田舎暮らしの本 Web

  • 田舎暮らしの本 公式Facebookはこちら
  • 田舎暮らしの本 メールマガジン 登録はこちらから
  • 田舎暮らしの本 公式Instagramはこちら
  • 田舎暮らしの本 公式X(Twitter)はこちら

田舎暮らしの本 7月号

最新号のご案内

田舎暮らしの本 7月号

6月3日(月)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

深い眠りを得るために/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(41)【千葉県八街市】

 中村顕治

この記事の画像一覧を見る(34枚)

 今回のテーマは不眠。「不眠不休で働く・・・」これは、ちょっと古臭いがポジティブな意味合いである。しかし、眠りたいのになかなか眠れない。ようやく眠ったかと思うとすぐまた目が覚める。それはちょっと厄介である。その問題を解決する方法はあるのだろうか。あります・・・。即答。アナタも田舎暮らしを始めるといいです。そして日々、鍬とスコップを持って働く。次から次へと野菜や果物を作り、仕事を終えたらゆるりと風呂に浸かり、風呂から出たら自作の野菜の手料理を食卓に並べ、少しばかりのお酒を飲む。さてそろそろベッドへ行く時刻。読みかけの本を手にして布団にもぐり、何ページも読まないうちにウトウトしてきたから明かりを消す・・・さすれば間違いなく、深く、良質の眠りの時がアナタにだって訪れるでありましょう・・・。ハハッ、ずいぶん単純だなあ、ナカムラさんて、などと笑わないでネ。いかにもせっかち人間の僕らしく、ドバッと、いきなり粗削りの、いささか手前みその匂いもプンとする答えを出してしまったのであるが、でも、大筋においてこの答えは間違ってはいないはず。

 僕には眠れない夜はない。もちろん、妙に頭が冴えて、小一時間、明かりを消したベッドでラジオを聴くという日はたまに(年に数回くらい)ある。しかし原則、すぐ眠れる。明かりを消して、眠る態勢に入った時、わがなすべき流儀は、楽しいことだけを考えるだ。1月にポットに種をまいて、4月初めにハウスに植えたトマトが今日見ると一気に丈を伸ばして蕾を付けていたぞ・・・明日も快晴らしいぞ、何の種をまこうかな・・・ハウスのイチゴには明日あたり水やりしたほうが良さそうだなあ・・・そんなことを考える。ときには、締め切りの近くなった書きかけの原稿のセンテンスを頭の中でなぞり、ここはちょっと言葉を変えよう、なんて思ったりもする・・・それでいつしか僕は眠っている。むろん、僕にだって悩ましいことはある。しかしネガティブは切り捨てる。ネガティブは明るい昼間の時間だけ自分の意識と関わらせるのだ。真っ暗な中での「悩み相談」には良き回答はもたらされない。だから寝床の中にまでは持ち込まないのだ。そんなこと、無理ですヨ・・・そう言う人もいるかもしれない。頭を枕に乗せた瞬間、あれこれの問題が浮かんでくるのヨ・・・。しかし訓練だ。やれば出来る。夜は楽しいことだけを考える。そこで沸いてくる心地よさを少しでも知れば、僕の言う、この「ご都合主義」が身について、やがて、布団に入るや、即、明日の楽しい出来事を頭に浮かべるという条件反射みたいな習慣が出来上がる。ウソじゃない。お肌のシミやシワをいっぺんに取り去るとかいう美容液のCMの言葉にもあったね、「だまされたと思って一度使ってみて・・・」。それだ。だまされたと思ってやってみなはれ。不眠に悩むアナタにもきっと出来るから・・・。

 5月4日。気温が上がり、紫外線も強くなった。テレビは呼び掛けている。皆さん、どうぞ熱中症と紫外線対策にくれぐれもご注意を・・・。あえて逆説的なことを僕は言う。熱中症と紫外線への対策を過剰にやると眠れなくなる・・・。光は植物の生長を助け、人間の骨を強くするが、同時にそれは動植物に疲労をもたらす。でも必要なのだ、その疲労が。野菜で言うと、夕刻から翌朝までの低温が、昼間の、強い光がもたらしたその疲労をカバーしてくれる。疲労があるゆえ、暗くなると野菜は深く眠り、その眠りが次の日の成長につながる。人間もたぶん同じ。これまで何度か書いてきたが、5月から9月の初めまで、晴天の日には上半身裸になって僕は畑仕事をする。気象の専門家とか皮膚科の先生には何とアホなことをと叱られそうだが、すでにそれで数十年。何らの支障はない。熱中症になったことはないし、顔にシミもない。

 明日からしばらく天気はさえないようだから、作業着10枚、靴下30足を洗濯して干し、毛布6枚も干した。ついでに枕も干しておこうか・・・。この下の写真が枕だと言ったら、ええっ? という顔をする人もいるかもしれないね。長年使って来た枕。それが、綿がハミ出したせいもあって、ペタンコになった。僕は低い枕が嫌い。それで、ペタンコになった枕にバスタオルを2枚巻きつけて寝ていたのだが、寝ている間にズレてしまう。で、思いついた。ガムテープでグルグル巻きにすればいい・・・かくしてこの枕は使用5年。ときどき新しいガムテープで補修してやっている。

 アナタ自身のさわやかな睡眠のために・・・枕、布団、ベッド、さまざま洒落たものが販売されているようだ。深く心地よい眠りを誘います、そう謳う素敵な枕を見て、ああ、いいなあと思うことはあるが、手を出すところまではいかない。つい先日も「寝姿勢にフィットする新発想12本のスリットが入った〇〇〇」という枕の宣伝メールが僕のパソコンに入っていたが、値段はなんと16500円。買えないよ、そんなの・・・ミツバチ、太陽光発電、ビニールハウス・・・限られた家計において、枕の優先順位は低いのだ。僕の、早く眠りに入るためのポジションは体の左を下にしての横向きだ。右を下にする、あるいは上向き、それで眠ることもあるが、最もスムーズに行くのは左を下にした横向きだ。面白いのは、枕と顔の間に左手を挟み込むと僕はリラックス感が増す。

 ただし、僕は寝相が悪い。冬には布団と毛布、合わせて5枚を掛けるが、しばしば団子状態になってしまう。それゆえに・・・若い頃から・・・(余計な話かなと思いつつも)、隣の女性と朝まで一緒というのをしたことがない。事が終わったらさっさと自分の布団へ行くなんて、それは男として冷淡であるということはよく承知している。でも、自分の寝相の悪さを想うとまずいだろうという気がするのだ。相手方とて、朝までのびのび、手足を伸ばして眠りたいのではあるまいか。きっとそうだ。そんな気持ちで、ほどほどの時間経過をもって僕は「アドマ!!」(フランス語で「また明日」)と退散したのである。アメリカなんかでは、男と女はひとつのベッドで眠る、それがほとんど「義務」となっているらしい。別々のベッドで寝るのは家庭内別居と同義であるらしい。しかしねえ、寝返りを打つたび相手方には振動が伝わる。たまには、寝返りを打った瞬間の腕が相手の顔にぶつかるなんてことも・・・あるんじゃないか。となると、長い人生、健康には良くないんじゃないかという気がするが、狭いベッドでしか寝たことのない男の、これはひがみかな・・・アナタはどう思います?

