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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

僕の農法/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(40)【千葉県八街市】

 中村顕治

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 今回のテーマは我が農法についてである。先に言い訳めいたことを書いておくならば、脱サラ農家35年の我が農法に理路整然とした立派なものがあるわけではない。ひとつひとつの作業に向ける気持ちも、具体的作業の進め方も、行き当たりバッタリということがかなりある。おそらくそれは、生来の性格的なものがそのまま反映されているゆえであるに違いない。良く言えばひらめき人間で、臨機応変で、一瞬ひらめいたとなると、寒かろうが、雨になろうが、暗くなろうが、突っ走る。しかし・・・面白いことに、そんな計画性に乏しく、行き当たりバッタリ男でありながら、反面、やるとなったらキッチリやる、やることはけっこう細かくて、納得いくまで作業をやめないという二面性が僕にはあるみたいだ。ということで、ここまでの35年、長期展望などというものはないままに、目の前のことと取っ組み合った。出来栄えのよさにニンマリすることあり。あえなく徒労に終わることも多々あり。それでもギブアップせずここまで来たのは数多くのシチュエイションを体験し、学習し、経験則を頭の中に蓄積したからである。その蓄積が楽しかったからでもある。かつ、その学習の蓄積がのちに必ず役立つことを実感したからである。同時に、ひらめき人間として突っ走る、それを支えたのが持久力とパワーであったかなと思う。野菜栽培の技術も、人間の体力も、淡々とした時間の流れの中で培われる。上下動が大きすぎる精神はそれに反する。実を結ばない。世間を見渡すと、その上下動が近頃は大きすぎる。インパクトの大きい感動を求めて燃え上がるかと思えば、ひどく落ち込む・・・。

 田舎暮らし、脱サラ農家、そして野菜栽培。そこに必要なのはホメオスターシス(恒常性維持)である。この用語に僕が最初に出会ったのは50年くらい前、医学雑誌の編集時代だった。ホメオスターシスとは、生体の内部や外部の環境がどう変わろうとも生体自身の状態が一定に保たれることを言う。体温も、血圧も、対ウイルス・微生物との接触においても、急な外傷においても、外からのストレートな影響を受けず、自分自身を一定に保とうとする力、いわば、生き物として最も大事な機構である。これに照らして考えると、外的な力にあっさり屈してしまう人が・・・昔よりも増えたかなあ、そんな気がするのだ。コーフン材料があまりに卑近であり、ステレオタイプである。それでいて、大いにコーフンしたかと思えば、大いに落ち込む・・・これでもって、他人に迷惑なんてかけてはいないだろうが、当人はけっこう疲れる。なのに(いや、それゆえか)、再び、新たなコーフン材料を求めてあたりに視線を走らせる。もって、ここで僕はあえて大上段にふりかぶる。人生、大事なのは、平穏であり、持続性であり、骨と筋肉を通した経験の蓄積である。行き当たりバッタリ人間、ひらめき男の僕ではあるが、我が暮らし、我が人生には万事に、平静かつ「立ち向かう」という一貫性があった。そこからいかなる農的暮らしが生じたか。栽培のプロセスを追いながらそれを記していくのが今回のテーマである。

 4月10日。パーフェクトな朝である。屋上庭園にタップリの光が注ぐ。僕とともに朝食していたブチだが、ごちそうさまの言葉もなく、さっさとその屋上庭園に行き、背中に朝日を浴びながら顔を洗っている。猫は気ままな生き物だとよく言われる。ブチの行動を見ていると、なるほどそうだなという気がする。外で遊んで、帰って来て、ぎゃあぎゃあ騒いでメシを催促する。食べ終わったらごちそうさまも言わずに顔を洗い、またどこかにふらりと出かける。かと思えば、かまってくれ、遊んでくれ、肩もんでくれと、僕の足で体をこすり、あおむけになって誘いのサインをよこすこともしばしばある。

 朝いちばん、ヤマイモに支柱を立てる作業をやった。昨秋以来、ほぼ毎日、出荷のためにヤマイモを掘っている。ポキッと折ったその頭の部分、あるいはムカゴが発芽した幼い苗をしばらく袋にためておく。それを頃合いを見てこうして定植してやるのだ。今日植えたのはおよそ150本。すでにツルが40センチにも伸びているものがあるから支柱を立てるのは急いだほうがいいのだ。支柱が必要なのは、このヤマイモの他、エンドウ、インゲン、キュウリ。月に1回くらい、篠竹の竹藪に入って僕は竹切りに精を出す。しばし枯れるのを待つ。1本1本は軽い竹だが、まとめて50本、100本を所定の場所まで抱いて移動するのはけっこう大変だ。

