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田舎暮らしの本 6月号

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田舎暮らしの本 6月号

5月2日(木)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

ヒヨコの育児と少子化問題/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(42)【千葉県八街市】

執筆者:

 今回のテーマは少子化である。少子化が云々されるようになって久しいが、今日の読売新聞にも「出生率最低1.26」「出生77万人」「人口自然減79万人」という見出しが見える。官房長官は記者会見で「少子化の進行は“静かなる有事”として認識すべきものだ」と述べたとも記事にはある。なぜ生まれる子供の数が減るのか。僕は第一次ベビーブームのしょっぱな(1947年1月)の生まれだが、その当時の合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に何人の子供を産むか)は4.54だったという。たしかにどこに行っても子供の数は多かった。記憶を今たどってみると、子供がいない、もしくはひとりっ子という家庭はなかった。僕の母は5人の子を産んだが、どの家にもたいていそのくらいの子はいた。今よりはるか貧しい時代だったのに・・・。76歳となった今の僕は人間の育児には無縁だが、日々、ヒヨコの育児には追われて暮らしている。けっこう手を焼かされつつも愛らしいヒヨコたち。その顔や動きは我が精神を潤してくれている。そうした生活の中、人間世界における「静かなる有事」とされる少子化について折々考えてみようかと思のだ。

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 6月3日。「低出生率のわな」。とんでもない雨であった。夜中から明け方にかけて二度、雨音で目が覚めた。テレビはずっと線状降水帯という言葉を連呼していた。この下の写真は先々週の強風でめくれた雨漏り防止シート、それをセットしなおした時のものだ。その効果あって昨夜は雨漏りはしなくてすんだが、それでなくともすごい雨が、シートにたたきつけられて爆裂するような音となって闇の世界に響き渡った。

 起床時にも雨はまだ降っていたが静かな降りになっていたのでいつものランニングに出た。ふだんランニングの最後は墓地の坂道を何往復かするのだが、今朝は難儀した。周辺から集まった雨水が枯葉とともに激しく流れ下って来るのだ。でも腕を振って坂道を駆け上る。これで朝メシはうまくなるのだからな。帰宅すると、晴天の日ならば遠出するヒヨコたち(ゴトウ)が玄関に全員集合していた。そうだ。今回はいつも以上にヒヨコの話が出て来るから、その呼び名について説明しておこう。現在うちにいて飼育歴40年になるのはチャボだ。チャボは東南アジアに赤色野鶏という起源を持ち、ニワトリの原種であると言われている。そのチャボ以外に4月14日から登場したヒヨコがゴトウ。入手先は岐阜県の後藤孵卵所。じつは、はるか30何年前、後藤孵卵所からヒヨコを仕入れたことがある。それを急に復活させる気になったのは、これまで書いてきたようにチャボの産卵率はとても低い。お客さんの要望になかなか応えられない。そして今、ウクライナ紛争による飼料高騰と鳥インフルエンザの影響で市場では卵の値段が高くなっている。世間は卵を渇望している。ニワトリの数を増やしてお客さんに喜んでもらおうか・・・それがゴトウを仕入れた理由である。

 午前中の天気がウソみたいに午後には強い光が照りつけてきた。ゴトウたちは日光浴を楽しむ。日当たりのよい、足元が濡れていない場所にみんなで集まり、くつろぐのだ。長く飼ってきたチャボとゴトウはどう違うか。生後1カ月で比較すると体重では2倍以上の差がある。ゴトウは知能指数も高い。僕がスコップを持って畑に向かうと、さあ虫が食べられるぞと後を追って来る。チャボの場合、それをやるのは大人になってからだが、ゴトウはそれを生後1カ月で覚えた。チャボのヒヨコは警戒心がとても強いが、ゴトウには全くそれがない。親の体温で生まれたものと人工孵化との違いというわけか。

 冒頭で触れた読売新聞の記事は、一面から三面に場所を移し、少子化の背景を詳しく分析している。経済の停滞、社会保険料の増加などによる現役世代への経済的負担感が出産への意欲低下に影響を及ぼしている。「出生動向基本調査」によると、独身者で、結婚したら子供を持つべきだと考えるのは、女性で36.6%、男性で55%だという。記事の中で僕が注目したのは次のことだ。低出生率が常態化すると、出産のできる病院や幼稚園など子育てに不可欠なインフラが維持できなくなる。子供が少ないことが当たり前の社会になることが人々の意識に影響して出産への意欲を低下させ、少子化が加速する。すなわち「低出生率のわな」に陥る・・・。

 6月4日。「鮎の寿命は1年」。すばらしい空である。輝く太陽光が降り注ぐ。雨の少ない夏は、それはそれで農家に負担をかける。しかし僕はカラ梅雨と言われるくらいが好き。たしかに、カラカラに乾いた畑に30メートルのホースを引っ張り回して水やりするのは苦労だが、来る日も来る日も雨ばかりという天気に比べたらそんな苦労はなんということもない。畑の野菜ばかりでなく、太陽光発電においても僕の心は猛暑を歓迎する。昨日までバッテリーの電気は減少を続けていたのだが、今日は一気に充電が進むであろう。そうそう。電力会社からの先月分請求額は610円だった。今月から来月にかけてはそうはいかないだろうが、なんとしても電気の確保。梅雨のわずかな晴れ間をなんとしても活用すべく、ソーラーパネルをふさいでいる木々の枝葉を懸命に刈り取るのである。