 今日からソラマメを出荷することにした。一部にアブラムシが発生したが、全体としては豊作である。

 5月5日。眠りに支障のない我が暮らしであるが、たまに、僕の眠りを邪魔するものがいる。誰あらん・・・太陽光発電である。いきなりこう書いてもすぐには分かるまい。我が太陽光発電は10系統ある。そのうち、パソコン、照明、テレビ、炊飯器、レンジ、夏の扇風機、冬の電気座布団などに使うための7系統は就寝時刻にすべてOFFにする。残り3系統は、2つの冷蔵庫と1つの冷凍庫につながり、終夜稼働している。そのうちの1つがたまにアラーム音を響きかせるのだ。ふだんチェックはしている。インバーターが表示する例えば26ボルトを見て、よし、これなら朝までOKだなと。ところが、畑仕事でバタバタして、そのチェックを忘れることが月に1回くらいある。曇天の日、バッテリーの電気を使い果たすとインバーターはかなり派手なアラーム音を発するのだ。その音で眠りを遮られる。時計を見ると午前2時、あるいは3時。眼鏡と懐中電灯を探し、現場に向かう。空き容量のあるインバーターにコードをつなぎ変え、やれやれといった感じで再び布団にもぐりこむ。寒い冬の夜だったりすると、わずか5分のことといえども体は一気に冷えるが、起きたついでにオシッコをし、布団をかぶれば、またすぐに眠れる。

 5月6日。人生には思いがけないことが生じる・・・ちょっと大げさな言い方だが、今日の天気である。気温は高く28度くらい。そして・・・メイストームという言葉そのままに、すさまじい嵐がやって来た。風速20メートルくらいの風が吹き続ける。そこに30メートルくらいが一瞬まじる。これはほぼ台風と言ってもよいすさまじさである。それでもって3つのハウスが崩壊した。長い時間、風に吹かれ、外れかけたビニールにずっと撫でられ続けたりもして、倒れたり折れたりした作物は少なからずあり少々落胆した。

 そして、落胆よりも驚きだったのがこの上の写真。35年前に苗木を植えたプラム。高さ6メートル。扇のように広がった枝にものすごい風圧がかかったのだろうか。根が浮き上がった。木は45度傾いた。傾いた先にイチゴのハウスがあった。そのパイプをひん曲げ、ビニールを突き破り、止まった。当然ながら、なっていた実の多くは落下した。うーん、これはすごいことになったぞ。無念さはもちろんあるけど、傾いたプラムの木。これまでは長い梯子を掛けて空中で危ない収穫作業をしていたが、来年からは低い脚立ひとつでもぎ取れるかもしれない・・・みたいなことを考えて、とりあえず僕は今日の荷造り作業にとりかかる。

 ビニールの掛かっていない、露地のイチゴの草取りと収穫を並行していた時のことだ。目の前で小さな紫色の花が風に揺れている。さてこれは雑草なのか、どこからか育てている花の種が飛んできたものか・・・。野菜には自信はあっても、花の名には疎い。でも、この紫色の可憐さにはひきつけられた。僕は今、朝井まかて著『ボタニカ』(祥伝社)を読み進めている。テレビドラマにもなっているらしいが、物語の主人公は牧野富太郎である。幼少のころから意識を身辺の植物にひたすら向けて、数限りない文献を読み、その必要性から英語の学習にまで踏み出す富太郎の情熱に読んでいて圧倒される。作者の筆力にも僕は感嘆する。

 荷造りを終え、午後4時、もうひと仕事する前にヒヨコたちを小屋から玄関の箱に移す作業をする。岐阜の後藤養鶏から4月14日に届いて20日。体はひとまわり大きくなり、ジャンプ力も高まってきた。少し前までは、高さ30センチの箱に入れたらおとなしくしていたのに、今では軽々と飛び出すものもいる。でもこの成長は嬉しい。手間とカネはけっこうかかってぃる。食べさせているものは、トウモロコシ、煮た魚、パン、菜っ葉類、それに牛乳。これに加え、小屋の中の土をスコップで掘り返しておいてやると、自分たちで土の中から虫を探し出して食べている。

 ヒヨコたちを玄関の箱に収めてから急ぎサツマイモの現場に向かう。すでに150本を植えたが、あと50本をどうしても今日中に植えてしまいたい。日没までに2時間。なんとかなるだろう。イモ苗を差し込む位置にまずスコップを入れて柔らかくしておく。続いて深さ60センチの溝を掘り、掘った土を畝に投げ上げる。溝はビニールマルチの裾を埋め込むためのものだが、それだけじゃない。わきの竹藪から侵入してきた竹の根っ子を根絶するためでもある。たった1本の根っ子でも、太いやつだと叩き込むスコップの回数が10回に及ぶこともある。午後6時、マルチを掛け終えた。空腹と疲労感で少しばかり足元がふらつくが、それを上回る達成感がある。今夜もよく眠れるぞ・・・そこで、思い出す。友人・大岡昇平にあてた献呈詩だという中原中也のかなり乱暴な詩、「玩具の譜」。

俺にはおもちゃが要るんだ

おもちゃで遊ばなくちゃならないんだ

利得と幸福とは大体は混ざる

だが究極では混ざりはしない

おれはおもちゃで遊ぶぞ

おまへは月給で遊び給へだ

おもちゃで俺が遊んでゐる時

あのおもちゃは俺の月給の何分の一の値段だぞと云ふはよいが

俺はおもちゃで遊ぶぞ

一生懸命おもちゃで遊ぶぞ

贅沢なぞとは云ひめさるなよ

おれ程おまへもおもちゃが見えたら

おまへもおもちゃで遊ぶに決まってゐるのだから

 ここでの「おもちゃ」とは、なかなか評価を得られない中也自身の詩作を揶揄したものだろうと読売「編集手帳」の筆者は書いていた。そうか、おもちゃか・・・ならば、オレにとってのおもちゃとは何であるか・・・言わずと知れた、畑、野菜、果物、チャボ、ヒヨコである。ええっ、自分たちはどうなんだ・・・そうひがむといけないので、猫のブチと、水槽の中のウナギ、ドジョウ、金魚、ついでに庭のプールにいる蛙も付け加えておこう。これらすべてが我が人生を構成する玩具で、それなしでは百姓物語は成立しない。この玩具たちと日々「遊び惚けて」、それでもって夜はよく眠れるのだ。そして僕は、ふと思いついたのだ。中原中也の詩に少しばかりイタズラ書きをしてみる気になったのだ。