 いま世間ではチャットGPTとかいうものが話題となっている。パソコン音痴の僕にはその詳細メカニズムはわからぬが、すごいものであるということだけは、新聞・テレビを通して伝わってくる。どんな問いかけにも答えてくれるらしい。立派な文章を示してくれるらしい。やがて人類はこのITに滅ぼされる・・・専門家からはそんな危惧の声もあるらしいのだが、これまた、どうして人間が機械に滅ぼされるのだ・・・パソコン音痴の僕は素朴にそう思うけれど、人間を滅ぼしかねないくらいの偉大さとパワーがチャットGPTなるものにはあるということなのか。

 そこでふと僕は思った。どんなことにも答えてくれる・・・ならば、等間隔に1列に植えているソラマメがまったく不規則に立ち枯れてしまうものがあるのはなぜですか。ナス科の連作障害はしきりと言われるが、去年取り残したジャガイモがそのまま芽を出し、何ら支障なく実を付けるのはなぜですか・・・こういった呼びかけをしたら、納得のいく返答をしてくれるだろうか。まっ、それはいいとして、人間は、チャットGPTに滅ぼされる前に、ひょっとしたら自滅してしまうんじゃないか・・・僕はそんな気がチョットする。スマホやパソコンに長時間向き合うことによる身体的ダメージはよく聞かれる。だが、これに加え、こちらの問いかけ・要求に対し、こちらの技量を超える高度な文章提示がなされるとなれば、身体ダメージに加えて思考力へのダメージも重なるのではないだろうか。もしかしたら、専門家の言う、いつか人間は滅ぼされるとの意味は、このことなのか・・・。機械を全く使わず、手足だけの作業である我が農法を僕は原始農法だと自認するが、世の流れは、はるかはるか、地面を離れ、高い方向に突き進む。すごいねえ、すごいなあ。ただ感嘆するばかりの僕ではあるが、まっ、いいさ、オレはオレ。しっかり地面に足を着けて「チョットGPT」でこれからも生きて行くさ・・・豪快な(G)、パワーで(P)、人生を楽しんで(T)生きる・・・これぞ、田舎暮らし版チョットGPTなのである。

 4月11日。すばらしい朝だ。思わずサザエさんの歌が口をついて出て来るような好天だ。出荷のための人参を掘る。1月15日に種をまいてほぼ3カ月。まだ小さいが、悪くはない。スーパーに並ぶ人参は大きい。どうしたらあんなに大きくなるのかと、不思議なくらい大きい。しかし、人参の本当の味は生でかじってみて初めてわかる。いつだったか、お客さんである漫画家のFさんが僕の人参をチョッピリほめてくれたことがある。「中村さんからの野菜が切れて、どうしても人参が食べたくてスーパーから買って来たのですか・・・ダメでした、ひどかった」。1月、2月、2枚のビニールの上から、夕刻にはさらに布団や毛布を掛けて作ったこの人参。褒められて、照れて、顔をだいぶ赤らめているみたい。

 ハウスの中でポット育苗したトマトがそろそろ限界。ハウスを建てて定植してやることにした。例によって、ハウスに使う部材は不揃い。どうにか左右の幅と高さを揃えて長さ8メートルを完成させる。左右2列で24本。しかし、天井の高さがやや足りない感じなので、成長したトマトは傾けてやろうと思う。それでもって、差し込んだ支柱は斜めにしたわけ。さあ、しっかり育てよ、いい実をいっぱい付けてくれよ・・・植え終わった苗に僕は囁く。

 このトマトハウスには大量の灰を混ぜ込んだ。すぐ近くで2月から3月にかけ、10日連続くらいで焚火をした。それでもって出来た灰は1立方メートルくらい。それを入れてから苗を植えたのだ。この場所にナス科の野菜は2年間作っていない。しかしそれでもトマトには気を遣う。どなたの文章だったか、たしか『田舎暮らしの本』にも登場した方だと思うが、トマトのデリケートさの描写として「近くにジャガイモが植わっているだけでもいけません・・・」との表現があった。以来僕はトマトには細心の注意を払う。

 4月12日。なんとも表現しがたい困った天気の1日であった。困った天気の基本ベースは強風。そして、晴れ、曇り、小雨、晴れ、曇り、また小雨、これに加えて大陸からの黄砂。なんとも百姓泣かせの空模様だったのである。この下の写真はクワ。例年よりも実の姿を目にするのは早い。これが濃い紫色になって落下すると例年は梅雨入りとなるのだが、今年はだいぶ様子が違うなあ。

