今回のテーマは地球温暖化である。連日35度超えの猛暑。夜は夜で毎夜27度の熱帯夜。うちのカボチャが熱傷にかかったり破裂したりという話は前に書いたが、他にキュウリは釣り針の形になる。ナスは表面の皮が変色、硬くなる。ピーマンの場合、直射日光を受ける上部の実が溶けたようになる。さらには、7月までは順調だったエダマメとインゲンはとても食えたものではない品質劣化で・・・。なんともまあすさまじい。そんな畑から目を転じると、ハワイの山火事、続けて北海道と九州を足したよりも広い面積を焼いたというカナダの山火事、さらにはアフリカでも大きな山火事が発生している。今の時期、カナダの平均気温は20度だとか。それが今年は30度を超えているのだと聞くと、いかに地球が熱くなっているかがわかる。北極の氷が溶けているというのは以前から伝えられているが、今ではさらに加速しているらしい。それでもって海面は上昇し、海水温度も高くなる。高くなった海水温度はハリケーンや台風をより強力にする。海水温が高くなった日本近海にはサンマが寄り付かなくなった。なんと、今年のサンマは1匹5000円もするなんて・・・。どうなってゆくのかこれから地球は。そんなことを、暑さでいささかボンヤリとした頭で考えながら僕は働く。1時間ごとに、頭と首筋と両手に水を浴びせ、冷蔵庫のスポーツドリンクをゴクゴク飲んで、再び畑に向かう。ハード。でも幸い、まだ熱中症で倒れる気配はない。
8月21日。「電力需給夕方厳しく―太陽光の発電量急減」。7時起床。今朝も、扇風機をつないでいる蓄電池がカラになり、扇風機が止まると同時に体が熱さを感知し、目が覚めたのだ。偶然のことだが、500ワットの蓄電池は扇風機8時間の使用で電気がなくなることを僕は知った。でもって、今は目覚まし時計代わりに蓄電池+扇風機を使って寝る。ずっと27度の熱帯夜。でも寝苦しさを感じたことはまだない。
そして今日も燃える1日が始まった。8月も残り10日。例年なら身も心も秋の感覚だ。秋冬ものの野菜の苗も順調に育っている時期だ。されど、注ぐ光と漂う空気は殺人的。それでもやらねばならないことは数々ある。キャベツ、ブロッコリー、白菜の植え付け。タマネギ、ニンニクの植え付け。その予定場所を草取りしながら少しずつ準備していく。まあこれほどまでに・・・自分でも感心するくらい汗が流れ出る。1時間置きくらいに水道の水を上半身にかけて体温を下げる、水分を補給する。全作業を終えた夕刻、着ているシャツは、元は白だが茶色。汗と土がなす染色だ。体にペタッとくっついたシャツはいつも脱ぐのに苦労する。その脱いだシャツやパンツを洗濯機に投げ込み、風呂に飛び込む瞬間、やったぜ今日も、さあごほうびだ、ビールだ・・・と胸の内で僕は叫んでいる。
電力需給は夕方に厳しくなる・・・これは先だって目にした読売新聞の見出しである。通常、需給がひっ迫するのは日中だが、夕方になると太陽光の発電量が急激に減るからだという。例えば東京電力では7月26日の午前11時台、発電量は1397万キロワット。それが午後7時台にはゼロとなった。一方で、電気の使用率は夕方から夜にかけてピークになる。各家庭で帰宅して料理、風呂、エアコンなどに使う電力が増えるからだという。脱炭素化の流れで拡大した太陽光発電だが、2021年度時点で電源構成全体のまだ8・3%であるらしい。
雨が降らない猛暑つづきの今年、野菜も人間も辛い日々だが、我が家における唯一の朗報は十分な発電量である。先ほどの東京電力の話では午後7時の発電量はゼロ・・・当然ながら我が家でも日が暮れればゼロになる。しかし僕はちょっとした工夫で需給ひっ迫を回避している。パネル→バッテリー→インバーターというラインは12ある。それとは別にパネルから直に給電する蓄電器が同じく12ある。これらを日中使用するものとそうでないものとに分ける。日中使用とは、冷蔵庫3つ、電子レンジ、湯沸かし器、テレビ、パソコン、扇風機など。午後10時頃、これらを、日中、給電だけで全く使用しなかったラインにつなぎ変えてやるのだ。このやり方でもって電気の供給が途切れることはない。