 晩酌しながらNHKのニュースを見て、いつもはそれでテレビを消すのだが、続いて始まった「ダーウィンが来た」という番組、そのテーマが鮎の産卵だというのでそのままテレビを見た。僕は昔から鮎の話が好きなのだ。産卵準備が整った雌が産卵を始めると10匹以上の雄鮎が集まり、自分の精子をかけようとする。なかにはせっかくの卵を食べてしまうふとどきな雄もいるらしいが、基本的には自分の遺伝子を次世代に継承させようとする男たちの本能の争いだ。産卵を終えた雌はまもなく命尽きる。野鳥の餌となる。1年しか生きないという鮎。なぜその寿命は短いのか。雌が産む卵は体重の3割にもなるらしい。産卵を終えた体はほとんど抜け殻状態になるのだ。卵から孵化した体長数ミリの稚魚はやがて海をめざす。親からもらった栄養分「卵黄」は3日しかもたない。遅くとも孵化した稚魚は1週間以内にプランクトンの豊富な海まで達しないと命が尽きるのだ。

 ニワトリにも鮎の「卵黄」に相当するものがある。孵化から3日間、ヒヨコは飲まず食わずでも生きていられるよう、親が産み落とした卵にはヒヨコの生存のための栄養分が含まれている。それを計算に入れた親鳥は、我が子をじっと抱いたまま動かない。そもそも抱卵態勢に入った親鳥は行動が制限される。餌を食べるのもトイレも1日1回だけで、それも大急ぎですませて卵のところに戻る。特に日中の気温が5度といった真冬には急ぎがさらに加速する。卵が孵化すると、その1日1回の餌とトイレさえも我慢する。ヒヨコをずっと抱き続けるのだ。おそらく、親鳥にとって最も厳しい時であろう。

 6月5日。「次世代を残すためにはどんなことだって」。昨日に続き晴天。最高気温は30度近いが、この時期としては湿度が低く、力仕事をして流れる汗はとても心地よい。あまり細かい手間を要しないサトイモ。それをいいことにほっておいたら草に取り囲まれた。いくらなんでもこのままでは。スコップで草を削り、サトイモの根方に土を盛り・・・そんなところにヒヨコたちが集合。チャボの親はどれも学習済みだが、このヒヨコたちは生後1カ月で僕のスコップ仕事→虫やミミズが出る、その相関を覚えた。その動作は可愛いのであるが、自分の行動が危険を伴うという自覚は全くなく、スコップの上から下からかいくぐり、なんともやりにくい。

 けっこうな汗をかき、池のそばでイチゴと午後の紅茶で喉を潤していて、睡蓮が咲いているのに気が付いた。春の初め、数株ある睡蓮がだいぶくたびれているようなので池から上げて、何日か水切りをした。こんなんで復活するかなあというくらい憔悴していたのだが、見事に復活した。嬉しい。ただし、この池で暮らしていた、毎日水面から顔を出し、僕と挨拶を交わしていたガマ蛙が5月以降、姿を現さなくなった。どこかに行ってしまったのか。ちょっと悲しい。

 今日も我が寝室でけたたましいチャボの鳴き声がするので行って見た。また産んでいる。5個目だ。下の写真。ちょっとわかりにくいが、ニンニクとタマネギの間に卵が見える。売り物にならない小さい品を籠に入れて、寝室にある背の高い棚に置いたのだ。黒いチャボはそれに目を付けた。前に、下着類が投げ込んである洗濯機に卵を産み始めたチャボのことを書いたが、彼女たちは、人目につかない場所、箱状になったもの、それをじつに巧みに見つけて産卵場所とする。親から受け継いだ自分の命を、今度は次の世代に引き渡す。すべての生き物に共通する生存の基本である。

 6月6日。「内密出産最後のとりで」。週間天気予報では晴れマークだったのに、今日は暗い空模様だ。畑の水分はかなり過剰。過湿で傷みがくるといけないのでニンニクをいっせいに掘り上げる。荷造り発送をすませてから次はポポーの葉ちぎりをやる。去年やや不作だったポポー、今年は平年の収穫がありそうだ。ポポーの葉は大きい。それがそのまま実にかぶさるといびつな形となるのだ。かなり手間のかかる作業だが、やれるだけやっておかねば。

 朝日新聞の元熊本総局に勤務していた女性記者が内密出産について書いている。熊本は、産んでも自分では育てられず、病院の担当者だけに身元を明かし、産んだ子をそこに託す「こうのとりのゆりかご」があったことでよく知られている。2007年の開設で、昨年までに170人の新生児が預けられたという。「こうのとり」の後を継ぐかたちで今は同じ熊本市の慈恵病院が内密出産という仕組みを設けている。法律的にはいくつかの問題点があるらしいが、僕はこうした施設が増え、法律的にも母子ともに保護されるのが望ましいと考える。日本では、生まれる子の9割は正式な婚姻夫婦によるものらしいが、ヨーロッパでは婚姻関係にあるかそうでないかの出産比率は1対1なのだという。せっかく得られた新しい命、いかなる事情があろうとも、それをじめじめした暗いエピソードとしてとらえるのではなく、社会全体の宝として受け入れるならば、アパートの部屋で独り出産し、コインロッカーや浜辺や公園に遺棄するという悲劇は避けられるだろうと僕は思う。