 来客があるのでいつもより早めに発送用の野菜を収穫する。そして1カ月前に定植したキャベツに土寄せ。まあ、もう、おまえたちは活動しているのかい。青虫がいっぱい付いている。老人となって、虫も殺さぬ博愛の精神が高まってきた僕なのではあるが、これだけは握りつぶさねばならない。生長点を食われたらキャベツにはならないものね。

 客人は13時に来訪した。すでに、祖母が耕していた畑を継承してかなりの経験を積んでいる人。しかし・・・もっと本腰を入れて取り組みたい、だから中村さんにいろいろ教えていただきたい、そう言う。田舎暮らしを願う人、自給自足をしたいと考えている人。これまで多くの人との接点が僕にはあったが、視野の広さと行動力においてはトップクラスの女性だと、僕は見た。見通しのきかない将来に向けて、彼女は自分の手足で暮らしていけるようになりたいのだと言う。同じ将来像を描く人たちとグループを作って活動しているともいう。僕は何日か前のブログで、「値段が高くても買えた時代は終わった。これから食品が店頭からますます姿を消す」というリード文のついた本『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社)に触れたのだが、その著者の講演会にも行ったことがあるらしい。珈琲を飲みながら話をしたあと、畑をぐるっと回って説明を加え、また会いましょうと言って車を見送った。

 4月13日。このところチャボに起こされる日々である。我が寝室に6段の棚がある。その最上段には、いずれ、出来たら、死ぬ前に我が子ふたりに渡してやりたいと思う彼ら自身の幼い頃の品物が段ボール箱に入れてある。黒いチャボ2羽がそこに目をつけ、毎朝卵を産みに来るのだ。冬の間はよかった。しかし、夜明けが早くなったいまは午前5時を回ったばかりの時刻にやってくる。激しく泣いて、ドアを開けろと催促するのだ。

 さて、朝の風は冷たい。しかし、昨日とは違い、無風、光タップリ。文句なしの天気である。苗専用のビニールハウスに向かう。成長具合を確認し、これはまだハウス内にキープしてよし、これはもう植えてやらねばならない、その判断を下す。3月半ば以降、この検分を毎日のようにやって、昨日までにポット育苗したものを畑に移したのは、トウモロコシ、ブロッコリー、カリフラワー、トマト、インゲン、トータルで500くらい。そして、今朝のチェックで急ぐべきはインゲンとトウモロコシとズッキーニだと判定した。

 そこで定植の場所つくりだ。3月初めまでサトイモのあったところ。ずっと寒々としていたのに、3月以降、たった40日でこの下の写真のようなありさまとなった。草は上から見えるものだけではない。ヤブカラシなど、すごい数の根っ子が地下40センチかそれ以上のところではびこっている。篠竹もある。大きな鍬をまず打ち込む。鍬で何往復もした後、鍬では取れない根っ子をスコップでひねり出す。そこでひょっこり、掘り残したサトイモやヤマイモが草の中から出て来る。儲けた気分になる。

 午前と午後、途中、発送荷物の作業を挟んでのべ4時間、わずか4×10メートルという面積なのに、骨と筋肉への負荷はすさまじい。しかし・・・この仕事がやれるうちは、オレはまだ死なない、そんなリトマス試験紙みたいな役割をこの草との戦いがするのだ。さらにもうひとつ、大量の草を厄介者だと思わず、利をもたらすものというポジティブなとらえかたをするのも我が農法の基本である。積み上げたらドラム缶で2本分くらいになる草の量。それが強い光に当たり、数日すると枯れてくる。そこに米ぬかを撒いておく。チャボたちがやってくる。虫を探すために脚で引っかき回す。それがほどよい攪拌作業となる。やがて土に同化する。すなわち、草は、我が農法大舞台における欠かせぬ役者なのだ。

 昨日のNHK「クローズアップ現代」のテーマは「FIRE」だった。番組が始まってすぐ、僕は早とちりした。IT企業で人員整理が頻発している。でもって、FIRE!! おまえはクビだ・・・という話が始まるのかと思った。しかし違っていた。Financial Independence、Retire Early、その頭文字をつないだものだった。日本語にすると、経済的自立、そして早期退職。要約すると、会社でもらう月給以外の収入源を作り、それがうまくいったら会社をやめてしまうという意味なのだという。月給以外の収入源とは、番組で紹介されたのは株への投資、あるいは不動産への投資だった。驚くべきは、株への投資で6000万円の資産を作った人がいる。マンション投資で、13戸の賃貸物件で毎月80万円の収入を得る人がいる。こうした成功者は、会社をやめて、部屋でゲームに興じる。スノーボードで汗を流す、悠々自適の暮らし。なんとも羨ましいねえ。