贅沢なぞとは云ひめさるなよ

おれ程おまえも「田舎暮らし」が見えたら

おまへも「田舎暮らし」で遊ぶに決まってゐるのだから

 5月7日。昨日は強風、そして今日は音を立てて降る雨。テレビはしきりと言っている。気温の変化が大きいですから、皆さんどうぞ、体調管理にお気をつけて、風邪など引かないように・・・。雨の中、仕事の段取りを考えるため畑を一巡する。敷いてやったムシロの上で、カボチャが雌花の一番花を咲かせている。だいぶ雨をためているが、なんとかなるか・・急ぎ雄花をちぎって来て授粉させてやる。1月に種をまいて、3月にハウスに定植して、ここまでで110日。初物収穫は6月20日頃になるか。

 激しい雨の中、昨日の強風で崩壊したハウス3つの修復にとりかかる。修復といってもこの悪天候だ。そう簡単には元に戻せない。ただし、倒れたパイプ、ちぎれたビニールの下敷きになっている作物はほっとけない。ニンジン、トウモロコシをまず救い出してやる。そして最後は、この下の写真のハウスだ。このハウスにはソラマメ、イチゴ、キャベツが混在している。見るも無残な姿だが、さほど落胆もせず、良い方に僕は考える。近々ビニールを外そうと思っていたから、手間が少なくて済むじゃないか・・・と。ただしこのままではまずい。転倒したパイプ、垂れ下がったビニールがキャベツにもイチゴにもかぶさっているのだ。出荷作業を兼ねて、パイプをどけ、ビニールを引っ張り上げ、ソラマメとイチゴを収穫した。そして大いに濡れた。午前と午後で、洗濯機に投げ込んだ汚れものは総数15。体がだいぶ冷えて、ふだんより1時間早く午後6時には風呂に飛び込んだが、なんとも心地よかったね。雨の中での労働。熱い風呂。そして晩酌。シンプル・イズ・ビューティフル。今夜もきっとよく眠れる。

 荷造りの時に目にした読売新聞の人生相談「初恋の人に50年会い続ける夫」に関して少しばかり。投書者は70代の主婦。夫は田舎に帰るたび土産を持って中学生の頃の初恋の人に会いに行く。妻が「会わないで」と言っても、会いに行って何が悪い、悪いことはしていない、お前には関係ない、そう開き直るのだという。「彼女は素敵な人で、今は独り暮らしです・・・」そう妻が言うところから推測すると、3人とも同じ田舎の出身ということか。

私は数十年前に癌になり、今は胃にポリープが出来てふさぎ込んでいます。毎晩寝る時、彼女の顔が浮かんで涙が出ます。動悸もしてきます・・・。

 辛い夜であろう。病気を抱えている身には深くゆるやかに眠れないことがいちばんまずい。妻をゆるやかに眠らせてあげることが夫から妻への最上の愛ではないのか。それにしても50年とは長いなあ・・・。相談への回答者は哲学者・小川仁志氏。冒頭言う。人の心は簡単には変えられない。変えられるのは自分の心だけ。イライラせずに、心穏やかに過ごしたいなら自分の気持ちを変えるより他にありません・・・。そして小川氏は、「世間ではなく自分自身の評価によって価値を決める」、そう唱えたニーチェの言葉を引く。最後に、夫は夫、自分は自分という考えに向かうことを相談者に推奨する。

 50年とは何とも長すぎる。この点で妻の苦しみに僕は同情するが、他方で、こんな気持ちもある。何十年と連れ添ってきた夫婦の、互いへの最後の愛とは「束縛しない」ことではないか。人間、60年、70年生きてきたとて、人の世がいかなるものか十分に知ることはない。自身の人生とて、じつは、ほとんどわかっていない。そもそも、男にとっての女とは、女にとっての男とは・・・二人や三人の相手と付き合ったくらいではわかりはしないのだ。その、ほとんどわからない自分の人生を、いくらかでもわかるようになりたい、死ぬ前に。この、わかるための手段のひとつが、過ぎた時間を巻き戻すことだ。中学時代の初恋の人に会うのもその手段のひとつと考えられないことはない。70歳を超えた今の相手を見て、ああ、やっぱりオレが好きになった人だ、素敵だ、そう思うかもしれない。逆に、こんな人にオレはよくもあんだけの熱を上げていたものか、そう思うこともある。なんにせよ、無駄ではない。夫婦ふたり、ベッタリくっついている家庭の中からは見えなかった人生のいくらか断片が、それによって見える可能性があるから。ひとつ間違うと、この人生相談の妻のように苦しむこととなるが、夫は夫、自分は自分という心境になれたらプラスの方が大きいし、夜の眠りは深くなる。そして、ひょっとしたら、深い眠りを得た妻の顔にゆるやかさが見てとれるようになったら、「お前には関係ない」と言っていた夫にも変化が生じる。夫は台所に立って料理を作り、妻に美味しいお茶をいれて届ける、そんな変化だって・・・起こるかもしれない。

 過熱、コーフン、束縛、猜疑、干渉。人生とはこれらの言葉を螺旋状につなぎ合わせた帯かもしれない。その帯の先端に悲哀があり、ひょっとしたらその悲哀が不眠につながる。体の冷え性は不眠と関連するという医学的な見地があるが、「心の冷え性」もやはり不眠とつながるのではないか、僕の推察である。

 5月8日。まさかまさか、3日続きの災難になるとは。昨夜からずっと激しい雨なのである。昨日夕刻、いったん雨は上がった。それが、夕食をすませたあたりから舞い戻り、深夜には屋根瓦を叩く派手な音となった。今朝になってもまだ降り続いていた。総雨量は150ミリだとテレビが伝えている。これではヒヨコたちは外に出せないな。狭いが、しばらく玄関でがまんしてくれ。ヒヨコの世話をしておいて、重装備で畑に向かう。出荷用のソラマメ、エンドウ、イチゴを取りながら強風で倒壊したハウスとトンネルを少しずつ修復する。ナス、キュウリ、ズッキーニ。朝の気温はまだしばらく10度そこそこだというから、これらには外れたビニールをしっかり元に戻して保温してやらねばならない。

 たちまちにして作業着は泥水に覆われるが、着替えるのは面倒だ、そのまま部屋にあがってランチとする。テレビは連休回顧録みたいなのをやっている。長い人だと10連休。会社員時代、僕はそんな長い休みを経験したことがないから、他人事ながら、心を休みモードから仕事モードに戻すのは大変だろうなあと心配する(GWロスという言葉があることをテレビを見ていて初めて知った)。そして自分の昔を振り返る。正月休みやGWを終えて職場復帰となる前夜、僕の気持ちは暗かった。家族を養うためにそんなことを言ってはいられないのは分かっていたし、妻や子の前で暗い顔はしていなかったとも思うが、やっぱりつらかったな、休み明けの日は。

 百姓・田舎暮らしの我が辞書に「不眠」という言葉は今はない・・・でも、過去には眠れない日があった。しばしば悪い夢を見た。相手を殺す夢だった・・・何ゆえあれほどのパワハラを受けることとなったか。僕自身、その理由はわからない。強いて言えば性格の不一致。ともかく僕は6年くらい苦しんだ。今まさにGWが終わろうとしているが、当時熱中していたマラソンと家庭菜園・・・それらでGWが楽しければ楽しかったぶん、明日から仕事か、またあの上司との関わりが始まるのか、そう思うと前夜の眠りは浅かった。