 ただしそれには、社会全体の意識の改革と、法律的な制度の確立が必要となろう。例えば当事者が学生である場合、出産のためと届ければ相当期間の授業料を免除し、復学を容易にする。会社員の場合、出産休暇の扱いとし、しかるべきのち、業務に復することを妨げない。この制度確立は難しいであろうが、もっと難しいのは正式な結婚からでない出産に対する周囲の理解であろう。でも、考えてみれば、婚姻という制度の中で妊娠し、出産することを基本にするのは人間社会だけだ。年齢、職業に関係なく、男女が出会い、交われば、女性はやがて妊娠する。その背景をとやかく詮索するのではなく、おめでとう、そう言って祝福、新たな命を歓迎する・・・そんな意識改革がなされればいい。ちょうど今、少子化対策として3兆円余りの国家予算が注がれるというニュースが日々流れている。それもいい。と同時に、若さゆえの「過ち」ととられがちな若い女性の出産を普通のこととして受け入れる意識改革と制度確立がなされたならば、人口減少という「静かなる有事」は、もしかしたらいくぶん解消されるであろう。生きているものが新たな命を生み出す。赤ちゃんパンダやタピオカを世間ではかわいいとしきりに絶賛する。それと同じように、いかなる事情があろうとも新たな人間の命の登場を喜び、受け入れる・・・世の中がそんなふうになればいい。

 書いていて、ふと思い出した。数日前のNHK「クローズアップ現代」でも少子化がテーマとされていた。そこで言う。「社会保障財政が逼迫、生活水準低下の懸念」もあると。そして、少子化問題を経済学の観点から研究している東大教授はこのようなコメントをしていた。

少ない現役世代で多くの引退世代を経済的に支えなければいけない。人口規模自体が少なくなってしまうと生産性が上がらなくなってしまう。結果、一人当たりのGDPも下がる。つまり一人あたりの生活水準が下がる・・・。

 僕はテレビを見ながら頭に別なことが浮かんできた。人口減少による都会と地方の格差、というより、地方の消滅というシナリオである。限界集落という言葉がいわれるようになって久しい。しかしそれでも、限界でありながら日本全国に古い集落がまだ残っているのは老人が元気で生きているからだ。しかしいずれその老人たちも消えてゆく。地方における不便さはさらに加速してゆく。集落とまではいかずとも、行政的に「市」や「町」を名乗っているところでさえも、若い世代の減少とともに、社会インフラが衰退し、鉄道さえも廃線になり、衰退するであろう。わずかな数の若者は、それをもって、今以上に大都市を目指すようになる。ふと気が付けば、多くの人でにぎわっているのは東京だけ、地方には無人のエリアが時間とともに確実に広がっていく・・・。このシナリオで怖いのは、曲がりなりにも、食料や生活財を作っているのは地方在住の高齢者。その高齢者がこの世から去り、若い後継者もいない。となれば、多くの人間でにぎわう東京にはどこから食料が届けられるか。今以上に海外産に頼るようになるのか。先ほどの東大教授が言うように、GDPが低下すると国際間における日本評価は下がる。果たして食料買い付けでの国際競争に勝てるのか・・・「クローズアップ現代」を見ながらそんなことを僕は考えたのである。

 6月7日。「私は何者か知りたい」。今日は夏日、いや猛暑日かもしれない。突貫工事で作ったハウスに昨夜来の雨がたまって大きく凹んでいる。それを修正するためにハウス内部で 1時間半ほど作業をしたが、全身が燃えるようだった。でも雨よりはずっといい。降り続く雨は、洗濯物、庭のぬかるみ、荷造りのやりにくさ、そしてヒヨコの世話。いいことは何ひとつない。

 荷造りの現場にヒヨコたちがやって来た。作りかけの荷物の段ボール箱に止まってくつろぐものもいる。仕事がちょっとやりにくいが、悪い気分じゃない。小さい体で懸命に、楽しそうに生きている。その楽しい気分がこっちにも伝わって来る。仕事の合間、クワをもぎ取って食べる。手の届く範囲は食べ尽くし、今は脚立に乗らないとならない。それにしても今年のクワは甘い。ここまでの糖度はいままでなかったことだ。

 晩酌しながら見た今夜の「クローズアップ現代」は「精子提供者のプライバシーと出自を知る権利」がテーマだった。具体的なケースとして30代の女性が登場する。彼女の父がある難病を発症した。将来自分も同じ病気に罹るかもしれないとの思いで、彼女はDNA検査を望んだ。ところがそこで初めて、父は生物学上の父ではないことを知らされた。なぜ今までそれを秘密にしていたのかという不満とともに、精子提供者は誰かを知りたいと切望するようになった。しかし、AID(非配偶者間人工授精)における精子提供者のプライバシーはいっさい明かさないという厳格な取り決めがある。

 そのことに、この番組に登場した女性は立ち向かう、何としても精子提供者、すなわち自分の生物学上の父はどんな人なのかを知りたいと強く願う。提供者のプライバシー保護か、出自を知る権利を優先すべきか。僕にはすぐさま判定はできなかったが、ただひとつ・・・感じたことがある。父親の男としての哀しみだ。自分の体には精子がない。よって夫婦の同意でもって他人の精子を受けて妻が妊娠、出産する。ここまでずっと幸福な家庭が保たれてきた。しかし、実の父親でないことが偶然から明らかになる。娘は実の父親は誰なのか知りたがっている。ここで、父の哀しみは、若いあの時、自分には精子がないという落胆から長い歳月を経て、あらためて深まったのでないか・・・僕はテレビを見ながらそう感じた。自分ならばどうか。無精子症と知ったら当然ショックだろう。それでも、子供を持って家族の姿を築きたいと妻が願えば同意するだろう。そして、できれば死ぬまでそのことは伏せておきたいと思うだろう。