 ところが、それで万々歳かというと、ちょっと違う人もいるらしい。カネは入って来る。しかし日々の生活に手ごたえがない・・・で、再び会社員に戻る人もいるというのだから、人間の気持ちは一筋縄ではくくれないものだ。僕は基本、カネを稼ぐためにこの百姓生活を続けている。日々入って来る金額は3000円、多い日で6000円。月の実働は300時間・・・まるでブラック企業だネ。では、何かの事情で何千万円かのカネが手に入って、よっしゃとばかり、百姓生活にピリオドを打つか・・・打たない。カネはあっても百姓仕事は続ける。百姓仕事にはリズムがある。生き物である人間にはこのリズムが大切なんだ。さらに、リズムだけではない、年間100種に及ぶ野菜たちはあれこれ難題をふっかけてくる。それに懸命に対処することで心身の空白が生じなくなる。さらには、難題を解消し、晴れて手にする収穫物はたしかな達成感となるのだ。人はカネのみにて生くるにあらず。むろんカネなくしては暮らしていけないが、ドカンと自分の心が喜ぶ手足を使った作業、それが人生には必要なのである。

 4月14日。今日も快晴の朝である。ふと、今朝は自転車を飛ばそうかなあという気分になった。まずは空気入れを探してタイヤを満タンにする。少しでも空気の抜けた感じのタイヤでは走りたくない、ガツンと尻に響くような硬いタイヤで走りたい・・・妙にそこに僕は昔からこだわる。行先はゴルフ場・・・いや、昔はそう呼んでいたが、いまは天然温泉、犬連れで泊まれるホテル、さらには東京の豊かな人たちのためのセカンドハウス、ケアハウス、そういうものが建ち並ぶ。駐車場にズラリと並ぶ高級車。まだ7時台だというのに車の往来は多く、昔は大根やピーナツの畑だったその道を、右見て、左見て、車に注意して道路を渡る自分の姿がなんとなしにおかしい。

 昼間はトンボが飛んでいた。暗くなってからは蛙の鳴き声が響いた。季節の歩みは・・・桜の開花も早かったが、ちょっと早すぎないか。昨日草取りを終えた4×10メートルにもう一度鍬を入れ、レーキを掛けて畑として完成させる。ポットまきのズッキーニを植えようと思うのだ。夜はまだ冷えるので、開閉式のビニールを掛けてやることとしよう。

 本来の目的から外れた個室トイレの長時間利用を「トイレ籠城」と言うらしい・・・で始まる読売の記事が面白かったので、書く。僕は記事を読み始めてすぐに、トイレは個室に決まっているじゃないか、そう思った。雑魚寝ならぬ雑魚トイレなんてねえだろ・・・僕が考える個室トイレとは、大きな扉を押して中に入ると、男のオシッコ便器とは別に、足元に空間がある個室が並ぶ、それだと思った。だが、記事を読んでいくに従い、どうも違うらしいという気がしてきた。見たことがないのでイメージは浮かばないのだが。

 ともあれ、その個室トイレに長い時間こもり、昼寝する者、音楽を聴く者、さまざまいるらしい。男性会社員は言う。「上司や同僚に見られない個室は居心地が良い」。感情心理学の専門家は言う。「壁に囲まれた狭い一人の空間は人目を気にせず安心しやすい」。思えば僕自身も日々、人目を気にしない「個室」みたいな空間で暮らしている。仕事中に尿意を催せばすぐズボンを降ろして用を足すので、その空間はトイレの役目も果たしている。対して、上司や同僚の目の届かない空間にこもっていっときの平穏を得るという会社員の話はちょっと切なくもある。僕の個室はタイルの壁や天井ではなく、頭の上は青い空、周囲の壁は、いままさしく新緑を萌芽させた木々の壁だ。稼ぎは少ない。だが、トイレ籠城でいっときの平穏を得る会社員でないところにいささかの幸福感を抱く。

 4月15日。天気は急展開。雨だ。それのみならず気温は昨日より10度くらい低い。出荷用のヤマイモを掘りに行く。ふだんなら、どうせスコップを手にしたんだからと、見える範囲、ありったけを掘るのだが、今日はこの雨、1本だけ掘ればいいや、そんな気持ちで現場に向かったが、幸か不幸か、5本のイモが固まっているところに遭遇した。一瞬ひるんだが、敵に背中を見せたくない。予定外だがやろう。直径70センチ、深さ1メートルほどの穴を掘り、その穴に周囲の草を投げ込んで、埋めて、1時間がかりの作業であった。手にしたイモがどれほどのものだったか、この下の写真でおわかりだろう。