 これは以前にも書いたことだが、僕にとって通算4人目、最後の上司となった方とは相性が良くなかった。この方は、社内で社長に次いでのナンバー2の位置にあり、部課長総じて頭の上がらない存在だった。人生はさまざまな偶然が組み合わさっている・・僕のそれまでの上司は温厚で、編集の仕事で未熟だった僕をゆるやかに導き、多くを教えてくれた。ところがその上司は、一般向け医学情報誌を創刊するという大手の出版社からヘッドハンティングされた。博識と、全国大学のドクターとの結びつきの広さを買われたのだ。その後任となったのが、やがて僕の人生を変えることとなるその方だった。ただし・・・急いで書いておかねばならない。この上司とは最終的には快く和解したということを。

 僕が会社を辞めて7、8年たった頃だったと思う。創業者である先代社長が亡くなった。現役時代、頻繁に仕事で出入りしていた駿河台の山の上ホテルで偲ぶ会が行われるので出席されたし、そんな知らせが来た。そのホテルのロビーでのこと。かつての上司がやや神妙な顔で近づき、僕のすぐ前の椅子に腰を下ろした。僕は会釈し、言った。長くご無沙汰しておりました・・・。その言葉を追いかけるようにして、上司は言ったのだった。あなたには悪いことをした・・・。予期せぬ言葉だった。僕にはもはや昔のこだわりはなかった。ホテルロビーのふかふかの椅子で我が尻はもぞもぞしていた。家に帰ってから寝床で考えた。出版社を辞めて百姓になる。その落差は、当人である僕が思うよりもはるか大きいものに上司には思えたのかもしれないと。そのまま会社にいれば、そこそこの給料がもらえ、ボーナスも出る。しかし今はナカムラさん、イモやカボチャや大根を作って細々と暮らしているらしい、そう周囲から聞く・・・そこに追い込んだのは自分だった・・・上司の詫びの言葉はそれゆえであったのかもしれない。

 それから30数年がたった今の僕は、夜になったら心地よく眠れる。当たり前のことが当たり前に出来る今の自分のシアワセをささやかながら実感する。会社員時代、体は疲れず心が疲れていた。田舎暮らしの今は、体は大いに疲れるが、心が疲れることはほぼ皆無。理想としては両者バランスの取れた生活が良いのだろうが、欲は言うまい。昼間の肉体疲労で泥のように眠る・・・二者択一となれば、富士には月見草が、僕には泥のように眠るが、やっぱり似合う。

 荷造りを終えた午後4時、やっと空が明るくなった。ポットまきのピーナツ120苗を定植する作業にとりかかった。さて、この仕事がすんだら、ストレッチしながら夕刊を読み、熱い風呂に浸かり、今夜はだいぶ涼しいからビールじゃなくてワインにするぞ・・・僕の目の前には、かような、しごく単純な単線のレールがどこまでも敷かれている。そのレールの上を、まことにもって正確に、遅延も運休もなく、この老機関車はゆるやかに走り続けるのだ。

 5月9日。3日続きの悪天候から、ようやく心地よい空が戻って来た。ぐっすり眠った。湿度が低く、朝はけっこうひんやりと寒いが、それゆえに、しっかり毛布4枚をかぶると深く眠れる。昨夜は11時にベッドに入った。そして7時ちょっと前に起きた・・・いや、起こされた、チャボに。浴室前に置いてある洗濯機。汚れものが投げ込んであるそこに黒いチャボが卵を産むようになって1週間。合計7個になった。神経質だったり臆病だったりするチャボもいるが、そいつは、すこぶる穏やかな性格。そして安産型。長いチャボだと、腰を下ろしてから産み終わるまで30分以上もかかるが、そいつは洗濯機に入ったと思ったらすぐに出て来る。じつに早業である。そのチャボが6時半から7時の間に必ず僕の寝室の雨戸をノックするのだ。開けてやると我が寝室経由で廊下に出て、浴室方向に走るわけだ。

 かくして僕は、チャボに起こされるまで、ほぼ8時間、しっかり眠った。全身の疲労感、肩、背中、腰などに連日のスコップ仕事から来る痛みはあるのだが、気分は爽やかで、さて今日も働くぞという意欲がわいてくる。やはり眠りは大切である・・・。めったにないが、僕も何かの事情で睡眠5時間ということがたまに、年に数回くらいある。畑仕事がやれないわけではないが、少ない睡眠だと体にキレがなくなる。打ち込むスコップや鍬がいつもの深さに達しない。

 ショートスリーパーという言葉を初めて目にしたのは5年くらい前だったか。教えてくれたのは、同じ脱サラで農業を始めた方のブログだった(同じ脱サラ農業ということで、この人のブログだけを僕は昔から、毎日キッチリと読む)。なんと、4時間、5時間という睡眠で平気らしい。例えば彼はしばしばこんなことを書く。冬の寒い日、畑仕事を終えて、夕食をすませ、炬燵に入っていたら暖かくて心地よくて、つい、うたたねしてしまった。それでこんな時間に書いてます・・・そう前置きしてから、午前1時とか2時とかにブログを更新する。3時ということもある。それで翌朝、7時にはもう次のブログ更新をしているのだから、たしかにショートスリーパーなんだな。すごいなあ。僕が同じことをやったらたちまちにして体に変調をきたすだろう。

 4時間、5時間の睡眠で平気というのは、そのぶん他のことに時間が使えてうらやましいなあとも僕は思うのだが、同じ脱サラ農家としてちょっとばかり首をかしげるところもある。彼のブログに対する情熱は並みではないらしく、少なくとも日中に5回、多い日には深夜も含めて8回も更新する。それで畑仕事に支障はないのか。余計なお世話だと叱られるだろうが、2時間おきにパソコンの前にいたのでは、僕ならばほとんどまとまった仕事はできない。加えて彼の書くことの多くは、広い世間や地元農村へのうっぷんと罵倒。田舎の人間は聴きたくもない話を勝手にしゃべる、他人の家の庭にずかずか入って来る。挙句には、田舎暮らしなんてやめときなと、後続の田舎暮らし志願者の気持ちを逆なでするようなことを何度も書く。いくら自分の暮らしがうまくいってないからとて、そりゃまずかろう・・・僕は彼の倍以上の年数、田舎暮らしをしているが、そんなこと全く経験したこともないぜ・・・という出来事が彼の日常には頻発しているらしい。大根、ニンジン、カボチャの栽培プロセス、そんなのを僕は読みたいのに、世間の人をバッタバッタと切り捨てる話ばかりでは、せっかくの田舎暮らしがあんまりヘルシーじゃないよなあ。で、思うのだ。ショートスリーパーの人の頭や体の冴えは普通の人と何ら変わりはないのであろうか。もしそうなら1日が28時間にもなって、いいなあ、すごいなあ。うらやましくもあるが、残念ながら真似をしたくとも僕にはできない。睡眠不足じゃぁ、畑の生産性はガクッと落ちるもの。