 6月8日。「卵子の凍結保存」。昨日ほどではないが、まずまずの、布団も干せる空模様だった。しかし今日、梅雨入りが宣言され、週間天気予報に晴れマークはいっさいなし。そんな空模様でも喜ぶのは雑草だけだ。ひたすら草を刈る。熟期を迎えているビワの木の下もすごい。バサバサと刈り取る。そのついで、食べごろになっていそうな実を選んで摘み取る。

 ふるさとの記憶と直結する果物というのは誰にでもあると思う。僕の場合はビワだ。子供の頃、あちこちにビワの木があり、勝手にもぎ取って食べていた。口から吹き出した種はすぐに発芽した。だから強い果樹だというイメージがあったのだが、自分で栽培してみるとそうではなかった。ふるさと祝島では霜が降りるということがなかった。僕が初めて霜を見たのは東京に出て来た次の年の冬。当時住んでいたアパート近く、西武新宿線の線路の枕木が真っ白になっていて、それを雪だと勘違いした僕に、あれは霜というものだよ、そう教えてくれた人がいた。ビワは寒さを嫌う。マイナス5度くらいまで冷える当地ではちょっとキビシイ。それでも今年はまずまずの出来となった。仕事の合間、ビワを口に含みながらそっと故郷を想う。

 いよいよ梅雨入りとなれば、電力自給においてわずかな光も無駄にはできない。今日はソーラーパネルの邪魔をしているキウイ、クワ、ツルバラなどをバサバサと切り捨てる。そしてしばし休憩。クワの実を口に入れながら、ふと見ると、さっきまで使っていた剪定ハサミを置いた台の上でヒヨコたちがくつろいでいる。じつに活動的。僕が畑に向かうといっせいに後を追い、大騒ぎしてミミズを奪い合い、そして、しばし休憩となると、こうしてみんなでほどよい場所を探してくつろぐ。このゴトウ、皆さんがスーパーで見る赤卵を産む品種である。卵の色は親の毛色と一致する。白い毛の鳥が産む卵は白く、このゴトウのように赤茶色の毛は赤い卵を産む。では、全身黒という鳥が産む卵は何色? 答えは赤卵。そう、白い卵を産むのは白い鳥だけで、それ以外は赤い。ただし、赤いといっても濃淡の違いはある。

 いつも荷造りを終えた午後4時半前後、逃げ回るチャボのヒヨコをなんとか捕まえて、まずは牛乳を飲ませる。それから箱に入れてやる。生後1カ月までのチャボは自分で器の水や牛乳を飲むことが出来ず、親が先に入ってしきりと呼びかける段ボール箱にも飛び込めない。だから毎日、僕は夕刻の忙しい手を休めて捕まえて、水分を摂らせ、親の待つ箱に入れてやるのだ。小さいが、逃げ足だけは早い。しかも相手は小さいがゆえにわずかな隙間にももぐりこむ。それをなんとか捕まえようと奮闘して、ときには頭をぶつけて痛い思いをすることもある。捕まえたら決まって、体を撫でてやりながら僕は言う。いい子だなあ。のど渇いているだろう。さあこれを飲んでママのおなかの下で眠ろうな・・・これを日々繰り返すことで、やがて、僕が敵ではなく、優しいジイチャンであるということがわかってもらえるようになる。

 今日僕は、日本産科婦人科学会が卵子凍結におけるメリットとデメリットをまとめた動画を公式サイトに公開した、そういう記事を朝日新聞で読んだ。年齢とともに卵子の数が減る。卵巣の病気などにかかることもある。卵子の凍結はそれに備えられるメリットがある。他方、高年齢での出産は母体や赤ちゃんへのリスクが高まるというデメリットもある。産婦人科学会や生殖医学会では健康な女性の卵子凍結は推奨していないらしい。しかし、社員への福利厚生として凍結の費用を支援する企業は増えており、東京都は今年度、少子化対策の一環として関連予算1億円を計上したと記事にはあった。

 ニワトリの卵はまさしく1個の卵子。それにカルシウムの殻がついて体外に排出されるのだ。近くに雄がいて、交尾のチャンスがあれば、いわゆる有精卵となり、21日間、しかるべき温度を与えればヒヨコになる。チャボの場合、産卵を始めるのは生後6か月、成長の早いゴトウは生後5か月。では、いつまで卵を産み続けるか。僕の経験ではチャボは5歳までだ。それ以後も産むことは産むが数は減る。ならばゴトウはどうか。おそらく産卵可能年齢はチャボと変わりはないだろう。しかし、プロの養鶏業者の判定は厳しい。年間365個を産むことを前提とする。いくらか減ったとしても300個くらいが限度、それ以上はもう待たない。処分の対象となる。養鶏専門の業者に飼われているニワトリは生活環境に置いても過酷だが、経済の視点からなされる強制処分はさらに過酷である。

 6月10日。「男の弱体化、恋愛下手?」。今日もドンヨリとした、湿度の高い空模様である。しかし雨は降っていないのを幸いとし、草刈りに邁進する。この高温多湿を幸いとし、生育に勢いを増すのはなんといっても雑草。そして、畑の野菜でいえばサトイモとサツマイモ。逆に迷惑顔をしているのはブロッコリーとカリフラワーだ。