8月22日。「私にはただの野原にしか見えなかった」。午前中、小さな雨が降った。昨日の予報では千葉は午前中ずっと雨マーク。ならば野菜も人間も一息つけるな・・・そう期待していたけれど、午前中に降った雨は雨とも思えず、しかもあっさり止んで、またもや酷暑となった。さて、今日はどの作業から行くか。頭に浮かんだのはヤマイモだった。僕は常に荷物のメニューを考えている。わずかでも前月とは変化させねばならない。9月の新顔は何か・・・そこで頭に浮かんだのがヤマイモだった。サツマイモでもピーマンでもエダマメでもいい、それを収穫しに行った時、もしヤマイモが見えたら必ず周辺の草を取ってやっている。しかし1か所だけ、春以来全く手つかずのままになっている場所があることにふと思いついたのだ。
ふだん、収穫しに行く野菜が全くないところだ。だから意識から抜け落ちていた。春の初めに種イモを埋め、4月ごろに支柱を立てて、以後ずっとご無沙汰。今日見れば、ヤマイモ自身が背後にあるビワの木に絡みつき、その上をヤブカラシが覆い尽くし、足元の部分も僕の膝上くらいの高さの草にビッシリ取り囲まれている。野太い性格のヤマイモといえども、これでは息苦しいだろうなあ。作業にとりかかった。4×9メートルくらいの面積。ひたすら抜く。全体重をかけても抜けないやつはスコップを使う。途中休憩を入れて、暑さで傷んだ、冷蔵庫でよく冷やしておいたマクワウリを2個食べて、都合3時間の格闘。それでどうにかヤマイモの列がこの下の写真のごとく見えるようになった。
この草との格闘をしながら思い出したのが、しばらく前の朝日新聞「川口さんの自然農いま注目」という記事だった。『田舎暮らしの本』の読者ならば川口由一さん(2023年6月9日逝去、享年84)のことはよくご存じであろう。朝日の記事を書いたのは編集委員・石井徹という方。石井氏は30年ほど前、知人の紹介で川口さんの田畑を訪ねた。その後、環境問題を中心に取材を続けた。30年前の訪問時の印象を石井氏はこう綴る。
私にはただの野原にしか見えなかった。なぜ自然にまかせて米や野菜ができるのかということを聞いても全く理解できなかった。
今日のヤマイモの現場のように、我が畑も「ただの野原」であろう。とりわけ猛暑の今年はそうであろう(草の伸びが例年とはまるで違う)。しかし草ひとつ生えていない区画も全体の3割くらいはある。僕は川口氏の自然農理論には遠く、さりとて、除草剤の力を借りて草を根絶やしする一般農法でもない、この両者の中間くらいにあるのが我が農法だろうか。もう一度、石井徹氏の言葉を借りよう。
経済的に豊かになるために人類がいかに自然を破壊し、大量の資源を使い、廃棄して、気候を変えるまでに至ったのか。その先にある破局を回避するにはいま何をすべきか。解決のカギになりうるのが農業だ。私たちには欠かせない食べものを担い、温室効果ガス排出の4分の1を占める。食糧増産のために大量投入された農薬と化学肥料は土や水、私たちの健康を汚す。工場型畜産は気候や動物の福祉を損なう・・・。
人間の命のもとである食料の生産と引き換えに、地球に大きな負荷を与えている。農業にはそのような一面もある。僕自身には川口理論のような確たるものがあるわけではないが、農薬も除草剤も使わず、全てが手作業で、機械は使わないので燃料の消費もゼロだ。旺盛に伸びた草の中にはさまざまな昆虫がいて、草を抜き始めるとニワトリたちがすぐさまやって来て楽しそうに虫を追いかける。抜いた草を僕は袋に詰めて土にし、畑に戻す・・・このサイクルで生きること、食うこと、それが不思議と心地よいのだ。