 久しぶりの好天ゆえ、たまっている作業着や下着を洗濯することにした。洗濯機はチャボに占領されているゆえ、人からもらって倉庫に仕舞ってある洗濯機を引きずり出し、それを使うことにした。風呂の残り湯をバケツに10杯、それを洗濯機に移し入れてからランニングに向かう。帰ると洗濯は仕上がっている。朝食前に干す。枚数が多くてロープが足りないから、靴下やパンツは木の枝に引っかける。洗濯バサミというものは使ったことがない。風が強いと地面に落ちてしまうが、30枚、40枚という洗濯物をきちんとハサミで止めるという気持ちにはならない。青い空。乾いた空気。そこに居並ぶシャツ、パンツ、ズボン。シアワセである。もし離婚していなかったら、この苦労の後にやってくる幸福感にはめぐり合うことはなかったな・・・。今は育メンという言葉もあるくらいで、妻と分担して家事をこなすという男も少なくはなかろう。しかし、季節を問わず、365日、本業と並行しつつ炊事、洗濯、ゴミ出し、バスタブ洗いをやるという男はあんまりいないのでなかろうか。青い空。澄んだ光。カラッと乾いた洗濯物。離婚という悲劇がもたらした人生における偶然が、小さな幸福が、いま、さわやかな風に揺れている。

 今日の主たる作業はキウイの剪定である。今が花の時期。しかし毎年、キウイはひたすら枝を増やし、伸ばす。そのままでは花に光が当たらなくなる。このキウイを棚仕立てにしたのは30年以上前だ。度重なる春の嵐や台風で棚はよろけた。いくらか補修はしたけれど、幅5メートル、長さ10メートルの完全修復はもはや不可能と判断した。どの枝に花が着いているか。どの枝を切り捨てればよいか。原則、立った姿勢で剪定ハサミを使うが、それだけでは見落としがある。もぐりこんで、あおむけになると上からでは見えなかったところが見えるのだ。前線の兵士がこんな姿勢で鉄条網を切る・・・映画で見たような記憶がある。

 午後4時。荷造りを終え、この後まだ仕事はあるが、いったん手を洗ってから干してあった毛布6枚を取り込み、ベッドメーキングをする。前にも書いたことがあると思うが、ふかふかの、太陽の匂いのする毛布は「男の幸せ」である。6枚の毛布のうち、2枚は敷き用、4枚は掛け用。真冬の寝室は4度だが、そこに電気座布団を潜り込ませると心地よく眠れる。ジャパネットのCMなんかで、とても軽い、でも暖かい、そんな寝具が宣伝されているが、「軽い」というところに僕は魅力を減じる。重いのが好きなのだ。ガッチリと上から押さえつけてくるような布団や毛布。それを洞窟のような筒の形にしてスッポリ収まる。長年続いている我が睡眠習慣だ。この上の写真。窓際に見えるのが、今回冒頭に触れた、ガムテープでぐるぐる巻きにした枕である。

 5月10日。昨日に続きいい天気である。3日前の激しい雨に叩かれたブロッコリー、カリフラワー、エダマメの傾きを直し、土寄せしてやる。それからトウモロコシをまく準備をする。これまで3回まいたトウモロコシはいずれもポットまきでハウス育苗だった。今シーズン最後の今日は畑に直まきである。かなり草が生えている。それをスコップで切断しつつ、土の下に深く埋めてやる。続いて鶏糞堆肥を運んでくる。

 今日の朝日新聞の一面下段の広告に農文協の『現代農業6月号』があった。そこで見たのは、「農家が教える緑肥で土を育てる」。その見出しの後に解説文があった。「緑肥とは土を育てることを目的に、青々とした状態で土にすき込む植物のこと・・・」。僕はこれまで何十年、深く考えることもなく、この緑肥作りをやってきた。刈り取った草を高く積み上げることもやるのだが、作業距離が長いと所定の場所まで草を抱いて移動するのが面倒。それでもって、スコップで削り取った草をその場で埋めてしまうのだ。これとは別に、日常的にヤマイモ収穫のために大きく深い穴を掘るが、そこにも周囲の草を投げ込んで土をかぶせる。たまたまのことながら、思えばこれも一種の緑肥作りだったということになる。

 草を片付け終わった畝にトウモロコシの種を25センチ間隔で埋めていく。そこで思い出す。しばらく前になるが、朝日の「折々のことば」にこんな引用があったことが僕の頭に浮かぶ。

春になれば小雨が降る。そうすれば百姓はな、野や山の畑を耕して一所懸命種を蒔くのさ。何があっても種を蒔くのさ。

 百姓稼業とは、じつに単純、毎年その時期が来ると同じ作業を繰り返す。新たなことを手掛けることもないではないが、90%は前年と同じことの繰り返しである。それでいて飽きるかといえば全くそんなことはない。その時期が来ると、そのたび新鮮な気持ちになって去年と同じことをやる。その単純さに耐えて、なお明るく前向き。百姓とは、へへっ、なんとも不思議な生き物である。

 同じ朝日の「文化」の欄に、草彅剛という人がインタビューで語っていた。僕が昨日の日付で書いたことと重なるところもあるような気がするので引用してみる。

僕は人に見られる仕事だから老いを隠せない。それにこの仕事って動いてなんぼ、動けたものが勝ちみたいなところがあるんです。自分の体を現場に持って行かないと成立しないからね。山の中で撮影するときなんてそこまで行くだけでも大変だし・・・。

 動いてなんぼ、動けたものが勝ち・・・俳優家業とは違ってこちらは泥臭いが、まさしく百姓仕事もそうなのである。動いてなんぼの世界なのである。草彅剛さんはさらに続ける。

本当に体力勝負なんです。だから四の五の言わず、まずは健康に気を使わないといけない。秘訣はね、特別なことをするんじゃなくて「普通」を大事にすること。この普通が、けっこうできないんだよ。早く寝て早く起きる。腹八分目の食事、週に2回の運動とかさ。ついつい食べ過ぎたり、飲み過ぎたりするでしょ。「ほどほど」と「適度」を大切に。これが長年かけて編み出した僕の健康法です。当たり前のことを、当たり前にするのが肝だね・・・。

 草彅さんの言葉を自分に当てはめてみる。早く寝て早く起きる。これは△。僕は11時前に眠ることがほとんどない。腹八分目。これは〇。週に2回の運動。これは◎。僕は毎日運動するから。これらを総合して、その判定がOKか否か。判定基準となるのが睡眠の深さだと思う。体がほどよく疲れていないと眠れない。過食で胃がもたれていても眠れない。自分の「今日」に納得していないとさらに眠れない。すなわち、夜の眠りとは、昼間の生活形態、そして当人の(生きることへの)納得感がそのまま真っすぐ反映されるものなのではあるまいか。