 午前の作業で全身ずぶぬれ。部屋に戻って、パンツまで脱いで、着替えて、ランチをすませ、再び雨の中で収穫と荷造り作業だ。大根、ヤマイモ、サトイモ、フキ、アシタバ、コゴミ、ジャガイモ、タマネギ、ウド、大豆モヤシ、エンドウ、タケノコ、卵。大根を洗ったところで思い出したのは、数日前の朝日新聞の「折々のことば」だった。

今も私の原点は、「大根、菜っ葉」です。藍原寛子

 鷲田清一氏の解説はこうだった。

夕刊のトップ記事を書くのが、新聞社1年生に課せられた仕事だった。持ちネタも尽きて呆然となる中、デスクに「大根、菜っ葉!」と発破をかけられたとジャーナリストは言う。野菜の値段の上下も「世界の事情」と確(しか)と繋がっているのだから、とにかく歩いて見つけ深掘りせよと。「女性たちの120年とこれから」(婦人之友4月号)から。

 これはひとつの比喩だが、僕の原点も「大根、菜っ葉」である。たかが大根、たかが菜っ葉。しかしそれが男の人生を変えたのだから野菜たちの力はあなどれない。午後4時、荷造りが完了した。濡れた、寒い。でも、まだやれる、やらねばならないことがある。昨日設置したビニールトンネルにズッキーニの苗15本を植える。雨に叩かれ、傾いたブロッコリーを立て直してやる。午後5時半、部屋に戻る。午前と午後で濡れた衣類は13枚。それを洗濯機に投げ込み、猫のブチに餌をやり、寒さをこらえて自分の餌の準備をする。手首から先がビリビリしている。長い時間、雨と低温にさらされると、長時間、正座してしびれた足みたいに手先がなるんだね。夕刊を手にして45度の風呂に体を沈める。湯から出たら湯冷めせぬようガッチリ着込んで晩酌だ。風呂も酒も心地よい。すべては冷たい雨のおかげである。我が人生、やはり原点は大根、菜っ葉、そしてヤマイモなのである。

 4月16日。昨日は一転して雨の1日であったが、今日はまた一転して快晴の1日であった。気温も25度に近かった。待っている時は姿を見せてくれなかったタケノコが、出る、出る、伸びる、伸びる。そのタケノコを、2つに割って、柔らかいところだけを取り出し、茹でてお客さんに送る。女性の手ではけっこう手間だろうし、都会の台所ではゴミの処分の問題もあろう。今の時期、クロネコ営業所には荷物の中身はタケノコですというのがとても多いが、それはたいてい丸ごとだ。

 すばらしい青空が広がる。近く電気料金はまた上がるらしいなあ。どんどん発電してくれよ・・・ソーラーパネルに向かって僕はつぶやく。ここ数日、ドイツでは、残っていた3基の原発が稼働停止され、ついに脱原発を成し遂げたというニュースが繰り返し伝えられている。2030年までには電力の80%を太陽光と風力でまかなうのがドイツの計画なのだという。一方、4日前の朝日の夕刊には「発電の温室ガスは2022年がピーク」だと英国のシンクタンクがまとめたという記事があった。石炭、天然ガスとも、世界的にはその使用は減少しており、再生可能エネルギーが大幅に増加しているためであるらしい。しかし、残念ながらG7の中で例外は日本で、全発電量の3分の2をまだ化石燃料に頼っている。結果、温室効果ガスの排出量は10年ぶりに増加に転じたという。僕には、温室効果ガスの問題と、原発再稼働の問題を、日本人の多くはどのようにとらえているのか、考えているのか、実際はよくわからない。生活における便利さを求めていることだけはメディアを通して常に伝わってはくるけれど。人間が求める便利さによって地球は汚されている。戦争によっても地球は傷つけられている。無言で耐えている地球という星はかわいそうだなあ・・・青い空を見上げながら、僕は時々そう思う。

 荷造りを終えて、まずはハウスの中のトウモロコシに土寄せ作業をやる。ポットにまいたトウモロコシはすでに4か所に分散して定植済み、さらにあと100本がポットで待機している状態なのだが、この下の写真はその第一弾である。すでに草丈50センチ。来月末には穂が出て来るのではあるまいか。