 ランチしながら見ていたニュース専門チャンネルがある事件を伝えていた。東京都江東区で女性がナイフで刺された。近くに男性の遺体と血の付いたナイフがあり、どうやら女性を刺した後、マンションから飛び降りたらしいと。近頃こうした、女性からの別れ話を受け入れられず野蛮な行動に出る男が増えたような気が僕はする。少子化とは直接には関係ない話だが、若い命がこうしたことで失われるのはもったいないことだ。我らの若い頃、女にフラレたら、安酒でウサを晴らすか、チーポンと麻雀で悲しい気持ちをごまかすか。なんにせよ、自分に魅力がなかったことを素直に承認し、思い通りにいかなかったからとて相手の女性に恨みや殺意を抱くなんてことはあり得なかった。幼児化が進んだ男が多くなった・・・というのは言い過ぎかもしれないが、男と女、うまくいくこともあり、ダメなこともある、そう考えられるのが大人であり、人間にとっての成長ということだ。

 この上の写真はうんと長く伸びたイチゴのランナー。僕が茶室と呼んでいる自作の小屋。その日当たりの良い南側に30センチ×150センチの木製プランターを取り付けた。6月の今は親株がしきりと子株を増やす時期。スペースさえあればランナーはプランターの土に定着しただろう。しかし狭い。広い空間を求めて外に向かった。ここは僕が庭から畑に向かう通り道で、毎日何度も、このランナーをかき分けるようにして通る。それにしても長いなあ。プランターから地面まで2メートル。畑のイチゴはここまで長くはならない。今日、ふと思ったのだ。もしかしたら、これほどまでに長いのは、この先にきっと土がある、新天地が必ずあるはずだからあんたたち、行ってごらんなさい・・その思いで親株がひたすらランナーを伸ばしたのではないかと。我が子を増やしたい一心で、自分のエネルギーをランナーに注ぎ込んでいるのではないかと。プロのイチゴ農家はランナーの最初の子株を一郎、次を次郎、三郎とたしか呼ぶ。僕がくぐり抜けている2メートルのランナーに着いている子株は今日現在で7つあり、もしかしたらまだ増える。その子株たちは根を張る土の当てもないまま根を伸ばし、宙に浮かんでいる、風に揺れている。せわしなくそこを通り抜ける僕は囁く。ちょっと待ってろよ。初秋の風を感じる頃には畑に植えてやれるから、その初秋まで、親が疲れ果てぬよう、僕は水と肥料を忘れず与えてやろうと思っている。

 6月11日。「こういう人がいることがとても嬉しい」。昨夜から明け方にかけて、またかなりまとまった雨であった。僕の1日は作業着と作業靴の選別で始まる。どれも濡れてはいるのだが、少しでも濡れ方の少ない靴やズボンはどれであるか・・・。湿ったズボンに足を通し、湿った靴に足を入れる。雨はキライ、猛暑が好き・・・そんな我が気持ちがわかってもらえるだろうか。参考までに。僕は昔から長靴を履かない。軽やかな足の運びは長靴では無理なのだ。急に思い立って木に登ることもあるが、やはり長靴では無理なのだ。だから何足ものランニングシューズのお古を作業靴として使う。それがみんな雨で濡れてしまう。

 今日、朝日新聞の土曜版「be」に登場しているのはNPO法人「アニマルライツセンター」代表理事・岡田千尋さん(44)という方だ。彼女が雄鶏を抱き、周囲に数羽の雌鶏がいる美しい風景の写真のわきには「動物の苦しみを減らすために」という大きな見出しが見える。雄鶏は誰かに捨てられたもの。雌鶏たちは、かつて身動きできないバタリーケージに詰め込まれ、卵を産ませ続けられていたものを、食肉処理される直前に保護したものだという。岡田さんは言う。来た当初はみんなぼろぼろだった。全身の毛が抜け、尻尾は骨がむき出し、ケージで体がこすれ、あちこちすり切れていた。「採卵鶏の生活がいかに過酷かわかります・・・」。

 そう、まさに過酷である。人間に例えればよくわかる。寝返りも打てない、方向転換もできない畳1枚のスペースに閉じ込められて、ただ食事を与えられるだけ。太陽の光は当たらない、土に触れることもない。アナタはそれに耐えられるか・・・。この過酷さを人間は平然とニワトリに強いてきた。すべては、大量の卵を確実に、安く、手に入れるためである。今でこそ高くなったと消費者には不評だが、10個パック99円という安さでスーパーの特売コーナーに並べられていた卵は、ニワトリたちに死と隣り合わせと言っても過言ではない過酷な生活を押し付けて得られたものなのである。

 4月14日に岐阜から30羽のヒヨコ(ゴトウ)が届いたころは、生まれて3日の体にはまだ朝晩が寒すぎた。僕は大きな箱に入れてパソコン部屋に置き、箱の下に電気座布団を挟み、箱の上から少しばかりの空気穴を作る形で毛布を掛けた。庭に出したらすぐ野良猫に食われるから、日中は床に新聞紙を敷いて部屋の中で運動させた。思いもかけない偶然が生じたのは半月後のことだった。上の写真の黒いチャボはもちろん赤の他人である。しかし彼女は30羽のヒヨコに興味を示した。我が子を野良猫に取られて間もない時だった。我が子と間違えた・・・ということはあるまい。母性があふれ出たのだと僕は思っている。30羽のヒヨコに、背中に乗られ、おなかの下に潜り込まれ、まさに就寝時刻は彼女にとって「地獄」のようなものだったろう。しかし疲れたという顔も不満の表情も見せず、むしろ笑顔で、1カ月間、母親の役をしてくれた。今はどうしているか・・・ようやく子離れをし、ずっと休んでいた産卵を再開している。