 5月11日。午前中は爽やかな風、快晴だった。ポットのトウモロコシ、ナス、ピーナツをひたすら定植した。ジャガイモもだいぶ掘り上げた。ランチに戻ってテレビをつけると今朝4時16分に発生した地震の影響を伝えていた。最も揺れの強かった木更津では屋根瓦が崩れ落ちた家もあり、都内では相当数のエレベーターが止まったという。我が家は・・・背の高い箪笥などはなく、落下すると危ない大きな照明もない。唯一、地震のたびに気がかりなのはウナギのいる90センチの水槽だ。手製で、高さ1メートルのかなり頑丈な台をこしらえたのだが、震度6を超えても耐えられるかどうか。

 ランチしながら朝刊を読む。朝日の一面トップは「食料増産命令 法整備を検討」という記事。ウクライナ紛争。気候変動による世界的な凶作。感染症のパンデミック。そうしたことから日本人の食料が不足するという事態に備え、農水省が農産物の増産を農家や民間事業者に命令できる制度をつくろうとしている、そういった記事だ。具体的には、例えば花農家にコメやイモを作るように命令したりする。記事には食料自給率の変遷を示すグラフがある。1965年、僕が18歳の時は75%だった。現在は38%まで低下した。先進国では最低水準だという・・・。地震、台風も怖いが、平和な暮らしの中に突然食料不足という事態が訪れるのはもっと怖いことかもしれない。

 荷造りを始める頃に降り始めた雨は少しずつ強くなった。遠くで雷鳴もする。時刻は5時。小屋のヒヨコたちを箱に入れ、玄関に寝かしつけ、ハウスの中でひと仕事する。最後に、晩酌の肴に天ぷらを作るつもりでフキ、アシタバ、アスパラ、ニンニクを少しずつ収穫する。雨に濡れたせいばかりでなく、なんだか肌寒い。仕事中にも見えるように作業小屋に設置してある温度計が13度を示していた。肌寒いわけだ。トイレが近くなるわけだ・・・。そうそう、トイレが近いと書いたついでにオシッコの話をしておく。若い頃はこうまでなかったから年齢のせいだと思うが、尿意をもよおす回数がとても多くなった。しかも尿意は突然やって来て、待ったなし。冬場は重ね着をしている。かつ、僕の作業ズボンは紐式が多い。突然の尿意であせると、そのズボンの紐がなかなかほどけてくれない。間にあわず、おもらしすることも・・・たまにある。

 では夜はどうか。夏パターンと冬パターンに分かれる。夏は畑で大量の汗をかく。そのせいか、睡眠途中でオシッコで目が覚めるということは、あってもせいぜい1回だ。しかし冬は、畑でかく汗の量が夏の10分の1もない。そして室温4度と寒い。僕は清涼飲料水のようなものは全く飲まないのだが、珈琲、緑茶は普通の人よりもたぶん多い。そんなこんなの理由で、冬の夜はオシッコのために3回、4回と目が覚めることがある。それゆえに、ベッドのそばにおまるが置いてあるのだ。ベッドからトイレまでせいぜい10数歩の距離だが、キリキリと冷える中でトイレに行ったのでは次の眠りに差し支える。その点、すぐそばにおまるがあれば、用を足して布団にもぐれば元の睡眠にたやすく戻ることが出来る。いつだったか、面白いことを発見した。人間の脳はいつも夢を見ていると言われるが、尿意を感じて目が覚める直前に見ているのは誰かと戦ったり、相手から追いかけられたりする夢だ。僕は追跡を受けて窮している、さてどうしよう。そんなあせりの場面で夢から覚める。膀胱がいっぱいになっている。どうやら、バトルドリームは、さあ起きなさい、トイレに行きなさい。そのアラームであるらしい・・・。

 5月13日。6時20分起床。ヒヨコたちに起こされた。早く外に出してくれと、箱に乗せてあるふたに体当たりする音が響きわたる。初生ヒナとして到着してからちょうど1カ月。人間でいうなら小学生になるあたりだ。半月くらいまでは、僕が行くまで静かに眠っていたけれど、今はもう赤ん坊じゃないというわけだ。ヒヨコを小屋に移し、ランニングに向かう頃には日差しがあった。天気はうまくもってくれるかな・・・。

 嵐で崩壊したハウス。これまで少しずつ片付けてはいたが、本腰入れての撤去作業は今日が初めてだ。本腰入れて、一気にやってしまおうと思った理由がある。これぞまさしく、行き当たりバッタリの我が人生、その見本になるだろうか。屋上庭園の1階に長い、手作り木製のイチゴのプランターがある。昨日、そこにイチゴを取りに行って、10本以上ものトマトがかたまって生えているのに気が付いた。ポットにまいて、最高のケアをして育てるトマトよりも勢いよく、ガッチリとしている。なぜイチゴのプランターにトマトが生えたか。土がやや痩せていて乾きやすいので、春の初め、庭に積み上げてある鶏糞堆肥をドッサリ投入したのだ。その堆肥の中におそらく大きなトマトが混入していたのだろう。こんな窮屈なところでおまえたち・・・。例によって僕は、不遇な環境でも頑張っている野菜にほだされる、手を差し伸べたくなる。よっし、あそこだ。昨日トウ立ちした大根を抜き捨てスペースを作った。そこにハウスを建てて移植してやろう・・・。計画性に欠ける。その一方で、目の前の出来事には臨機応変、突き進む。

 起きた時には明るかった空が雲に覆われ、小さな雨も落ちてきた。ひどい雨になるなよ。あと半日、オレに濡れずに仕事させてくれ。長時間、強風に揺すられ続けたパイプは、曲がり、折れている。それをなんとかうまく組み合わせ、崩壊前の高さ寸法から50センチも短くなったが、まあ悪くはない仕上がりだ。いい気分である。ひとつを片付け、ひとつを完成させる。なかなかの達成感である。さあトマトたち。大邸宅への転居だぜ。あのイチゴの隙間の窮屈な空間が、かぐや姫の歌う「神田川」の3畳一間であるならば、ここはタワーマンション、5LDKくらいの大空間だ。大きく育て、いっぱい実を付けろ。

 5月14日。6時25分起床。昨夜の雨は上がっていたが、薄ボンヤリとした空。風も冷たい。ああ、正解だった。換気のために一部が開けてあるトマト、ナス、ピーマンのトンネル。昨日の夕刻、自分の肌感覚でもって、こりゃ野菜には寒い。それぞれに大きなビニールをすっぽりかぶせておいてやった。今朝の気温14度。野菜たちは心地よくしていることだろう。