 トウモロコシを終えて、次はカボチャ。カボチャもすでにハウスに2か所、植え付けてある。第一弾はまもなくハウスの外にツルを伸ばす。そして今日定植するカボチャは・・・これぞ我が農法という見本なのかもしれない。畑のあちこちでカボチャは勝手に発芽する。ついつい、他の作業に気を取られ、僕に踏みつけられることもある。そのたび僕は、すますん、すまんと発芽したてのカボチャに謝る。謝るだけではない。植えるあてもないままに、とりあえず、何十本という発芽をポットに移し替えてやるのだ。毎夕、水やりもするのだ。せっかく生まれ出た命。それをむざむざ死なせたくない。でも・・・どこに植えるの? 場所はあるの? 苗は50本もあるよ・・・まっ、そのうちどっか見つかるだろう・・・ウン、そうだ、ここにしよう、今日そう思いついたのは茶の木のそばだ。その茶の木の上の部分は草ぼうぼうになっている。時間が出来たら、まず茶の木をきれいに剪定しよう。次に草を刈ってサッパリしてやろう。草の位置までカボチャのツルが伸びるにはまだ40日くらいはある、あせらずともよいぜ・・・まっ、我が農法は総じてこんな具合なのである。

 夕刻、だいぶ疲労感があるが、もうひとつだけやっておこうか。大豆モヤシが明日で品切れになりそうだ。今日のうちに機械に仕掛けておこう。茎ごとの大豆を箱に入れて、まずは踏みつける。次に手でしごく。バケツに移して何度もゴミを取る。次は平面に広げてダメな豆をつまみ出す。すでにここまでで40分。

 網に入れて最後の水洗いとチェックをし、モヤシ製造機のザルに並べる。このザルが6つある。電源は太陽光発電だ。冬は1週間かかるが、気温の高い今は2日でモヤシになる。

 4月17日。晴天である。空気は乾燥している。まずは、苗専用のハウスに行って、それぞれの状態を確認する。オクラ、ゴーヤ、トマト、インゲン、エダマメ、アスパラガス。土が乾きすぎているものにはすぐに水やりする。そして、出荷用のエンドウをもぐ。昨日まではスナックエンドウだったが、今日からは絹さやエンドウを送る。このハウスは春キャベツの生育を早めるためのものだった。少し隙間があるので絹さやの種をまいた。まだキャベツがあるころには窮屈そうな顔をしていたが、今は堂々たる姿となっていっぱい実を付けている。

 そして次は…腹立たしさをもってエンドウとは別な作業にとりかかる。数日前、もう少しで食べごろになるなと確認したイチゴ。それが、昨日行って見ると赤い実はひとつもなし。一瞬、自分の勘違いだったかと思う。だが、勘違いではなかった。次の写真、狸が残して行った糞である。ごちそうさま・・・ありったけのイチゴを食って、これがその返礼の品なのかヨ。落胆と怒りの情が少しばかり沸くが、それはすぐさまこらえて対策にまわる。持ち上げたビニール部分にブルーネットを掛けて、上部はパッカーで、足元はピンでしっかり留める(冒頭に掲げたのはその写真)。行き当たりバッタリの我が農法には、かような不測の事態も加わる。

 この仕事を終えて、ソラマメとキャベツのケアをする。ソラマメには一部、アブラムシが付いている。キャベツには青虫が付いている。いずれをも指先で握りつぶす。この作業をしていて思い出したのは数日前の読売新聞千葉版。目と喉の痛みで周辺住民が市役所に訴えたという記事だ。うちから車で10分ちょっとの隣接地域。そこの、ある農家は、サツマイモの植え付けのために土壌消毒をしたらしい。僕は自分での経験はないし、そういう現場を見たこともないのでよくわからないが、その薬剤を使ったら空中に飛散しないよう何かで被うというのが決まりであるらしい。しかしこの農家はそれをしなかった。近くの住宅にまで飛んで行き、住民の目や喉が痛くなったというわけだ。

 はるか30年以上昔のことを想い出す。僕の本を読んでくれたという男性が来訪した。そして有機農業から農薬の話になった。彼の父は、箪笥の引き出しいっぱいの農薬を見ながら、「これだけあれば安心だ・・・」そう笑みを浮かべて言ったという。たしかに、農民は長いこと、容赦なく生えて来る草に泣かされた。容赦なく活動し、野菜を食い荒らす虫にも泣かされた。それが、このクスリさえ撒けばいっぺんに解消するのだ・・・農薬に対し、副作用を案じるどころか、ありがたいもの、喜ぶべきものという認識だったのは、この来訪者の父上のみならず、少なからぬ農民の気持ちでもあったろうと思う。とりわけ多くの農家が熱心なのは、植え付け前の土壌消毒剤、そして畑周辺に使用する除草剤だ。