 朝日新聞の記者に「バタリーケージにはどんな問題があるのか」と問われた岡田さんは次のように答える。少し長いが、多くのニワトリたちがどんな生活をしているのかを知るために、ぜひアナタにも飛ばさず読んでいただきたい。

ほとんどが身動きできない状態で飼育されているので健康にも影響が出ます。翼や脚の骨は平飼いに比べて確実に細くなります。また、ほかの飼育方法に比べて鶏の死亡率が高くなったり、内臓や糞からサルモネラ菌が検出される頻度が高くなったりするという研究報告もなされています。継続的にかかる強いストレスが原因と考えられています。ストレスはほかの鶏への攻撃行動につながるため、クチバシの切断も行われます。そもそも鶏は寄生虫を落とすために砂浴びを好み、1日1万回以上地面をつついて餌をさがし、止まり木にとまって眠り、群れで生きる社会性を持った動物。身動きできないケージに閉じ込めて飼育することは明らかに動物福祉に反しています・・・。

 僕は養鶏を始めてから43年間、岡田さんの言うマイナス面をすべて排除するかたちでニワトリたちを飼育してきた。結果として、自由に行動する彼らに発芽まもない野菜を食われる、ケージ飼いほどには卵を産まない、そんなデメリットもあるけれど、彼らの、健康で、楽しそうに生きる姿を目にすることが僕には一番の喜びなのだ。最後に付け加えておく。岡田さんの問題意識はニワトリだけに向けられるものではない。振り向くこともできない狭い空間(妊娠ストール)に拘束されて泣き叫ぶ豚、あるいは、人間のための化粧品開発において、動物たちが実験材料とされている知られざる現実、こうしたことにも彼女は鋭い目を向けている。すでに欧米ではニワトリのケージ飼いが禁止もしくは減少される方向にむかっているが、日本では9割以上が依然としてケージ飼い。岡田さんはこの問題点を広島でのG7サミットに合わせ声明として出したという。このような方がいることが・・・僕はとても嬉しいのだ。

 6月13日。「2025年以降、受診できない患者さんが増えてくる」。昨日の天気予報で、「晴れ間も少しはあります」と気象予報士は言った。少しかぁ・・・さほど期待はしていなかったのだが、なんと、いきなりの猛暑日となった。嬉しいねえ。心ときめかせつつ、洗濯機を回し、毛布を干し、濡れた靴をズラリと干す。洗濯物が優先で、物干し竿はいっぱいなので、15枚くらいある作業着は軽トラのボンネット、ワイパー、さらには郵便受けにまでひっかける。こんなことで心ときめくなどと言うと笑われるだろうが、ほんと、我が心はときめくのである。誰よりも太陽のありがたさを知る男・・・その自信がある。日々、濡れに濡れて働くからこそ、たかが靴や作業着を日に当てられるくらいで心ときめき、いっとき幸せな気分になるのである。

 そして・・・いきなり、唐突、大袈裟だが、人の一生の肝要とは、どれだけ心ときめく場面に出会えるか・・・ではあるまいかと僕は思う。ただし、人工的な場面は僕の場合、入らない。テレビがちょうど「SL銀河」のラストランの賑わいを伝えていた。例によって撮り鉄と呼ばれる鉄道ファンがカメラを抱えて大勢集まっていた。そして、ラストランへの悲しみをこぞって口にする。これまた例によって、「ありがとう、長い間ごくろうさん」の言葉をSL列車に向かって投げる。僕にはそれが、すべて予定調和だと感じられる。これが最後・・・という感動の舞台に自分も参加できている、それに酔っているように感じられる。場面がとても、人工っぽく思えるのである。その場にいる人たちの心はときめいているには違いない。でも、姿の見えない何かによる「やらせ」であるようにも思えて仕方がない。そんなことより、昨日も雨、今日も雨。濡れに濡れた靴や作業着が強烈な太陽の光でふんわり乾く。こっちの方がオレには「ありがとう、お日様、ごくろうさん・・・」の感動だよな。今朝は、梅雨の時期としてはサラリと乾いた風だった。それが木々の間を通り抜け、優しく僕の頬を撫でた。いつものランニングをしながら思ったのだ。いいな、いいな。元気で生きているっていいな・・・。ふん、そんなもの・・・笑われるだろうけど、日常の暮らしにときめきの微粒子がどれほど浮遊しているか、これが人生の大事なポイントだね。田舎暮らしにはその微粒子がいっぱい浮遊しているんだ。

