

歩く・走るで私たちの脳が活性化し、集中力や記憶力が高まるのは自然きわまりないことなのだ。

 サバンナの暮らしをしているわけじゃないけれど、歩く・走るの「運動」が体の基本を作り、ひいては集中力、記憶力を高めてくれる・・・このことは以前から僕も実感している。脳力とか記憶力とか集中力とか、あるいは筋力とか骨力とか走力とか、そのファクターがばらばらに存在するのではなく、すべてがリングとなって連結し、ひとつの個体において常に回転している、きっとそれが人間という動物の姿なのであろう。たまたま百姓という職業を選んだ。たまたま機械を使わない人力オンリーの耕作手法を選んだ。その結果、僕はどうやら現代版「サバンナ」で暮らしているような気もする。時々ついさっき手にしていた物を探し回るというヘマもやるけれど、集中力とか忍耐力の衰えを感じることはない・・・。午前10時半の気温は3度。よく晴れてはいるが昨日からの残り雪が冷蔵庫の役目をしている。それでもヒヨコは元気だ。昨日またヒヨコが誕生したのだ。母親に抱かれて卵が孵化するまで通常は3週間。しかしいつもより長いなあ、もうダメもしれない。そう思っていたが、一昨日かすかな声が聞こえた。寒波で母親の体温もいくらか低下した。孵化の遅れはそのせいだったのだろう。手の中に納まるほど小さな体。その体にとって気温3度はキツイはず。でも、母親の呼び声に従い短い脚を懸命に動かし、その後を追っている。命あるものすべては、生き続けるために全力を尽くす。我ら人間もそうでありたい。

 

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(9)人にはどれほどの金がいるか
https://inakagurashiweb.com/archives/9927/

(10)人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~
https://inakagurashiweb.com/archives/10432/

(11)心をフラットに保って生きる心地よさ~メンタルを健康に保つためのルーティン~
https://inakagurashiweb.com/archives/10864/

(12)周囲の生き物たちと仲良く暮らすこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11356/

(13)僕の家族のこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11953/

(14)独り身の食生活と女性たち
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(15)家庭菜園と人生における幸福論
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(16)人生の惑いをゴミ箱にポイするTips集
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(17)「生活」と「人生」
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(18)「生活」と「人生」(2)
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(19)定年後の田舎暮らしは難しいか
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(20)少子高齢化の未来
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(21)田舎の人付き合いは大変か
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(22)畑から見る東京
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(23)コロナ禍が意味するもの
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(24)男というもの
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(25)「良い」孤独、「悪い」孤独
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(26)生きる喜び、生きる悲しみ
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(27)畑の神様
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(28)気力・活力・体力
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(29)僕があなたに就農をすすめる理由
https://inakagurashiweb.com/archives/20212/

(30)土食う客人
https://inakagurashiweb.com/archives/21365/

(31)DIE WITH ZERO考
https://inakagurashiweb.com/archives/22634/

(32)冬の愉しみ
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(33)焚火の効用
https://inakagurashiweb.com/archives/24258/

(34)あかぎれと幸せ-年末年始の百姓ライフ
https://inakagurashiweb.com/archives/24742/

(35)冬と楽観
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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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