 しかし、クスリに対する警戒心がないのは、こうした農家のみならず、一般の生活者も同じではないかという気が、僕は前からしている。ここ1、2か月、いくつかの週刊誌がこの問題に焦点を当てている。自分はこんなクスリは飲まないという医師の言葉を援用しつつ、ひとつひとつの薬が及ぼす弊害、さらには複数の薬の服用による害をも指摘している。なんと7つものクスリを並行使用している人もいるらしいのだが、農家だけではない、薬剤への素直な信頼というのは国民共通のものではないか、僕にはそう思えてくるのである。

 前にも書いたが、僕は医者とクスリがあんまり好きではない。幸い、全くクスリを飲む必要がないままにこの年齢になったのだが、もし癌になって、ものすごい痛みがあって、このクスリを飲めば痛みはすぐに消えますよ、医者にそう言われたら飲むかもしれないが、でも、僕は、たぶん、これからもしばらく、クスリ無縁で生きてゆくだろう。自分でクスリは飲まないのだから、土にも、野菜にも、果樹にも、クスリを使うことはない。毛虫も青虫もアブラムシも、手で握りつぶす。それでダメならあきらめよう。我が農法なのである。

 4月18日。ちょっと不安定な空模様の1日だった。快晴から曇り。そして雨。また薄く晴れ。午前はしばしプラムを見て回る。木によってのバラツキはあるが、総じて不作だった去年よりはずっといい。花が終わって半月。この上の写真のような実になっている。それに僕は少し手を貸す。実にかぶさっている葉をちぎる。幼果はデリケートで、たった1枚かぶさった葉で傷むのだ。また1枝に大小複数混在しているところは小さい実をちぎり取る。同じことはビワでもやる。

 先週来訪した自給自足を目指す女性が研修1日目として訪れた。とりあえず、いずれはピーナツを植える予定の、草だらけの場所をきれいにしてくれるよう頼んだ。頼んでおいて僕は荷造りにかかった。2時間後、行って見ると4×8メートルほどが見事に整頓されていた。手を休めた彼女に、エンドウの促成栽培、ウドの土盛り栽培、今日はそういうことを教えてあげた。

道具多く持っているやつほど下手や。西岡常一

 ポットまきのキュウリを定植する場所を準備せねばならない。候補地として、2月終わりまでタアサイがあった場所を思いついた。ただし、取り残したタアサイは草丈1メートル近く、花をいっぱい咲かせている。そいつをひたすら引っこ抜く。さらに、スコップを入れて攪拌する。そこでふと思い出したのが一昨日の朝日新聞「折々のことば」だった。鷲田清一氏は次のように解説する。

道具はモノではない。「肉体の先端」だと奈良の宮大工棟梁は言う。手と同じで、一つでいろんな仕事をこなすし、爪のようにいつも研いでおかないといけないし、木のたち・・やはるか先の状態を考えて使い方も調整すると。ノコギリの場合だと、木の堅さ柔らかさを調べて歯の目立てをする。下手な大工は「いろんな道具がないと仕事できへん」とバッサリ。『木に学べ』から。

 この棟梁の言っていることはとてもレベルの高いものである。そこに、うん、まったくそうだとオレは頷いた、なんて書いたら笑われるに違いないが、でも、「道具多く持っているやつほど下手や」は、スコップと鍬だけで1500坪を耕す僕には力強い味方を得たような気分になるのである。スコップ1本で、畑を耕すのみならず、篠竹の根を切り、タケノコを掘り、果樹にこびりついた苔を削り取ることもある。ときには足長バチの巣を叩き落とすのに使うこともある。まさしく、僕にとっても、「道具はモノではない、肉体の先端」なのである。

 4月19日。テレビは朝から、今日は夏日です、体調管理にご注意ください、そう呼びかけている。でも・・・たかだか25度だろ、騒ぎすぎじゃないのかい、僕は少しばかり冷ややかな目をテレビに向ける。だってオレなんか・・・自慢話じゃなくってネ、40度を超える畑でスコップ仕事をしなきゃならないんだからさ、25度は、やっぱり騒ぎすぎだという気がするね。

 朝食をすませ、今日も重い植木鉢を部屋から日当たりの良い屋上庭園に運び出す。キンリョウヘンの鉢である。この花が咲くとミツバチがやって来る・・・。僕は、養蜂の先達者が書いたものを読んで、そうか、そんなに効果のあるものなのか。だったら買おうかなあ、でも高いなあ・・・ずっと迷っていた。しかし、ええい、いつまでも迷ってたってしょうがない、やってみないと何事もわからない。ついに意を決して買うことにしたのだ。アマゾン経由で12600円。もっと安いものもあった。どうやら値段は冬の間に出来た花芽の数によって決まるらしい。2芽で5000円を捨て、5芽12600円を選んだ。しかし、嬉しいじゃないのさ、実際には花芽は11着いていた。届いた時の鉢はいかにも窮屈そうなので大きな鉢に植え替えた。その重い鉢を、開花を促すため、夕方には部屋に取り込み、また翌朝には屋上庭園に出す。それを繰り返してから半月余。今ついに開花目前というところまで来たのである。