ハワイに続くカナダでの山火事のニュースで、専門家が「負のスパイラル」という言葉を口にしていた。森林の木々は空気中の二酸化炭素を吸収し、酸素を排出する。同時に蒸散作用でもって水分も出し、環境の乾燥を防ぐ。今回の山火事のみならず、例えばアマゾン地帯では食糧増産のために広く森林の伐採が行われているが、地球上の森林が減れば減るほど温暖化は進み、乾燥も進む。すなわち、今後さらに森林火災は増える可能性がある。負のスパイラルとはそういう意味だ。
8月23日。「エアコン一台 6畳に4人寝るしか」。列島の南に小さな熱帯低気圧があるらしい。それが不安定な天気をもたらすらしい。ランニングの時すでに雨。しかし走れないほどの降りではなかった。だが、朝食の頃から断続的にすさまじい降りとなった。チェックのため畑に向かうと定植3日目のキャベツとブロッコリーは多くが横倒し、半分土に埋まったものもあった。ちょっと傷心。どうにか雨雲は去ってくれたかな、そう思ったのは午後1時。すさまじい蒸し暑さである。昨日までずっと蒸し暑かったけれど、今日の雨がさらに湿度を高めた。雨雲が消えた頭上は真っ青な空、強烈な光。野菜たちはどれほどキツイことだろう。
蒸せる空気の中で大豆の草取りをする。種をまいてから60日。もう花が咲き始めている。昨日、川口由一氏の自然農について書いたが、僕のやり方は、旺盛に育つ草を、とりあえず無視する作物、逆に1本たりとも生やさないようにする作物、2通りある。大豆は後者。草負けしやすいのだ。日陰に弱いのだ。草に取り囲まれた大豆は、日当たりの良いものはガッチリと横に広がるのに対し、ヒョロッと縦に長くなる。つるありインゲンみたいに中心軸を上に伸ばして行こうとする。たぶん少しでも光をという願いからであろう。そうなると、ガッチリと横に広がった株よりはるかに花数、莢の数とも少なくなる。ということで、大豆は頻繁に畑を見回り、ちょっとの草でも目に入ったらすぐに抜き取る。
午後4時、どうやら空模様は安定したようだ。4月、生後3日目に届いた後藤のヒヨコも人間ならばそろそろ成人。彼女たちも激しい雨が止み、明るい光が差すのは嬉しいらしく、ソーラーパネルのふちに乗って楽しそうにしている。僕の仕事はもう少しある。大豆のケアがあと3畝残っている。雨が激しかったゆえ傾いてしまったのがかなり。それを起こし、しっかり土を寄せてやる作業を暗くなるまでやった。そして、NHKのニュースを見ながら晩酌。新潟の長岡は39度だったという。驚いたのは札幌の36度。100年以上に及ぶ観測史上で最高値であるらしい。
そのニュースを見ながら想い出したのは朝日新聞「気候危機と夏の住まい」という連載記事。その第一回は43歳のシングルマザーと19歳を頭とする3人の子供たちの暮らしだった。家族は前に住んでいたアパートの半分以下、3万円の家賃で都営住宅に引っ越した。部屋は6階の角部屋。エアコンなし。仕事から帰る時刻は西日が厳しい、風通しも良くない。「夏は夜も灼熱です・・・」。とても我慢できず工賃込み7万円というエアコンを買った。そのエアコンの部屋に4人で寝るという。もうひとつエアコンを設置したくとも配管穴がない。新たな配管穴を開けることは出来るが工事は自費で、退去時にはもとに戻す決まり。築40年余りの都営住宅。コンクリートの建物は熱を吸収したまま夜も冷めない。エアコンを1日中つけっぱなしにしても暑いのだという。
はるか50年以上昔のことを思い出す。結婚して住んだのは出来たばかりの公団住宅3Kだった。ある夏の夜、どうにも寝苦しくて目が覚めた。月給3万5000円、家賃1万4500円。エアコンはもちろん、扇風機もなかった。寝床から這い出した僕は台所の冷蔵庫の前に横たわった。そこはタイル張りみたいになっており、いくらか涼しいと考えたのだ。でも暑苦しさは解消しない。思いついた。そうだ、・・・冷蔵庫の扉を開けた。しばしその冷気を浴びた。