 今日は発送荷物が2個。田舎暮らしの本のプレゼントコーナー、その当選者宛てだ。いつも、荷造りしながら想像する。この方は何歳くらいだろうか。どのくらい本気で田舎暮らしを考えているのだろうか・・・。野菜の説明として添える手紙にはいつも「田舎暮らしの夢が早く実現するよう祈ります・・・」そう僕は書く。折しも、ふるさと納税で定期注文をくださった方から相談を受けている。小学生くらいの子供さんがあるその女性はすでに小さな畑を借りて野菜を作っているらしい。いずれは本格的に自給自足に踏み出したいと考え、あれこれ物件情報を得ている。彼女から受けた質問は、大きくて立派な、いわゆる「ポツンと一軒家」みたいなのがあるのですが、中村さんはどう思いますか。あるいは、自宅と離れた場所にある畑に通ってやる農業というはどうでしょうか・・・。よほど周囲の風景がよく、たとえ古くとも、その建物が大きくて、骨組みがしっかりしているのならばポツンと一軒家も悪くはない。ただ、不便さに耐える心意気と体力がそれには必要だ。僕もかつて長野の山中に小屋を建て、そこから徒歩とバスで1時間半の街まで働きに出るということを考えた時代があったが、今ではここでの暮らしが正解だったと思う。電車に乗ることはほとんどゼロだが、駅まで自転車でゆっくり走っても25分。スーパー、ホームセンター、図書館、クロネコ営業所まで車なら10分か15分。なんの特徴もない、風景の点から言うとほとんどゼロ点の田舎町ではあるが、この距離ゆえに老人になっても暮らしていける。そして、自宅と畑との距離の問題。通い農業というのもけっこう世間にはあるが、やはり、玄関を出たらすぐ職場という便利さは捨てがたい。「通勤」にかかる時間がそっくり仕事に使えるのだから。僕はふだん、朝の見回りでサンダル履きのまま畑に向かい、そのまま草を取ったりすることもあるが、通勤農業ではそうはいかないだろう。

 今日は注目したニュースがひとつ。「超高齢化社会に警鐘」と、東京都医師会の尾﨑会長が記者会見で述べた。2025年までに団塊の世代がすべて後期高齢者になる。受診したくともできないという患者が増える。これからは自分で健康管理していくことが非常に重要になってくる・・・と。幸い僕は、自転車で走っていて車にぶつけられたとき以外、病院に行ったことはない。日常的なクスリの服用もゼロだ。3食日替わりでさまざまな野菜や果物を摂取する。フィジカルなトレーニングを欠かさない。たとえイヤなことがあってもズルズル引きずらないで楽しいことだけに心を向ける。これが我が健康法の柱だ。今日の朝食はアスパラとウドの若芽と人参をボイルして、シーチキンを加えた。

 6月14日。「孫はネコでいいや・・・」。雨は降らない。空は薄明りって感じ。脚立を引っ張り回し、今日はキウイとヤマモモの摘果に奮闘する。最も小さいものから順にちぎり取っていき、最終的に3割くらいを摘果する。キウイは単に大小サイズの問題ですむが、ヤマモモの場合、くっつき合っていると梅雨真っ盛りでの成長であるゆえカビが生えたり腐敗したりする。この摘果、思えば非情なことである。せっかくの子だくさんを、商品価値が減ずるという理由でバンバンと間引いてしまうのだから。野菜には原則こういうことはない。豆でも芋でもいっぱい出来たら単純に喜ぶ。果物だけが味わう哀しみである。そうだ、もうひとつ果樹のケアがあった。イチジクの場所に向かう。イチジクは摘果はしない。葉をちぎり取る。イチジクの葉はかなり大きいが、それがすっぽりかぶさった実は品質が悪くなるのだ。

 イチジクの葉をちぎると乳液みたいなものが出る。それにかぶれてしまう人もいるらしいが、僕は平気。そのイチジクの乳液で手をベタベタさせながら想い出したのが読売新聞「四季」で見たこの句。

母乳ってたんぽぽの色雲は春  神野紗希

世の中には思い込みというものがある。この句、母乳は白いと思い込んでいたのだ。赤ちゃんが生まれて、ちょっと違う色に驚く。思い込みから一歩出れば世界は驚きに満ちている(長谷川櫂氏の解説)。

 子育てはお金かかりますか? という見出しで、ファイナンシャルプランナーが解説している記事を読んだ。そこに意外な分析があった。夫婦の月収が102万円の上位家庭では子ども1人あたりの教育関係費は月額7万円。55万円余の中位家庭では2.3万円、34万円余の下位家庭では1.4万円なのだそうだが、意外だと思ったのは、高所得層が子どもにかけている金額を見て、平均以下の所得世帯が「子どもを持つのは無理だ」と考えるようになるというファイナンシャルプランナーの分析だった。そうか、少子化の背景にはそういう階級間の思惑も働いているのか。

  僕は冒頭、60年、70年前、貧しい時代だったのに子供の数は多かったという話を書いた。昔の田舎には塾や習い事をする所はない。学校の教科書さえ買えれば(買えない家庭では誰かのおさがりの教科書を手に入れた)、あとは三度のごはんを食べさせるだけですんだ。漁師の家庭ならば海からの魚や貝を、農家ならば畑からのイモや麦で子供たちは育った。中学を出ると10人中8人は都会の工場に就職し、給料からわずかながらも実家に送金し、暮らしを支えた。そうか、子供の少ない事情の背後にあるのはカネなのか。もしそうであるならば、首相の言う3兆数千億円の少子化対策はきっと実を結ぶだろう。

 もうひとつ、こちらは人生相談である。一つ目の人生相談は30代後半の女性。妊活するかどうかで悩んでいる。今の仕事はやりがいがあり、それなりの役についている。上司や先輩に頼られることが嬉しくて子どもは後回しにしてきた。しかし夫や義理の両親は子どもをどうするのかと聞く。自分でも欲しいと思い、30代後半では残された時間が短いこともわかっている。ただ、仕事が順調な時に産休・育休で職場を離れ、上司や先輩に迷惑をかけることに罪悪感があります・・・。