 生き物大好きの僕だが、ミツバチに関してはビギナーである。ここ2年ほどのにわか勉強で、ミツバチの捕獲には2つの方法があると知った。キンリョウヘンのような匂い物質で引き寄せ、近くに置いた巣箱に誘導する方法。もうひとつは木の枝にかたまった群れを一網打尽とし、強引に箱の中に捕りこむという方法。昨年、この後者を初めて試みた。失敗した。そこらにあった、金魚をすくう小さな網を使った。小さいがために一気にドサッと網には入らず、僕は何度もガリガリとやった。それでもって、群れは分散し、どうにか捕まえたものも、ストレスがひどくて、とても僕が用意した箱に棲みつく気にはならなかったらしく、全員がエスケープしてしまったのだ。そこで僕は、この上の写真の大きな網を手製した。ちょっと頼りない感じだが、直径50センチ、深さ80センチあるから、これなら大きな群れも一気に落とし込めるであろう。さらについでに、去年は無防備のままで生け捕り網を使った。顔の周りを蜂たちがぶんぶん飛び回る。それでも刺されることはなかったが、やっぱり作業はへっぴり腰になる。よっしゃ、ならば・・・上半身を防護するネットを買ったのである(この上の写真の下段)。さあどうだ。ミツバチたちは来るか。うまく捕まえることは出来るか・・・わくわくするのである。76歳の老人が、小学生のごとく胸をはずませるのである。

 午後4時半。畑はもうひと仕事あるが、陽も陰って来たことだし、その前におまえたちを部屋に入れてやらんといけないなあ。5日前、岐阜の後藤養鶏から届いたヒヨコ30羽。後藤養鶏とは30年ぶりのお付き合いである。発端は卵不足。前から書いているように、僕が飼っているチャボはもともとの産卵が少ない。のみならず、抱卵の意識が高く、孵化までに3週間、育児に2か月と、採卵としてはとても効率が悪い。時あたかも、卵価高騰が伝えられている。お客さんに少しでも喜んでもらおう。そんなわけで、はるか昔にお付き合いのあった後藤養鶏さんに3月初め連絡してみたら、以前はやっていた宅配業者での配送は今はダメです、しかし4月半ばまでお待ちいただけるならば当社のトラックでお届けしますよ、そうなったのである。

 その返事をもらって間もなく、僕は小屋作りにとりかかった。さまざまな外敵がやって来るから、常に監視の目が届くところでないといけない。しかし手近にはそんなスペースはない。ふと浮かんだアイデアは、太陽光パネルの隣にパイプを植え込み、ブルーネットを二重に張り、変則的な二階建て構造の小屋を作ることだった。幼少時からここに入れて、「自宅」であることをヒヨコに学習させる。そして大人になったら、日中は開門して庭を自由行動させるというのが我がプランなのだ。ただし、今はまだ夜は寒いし、この小さい体では外敵にパクリと食われる恐れもある。というわけで、夕刻になったら箱に移動し、僕のパソコン部屋で寝かせるのである。手間はかかるが、さあ、うちに帰ろうと僕が手を出すとすばやく寄って来る。指先をツンとつつく。かわいいものだ。これまた子供のごとく胸のわくわくする作業なのである。

「僕の農法」と題したテーマには、これではまだまだ足りないところもある。でも、ここらでそろそろシメとしようか。日々やるべきこと多し。行き当たりバッタリでやって、そこに不測の事態も生じて、さらには、ミツバチもヒヨコも不意に浮かぶアイデアで、我ながらなんとも落ち着きのない、あわただしい生活だなあと正直思う。でもこうして、時は「軽やかに」流れるのである。逡巡しない。汚泥のようなものを含む精神の滞留もどうやらない。たとえ計算外のことが発生しようとも悔やまない。さて、明日は何をやろうか・・・布団に入って、電気を消すと、じきに僕は眠りに落ちている。そして、午前5時、ジイチャン、雨戸をあけろというチャボの声で眠りを妨げられることもあるのだけれど、それでも、淡いオレンジ色の光を浴びると、まっ、悪くはないさ、田舎暮らしも、百姓生活も・・・そう思って、今日も、がむしゃらに、働くのである。

 

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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