 人間の幸せとは、ごく身近なところ、足元あたりにさりげなく転がっているようだ。今朝いきなり、唐突なこと。だが、僕がここで言う幸せとは、良質の睡眠、それと、すんなり出てくれるウンチのことである。わざわざ幸せなどと言うのは、なかなかグッスリ眠れない、なかなかウンチが出てくれない、そんな人が少なくないらしく、そんな人に向けた、よく眠れるようになるクスリ(もしくはサプリメント)、すんなりウンチが出るようになるクスリ(もしくは食品)、そうしたものの広告を頻繁に目にするからである。心地よく眠った僕は、ヒヨコの世話をし、晴れた日には洗濯をしてからランニングに行く。そして朝食。そして食後15分、遅くとも30分でウンチを催す。朝食後のルーチンは、今日の作業の段取りを考えるために畑を一巡することだが、その一巡の途中で・・・ここだけの話として聞いておいてほしいのですがネ、じつは、畑に穴が掘ってある。家のトイレに戻るまでアイツは待ってくれそうにない、そう思った時、この穴で用を足す。そのために、あちこち手の届くところにティッシュの箱と手洗いの石鹸が置いてある。クサイ話で申し訳ないが、でも、ここは、人生の肝要な部分だ。冷え性で、よく眠れず、常習的な便秘の人。それとは全く逆に、寒さに強く、深く眠れて、便通も正確ですんなりの人(だからって、ちっともカネが儲かるわけではないが)。生きる心の軽やかさにおいて、両者の違いは大きいかもなあと、畑の穴に心地よく、モノを落としながら、僕は思ったりもするわけだ。

 朝食に、いつものようにバナナを添えた。なんとなしに長年食べ続けてきたバナナだが、一昨日、NHKのラジオで腸と脳の連関を解説する専門家が、バナナは幸せホルモンと称されるセロトニンを増やしてくれる成分を多く含んでいる、そう語るのを聴いて、へえ、そうなのかと僕は少し驚いた。ついでに書くと、セロトニンは脳と腸の両方から分泌され、気分の安定や睡眠と密接に関連するらしい。腸を動かす指令を出す時にもセロトニンは使われる。つまり、幸せな気持ちにしてくれるだけでなく、便秘予防にもセロトニンは大事というわけだ。そのセロトニン、食べ物だけでなく、運動や日光浴をすることでも増やせるらしい・・・なるほど、オレが便秘をしない理由はここらへんにあったのか・・・。

 朝食しながら朝刊を読む。読売新聞に見開きいっぱいの書籍広告。『自分をよろこばせる習慣』『気にしない習慣』『自信をつける習慣』。そんな書名が大きく横並びに見える。いずれの本にも、悩み、不安、イライラが消える、余計な気疲れが消える、よけいな迷いが消えていく・・・そんな言葉が添えられている。出版の世界でメシを食っていた経験からか、書籍広告には自然に目が向くが、我が印象として、近頃の本には手ごろな啓蒙書、もしくは、かくすれば〇〇がすぐ消えるという安心材料を提供してくれる、そういったものが多くなっているような気がする。

 2杯目の珈琲を飲みながら、もうひとつ朝刊を読む(手に取ってから気づいた。こっちは読まないままテーブルに置かれていた昨日の朝日新聞だった)。その一面広告で目に入ったのは養老孟司・下重暁子著『老いてはネコに従え』(宝島社)。養老先生の猫好き、猫への思い入れの深さは、長くNHKのテレビでもやっていたから、皆さんもよくご存じであろう。老いては子に、ではなく、ネコに従え・・・まさに僕も、猫のブチに従いながら日々を過ごしている。まだ子猫といってよいブチがうちの庭に登場したのは去年の秋の初めだったか。飼い主に見放されたのか、とても腹を空かせているようだ。庭に置いてあるチャボ用の餌を食べ、牛乳を飲む。ヒヨコに手を出すといけないから何度も追い払って、時には棒切れを投げつけたりもしたがひるまない。そして師走のある日の朝のこと、ふだん、接客用に使っているビニールハウスの椅子の上で丸くなっているブチを見つけた。ここで夜を明かしていたのか、寒かったろう。1月になり、寒さはさらに募って来た。棒切れまで投げつけていた僕ではあるが、まだ幼さの残る猫が行き場もなく、この寒さに耐えている姿を見て仏心が生じた。長椅子の上に段ボール箱を横にして置いた。その上から毛布をすっぽりかぶせた。これでも零下4度はきつかろうが、今までよりはずっといい。

 早春を迎えた。ブチもホッとしたであろうが、僕もホッとした。と同時に、僕は鍋から煮物の残り物を与えるようになった。ずっと僕の姿を見ると逃げていたブチが少しずつ警戒心を解くようになった。こうして新しい暮らしが始まった、猫と僕の。ずっと名無しの子猫だったが、ブチと命名した。彼は朝いちばん、朝メシくれえと叫ぶ。僕はヒヨコの世話で忙しい。そんな僕のズボンの裾にツメをかけて早くしろとまた叫ぶ。腹いっぱいになったら出かけて行く。どうやらガーフレンドがいるらしい。やがて帰宅したら遊びを催促する。僕の前でゴロゴロとやり、顔を突き出し、目を細める。荷造りで忙しいが、とりあえず顎を撫でてやり、肩を揉んでやる・・・。

 5月15日。6時45分起床。あちこち、骨と筋肉が痛い。ずっと雨の降る日が多いので土の中の水分が多い。昨日は午前中、スコップにこびりつく粘土に苦労しつつヤマイモを10本くらい掘った。そして荷造り終了後、この下の写真、ポットまきのピーナツを定植するスペースを耕した。3×10メートル。3月以降は使わずにいた畑。大量の草を退治するのに奮闘した。骨と筋肉の痛みはそれゆえである。

 小さな雨が落ちる。しかし空は昨日よりも明るい。庭に散らかっていた紙屑を拾い集めて袋に詰めて、ゴミステーション経由でランニングに向かった。そして朝食。今朝の野菜は人参、アスパラ、大豆モヤシのカレー味。食べるという行為は日々の楽しみである。そして、食べたものが自分の体を作るという喜びにつながる。やがて、このアスパラも人参も大豆も人間のために、人間の腸内にその栄養素を残し、あとは、あの「畑の穴」に落下していくさだめ。でもまだ役目は終わりじゃない。落下したモノは昆虫や微生物の餌となる。

 「半農半X」という言葉が出来てどのくらいになるのだろう。僕は折々に目にするが、また最近出会った。「めざせ半農半X 仕事しながら農業 基礎講座が人気」という朝日新聞の記事だ。例えば神戸市には月に2回、1年間開かれる講座がある。受講生は土作りや肥料の基本を学び、それぞれが70平方メートルの畑を受け持ち、自分で作付け計画を立てる。定員15人、受講料は18万円(税抜き)。受講希望者は主に30代から40代で、今の仕事と農業を両立させたいと考える人たちだという。いきなり移住というのはちょっとハードルが高い。よって、こうした「半農半X」を取り入れる活動は全国自治体にも広がりつつあるらしい。ひとりの先輩として、こうした動きは喜ばしいことと思える。小規模であろうとも、多くの人が自らの手で野菜を作ればいささかなりとも食料自給率の上昇に貢献する。思い通りに野菜が仕上がったならば、その達成感、いわば「精神の自給率」にも貢献するだろう。いや、それとは別に僕が注目したいのは、畑仕事をすることによって生じる肉体疲労だ。この疲労は必ずや深く心地よい睡眠をもたらす。「半X」の多くはリモートワークだと聞くが、パソコン仕事とは全く違う、あえて言うなら、原始的な疲労感が夜の布団の中にあふれ、心地よい睡眠につながっていくだろう。