 二つ目の人生相談は60代の幼稚園教諭の女性。いずれも40代という息子と娘が独身だという。ふたりとも結婚願望はあるが縁がない。彼女の母親は孫たちの結婚を望みつつ亡くなった。これから先、我が家はどうなっていくのか。このままではご先祖様に申し訳なく、思い詰めて夜も眠れなくなります・・・。

 この人生相談に回答するのは増田明美さん。増田さんはまず、二人が結婚しないのは実家の居心地が良すぎるからかもしれないと言う。一人暮らしで明かりのない自宅に帰ってきて「寂しいな」と感じて結婚したくなることが自分にもあったから、まずは子どもたちに一人暮らしをさせてはどうでしょうかと言う。その次が面白かった。

私と弟、共に結婚していましたが子どもがいなかった時のこと。父が私と弟の前で飼い猫をなでながら「孫はネコでもいいや」と明るく言いました。それからほどなくして弟夫婦に子どもが出来たのです。自然体がいいです。子育てを終えたあなたがいつもニコニコ幸せに生きることがお二人に連鎖すると思います。

 6月15日。「江戸時代にも少子化対策はあった」。シトシトとした雨が降り続く。泥水を全身に浴びつつ、僕は淡々と作業をこなす。1月にポットまきしたカボチャはここまで成長した。百姓は野菜という我が子の成長を喜びとなし、明日という日に期待して生きる。そして、うっとおしい雨の空の下にも何か心の安らぎを得る。仕事の合間、アジサイの花の色が少しばかり僕の心をときめかせたのだった。

 少子化対策は現代だけでなく、江戸時代にもあったという。相次ぐ飢饉などで江戸時代の後半は人口が減少した。特に甚大な被害を受けた東北では、その回復のために対策が講じられた。例えば、出生児数に応じて金銭などの手当てを支給する出産奨励施策「赤子養育仕法」が実施されたという。また、天明の飢饉で領内の人口1万人を減らした二本松藩では1786年(天明6年)、11歳未満の子が2人いればコメ1俵、子の数が増えれば追加で米を配ったほか、衣類や金銭も給付したのだという。

 今日は荷造りを終えた後、ツルを伸ばし始めたサツマイモの周囲の草取りに励んだ。晴天が復活するという来週には勢いを増してツルを伸ばすだろう。その前に邪魔な草を退治し、さっぱりしておいてやろう。その作業で難儀したのはブヨの攻撃だった。午後6時頃の畑。いつもは蚊の出番である。しかし不思議なことに今日は蚊はおらず、僕を襲撃してきたのは大量のブヨだった。蚊と違い、小さくてほとんど目に止まらない。そうだとわかるのは、かすかな羽音と、刺された瞬間の顔が熱を持ち、あつくなることだ。相手は小さすぎて振り払うことも出来ない。キビシイ1時間余であった。

 さて、そろそろ今回のテーマ「少子化」の話をしめくくりとしよう。最後に引用するのは、以前触れた読売新聞の「子育てはお金かかりますか?」の続編である。8つほどの家庭の実例が示されている。そこで僕が意外に感じたのは、8家族中、3ないし4人の子がいる家庭が半分、4家庭もあったことだ。少子化とひとくちに言うが、もしかしたら、複数人の子がいる家庭と、単人もしくはゼロ人という家庭の二極化、さらには独身率の増加が進んでいるということなのではないか。読んでいて僕はそんな気がしたのだった。

 田舎暮らしや移住という観点から注目すべき具体例がひとつ。1男2女の父である内山祐介さん(40)は3年前、福岡県から妻(37)の故郷である大分県玖珠町に移住した。収入は下がったが、以前の2倍の広さの戸建てを半額の家賃で借り、保育料を含めて月10万円の支出が減ったという。福岡時代は毎日遅くまで仕事に追われ、妻のパート代は全て保育料に消えていた。懸命に働いてもお金はすぐに飛んで行き、子供たちと過ごせる時間も少なかった。しかし今は5時半以降はなるべく働かない。精神的にゆとりがあり、「豊かな生活ができていると感じる」、そう語っていた。

 自治体によって違いはあるが、子育ての負担を少なくする制度をいろいろ設けているところも少なくないようだ。そこに移り住むことによって複数人の子を産み、育てることが可能になる。喜ばしいことだ。地方を衰退させないという観点からも、対策を財政の厳しい地方まかせとするのではなく、国が後押しすることが大切であろう。この上の写真、岐阜から届いて2日目のゴトウのヒヨコたちである。育児にはずいぶん手間がかかった。水を与える、食べ物を与える。箱から出して運動させる。野良猫の侵入に目を光らせ、夜は寒くないようにと気遣う。それから2か月。人間で言うなら中学生から高校生だ。運動神経の良い何羽かは脚立を伝い、チャボたちが寝ている軒下まで登って行くようになった。野菜でも果物でもニワトリでも、幼少の頃は手間がかかり、何かと気遣いを要する。しかし、その成長にじかに接し、時には愛らしいふるまいに笑いさえ誘われたりするうち、いつの間にか苦労を忘れてしまう。子どもは欲しくない。自分の人生をゆるやかに楽しみたい。そう言う若い女性もいると聞く。そんな生き方も悪くはないが、子を産み、抱き、乳を飲ませ、成長の過程に触れることで得られる安らぎ、さらには自分自身の成長ということもあるように・・・僕は考える。

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

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【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

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