 睡眠の質に満足する。なめらかな排泄にも心地よさを感じる。それは人の暮らしの底辺にある幸福だ。冒頭で一気に僕の考えは述べたが、おさらいするなら、うんと体を使って汗をかく、頭に引っかかっている悩ましいことの解決法は明るい昼間に思案し、明かりを消した寝床では楽しいことだけを考える、どんな些細なことでもいいから楽しいことを。するとよく眠れるようになる、よく眠ると便通も正確に訪れる。一度だけ苦い経験が僕にもある。離婚直後のうっぷんと悲しみを打ち払いたかったのだろうか、若い時代に憧れを抱いたソ連に何度か行った。ロシア語学習という大義名分を掲げていたが、元モスクワ大学教授のバレリーが紹介してくれた女性たちと街をふらついた。街頭絵描きの男とも知り合いになり、彼の友人もまじえて酒を飲んだ。当時のソ連の食糧事情は悪く、それでいて度数の高いウオッカをしばしば飲む。ついに僕は痔になった。大きなイボ痔だった。どれだけ力を込めても痛みばかりで便が出てくれなくなった・・・。だから、今、食後すぐの畑で便意を感じ、例の穴の上に腰を下ろすと一気に完璧に出る、その素晴らしさがよくわかる。

 田舎暮らしを始めよう。畑仕事に精を出そう。手塩にかけた野菜を使って楽しみながら料理を作って食べよう。愚痴らず、凹まず、嫉妬せず、明かりを消したベッドの中では楽しいことだけを考えよう。そうしたらよく眠れる。よく眠れるようになったらウンチもきちんと出る。間違いない。だまされたと思って、ぜひアナタも一度・・・。

 

【関連記事】

(1)百姓と体力
https://inakagurashiweb.com/archives/6637/

(2)僕は十種競技
https://inakagurashiweb.com/archives/7411/

(3)無理をする技術
https://inakagurashiweb.com/archives/7414/

(4)夏草とミミズと焚き火
https://inakagurashiweb.com/archives/7435/

(5)あの角を曲がって
https://inakagurashiweb.com/archives/7451/

(6)理科のダメな男が電気の完全自給に挑む話
https://inakagurashiweb.com/archives/8301/

(7)ボロ家に暮らす男が積水ハウスのCMに胸をときめかす話
https://inakagurashiweb.com/archives/8877/

(8)猫もいい。犬もいい。鶏がいればもっといい
https://inakagurashiweb.com/archives/9271/

(9)人にはどれほどの金がいるか
https://inakagurashiweb.com/archives/9927/

(10)人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~
https://inakagurashiweb.com/archives/10432/

(11)心をフラットに保って生きる心地よさ~メンタルを健康に保つためのルーティン~
https://inakagurashiweb.com/archives/10864/

(12)周囲の生き物たちと仲良く暮らすこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11356/

(13)僕の家族のこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11953/

(14)独り身の食生活と女性たち
https://inakagurashiweb.com/archives/12410/

(15)家庭菜園と人生における幸福論
https://inakagurashiweb.com/archives/12775/

(16)人生の惑いをゴミ箱にポイするTips集
https://inakagurashiweb.com/archives/13260/

(17)「生活」と「人生」
https://inakagurashiweb.com/archives/14008/

(18)「生活」と「人生」(2)
https://inakagurashiweb.com/archives/14536/

(19)定年後の田舎暮らしは難しいか
https://inakagurashiweb.com/archives/14954/

(20)少子高齢化の未来
https://inakagurashiweb.com/archives/15319/

(21)田舎の人付き合いは大変か
https://inakagurashiweb.com/archives/15685/

(22)畑から見る東京
https://inakagurashiweb.com/archives/15987/

(23)コロナ禍が意味するもの
https://inakagurashiweb.com/archives/16546/

(24)男というもの
https://inakagurashiweb.com/archives/17139/

(25)「良い」孤独、「悪い」孤独
https://inakagurashiweb.com/archives/17700/

(26)生きる喜び、生きる悲しみ
https://inakagurashiweb.com/archives/18283/

(27)畑の神様
https://inakagurashiweb.com/archives/18857/

(28)気力・活力・体力
https://inakagurashiweb.com/archives/19623/

(29)僕があなたに就農をすすめる理由
https://inakagurashiweb.com/archives/20212/

(30)土食う客人
https://inakagurashiweb.com/archives/21365/

(31)DIE WITH ZERO考
https://inakagurashiweb.com/archives/22634/

(32)冬の愉しみ
https://inakagurashiweb.com/archives/23257/

(33)焚火の効用
https://inakagurashiweb.com/archives/24258/

(34)あかぎれと幸せ-年末年始の百姓ライフ
https://inakagurashiweb.com/archives/24742/

(35)冬と楽観
https://inakagurashiweb.com/archives/25594/

(36)庭先ニワトリ物語
https://inakagurashiweb.com/archives/26109/

(37)自給自足は人生の媚薬
https://inakagurashiweb.com/archives/27219/

(38)土様様
https://inakagurashiweb.com/archives/28284/

(39)走るために生まれた
https://inakagurashiweb.com/archives/29062/

(40)僕の農法
https://inakagurashiweb.com/archives/30436/

中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

この記事の画像一覧

この記事の画像一覧を見る(34枚)

この記事のタグ

田舎暮らしの記事をシェアする

田舎暮らしの関連記事

【田舎物件の朗報】農地法の一部改正で農地取得のハードルが大幅に下がった!農業や家庭菜園に興味がある方は必見。田舎暮らしのメリットとは

庭先でニワトリを飼う/子育て上手なチャボがオススメ

庭先ニワトリ物語/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(36)【千葉県八街市】

便秘改善!【ながら時間の有効活用】座るだけで慢性便秘をやわらげる、クッション型電位治療器が発売

安く、楽しくDIY! 太陽光発電で電気を自給/10万円から!災害時も電力を確保【千葉県八街市】

「てんや」の限定『初夏天丼』が衝撃的に美味しい!絶品の秘密は兵庫県産「ほたるいか」のかき揚げにあり【実食レポ】

【築100年古民家】絵本のような絶景に包まれた秘境の美しい伝統住宅!200万円の9LDKはほぼ改修不要!? 宿泊施設や飲食店にも活用可能!【福島県金山町】

海・山一望の大規模ニュータウン「伊豆下田オーシャンビュー蓮台寺高原」には素敵な物件がたくさん【静岡県下田市】

子育て移住にもオススメ! のどかな果樹園に囲まれ、教育環境も整った人気のエリア【広島県三次市】