すでに書いたことだが、今の僕は朝までずっと扇風機を回して眠る。ベッドに入る時刻の室温は27度だが、グッスリ眠れる。たぶんコンクリートの建物とはさまざまな違いがあるからだろう。部屋の四方にはぐるっと樹木がある。地面がコンクリートで覆われているという場所はひとつもなく、全て土。ベッドの頭の方向のガラス戸を全開して眠るのだが、おそらく自分の体を取り囲むその樹木と土がほどほどの涼気をもたらしてくれるからに違いない。さて、この先、地球はどうなってゆくのか。人間の暮らしはどうなるのか・・・と考える。温暖化、海水温の上昇、それが農作物や海での漁獲に影響をもたらしていることは常々メディアで伝えられている。これに加え体温を超えるという高い気温が人体に打撃を与える。あと50年、100年、食べたいものを食べ、健康に生きてゆけるのだろうか、我らニッポン人は・・・。
8月24日。「癌ロコモ・・・癌の治療中にも自転車を漕ぐ」。今日はもはや昨日みたいな雨の気配はない。直射日光は、背中にのしかかる重ささえ感じるほどに強烈である。昨日、今シーズン最初のヤマイモ掘りをやった。今日もそのヤマイモとサトイモを掘ることにした。7月から8月にかけて、ずっとトマトやナスやエダマメ、ピーマンと夏野菜メインだったものに、少しばかり秋の彩を添えたい。その思いでもって掘るのである。
昨夜10時、ベッドの中でNHKジャーナルを聴いた。僕が熱心に耳を傾けたのは、埼玉がんセンターのドクターの話だった。2人に1人がかかるという癌。癌の治療法そのものは大きく発展し、5年生存率、10年生存率はかなり高まっているという。しかし問題がある。癌患者は手術から始まり、抗がん剤投与など、長くベッドの上で生活することになる。その結果、癌は寛解したけれど、体力・筋力が大きく減退、先ほどのドクターの言葉だと、「退院時にはふらふらで、ちょっとしたことで転倒し、骨折する」ということも少なくない、すなわち癌ロコモの状態なのだという。それでドクターは病院にいる間、体を動かすことを推奨する。例えば乳癌で、乳房を切除した患者にも、術後3日にはもう自転車を漕いでもらう・・・。
僕がさらに注目したドクターの言葉、それは、運動が単に体力・筋力を維持・回復させるだけでなく、細胞レベルで体内の癌と闘う能力を向上させる、すなわち、運動することで癌が治る方向に進む、ということだった。あり得るだろうな、そういうこと…ラジオを聴きながら僕は思った。動物としての人間の体は最初から動くように仕組まれている。動かないでじっとしているという人体は、設計段階から想定されてはいないのだ。激しい運動は体に毒、命を縮めるという説もなるほどあるが、さてどうかな・・・猛暑の中で鍬やスコップを使う労働をしつつ、その説に僕は疑問符を付ける。さてと、唐突ではあるが、次の文章をごらんいただきたい。1986年発行『自然食通信』の増刊号『百姓になるための手引』。数日前、荒れ果てた倉庫に卵を取りに入ったところ、表紙はホコリとチャボの糞まみれのこの本が目に入ったのである。編集委員は和歌山の村山勝茂さん、島根の小林幸治さん、それに僕の3人。月に1回の編集会議を経てこの本は出来上がった。「百姓志願者へ根っからの農民よりひとこと」と題された欄には、山下惣一氏、星寛治氏、金子美登氏、佐藤喜作氏ら、錚々たる先輩農民が言葉を寄せている。その本の巻末、編集委員3人がそれぞれ編集後記のようなものを書いている。ちょっと長いが・・・。
単なる憧れや都市からの逃避ごころから百姓になるのはやめたほうがよいという意見がある。僕もそれには賛成だが、ここではあえて別のことを書く。「百姓になるための必須条件」を、植物が生育するのに欠かせない三要素にたとえるならば、チッソ(金)、リンサン(体力)、カリ(教養)ではなかろうかというのが僕の持論だ。これら三つを備えたなら「憧れ」でも「逃避」でも構わないと僕は思う。モヤモヤした気分で満員電車に揺られているあなたが、この本を手にして百姓志願を決心したなら、ぜひ今月から、月々五万円の貯金をしてほしい。毎日欠かさず十キロを三十五分以内で走ってほしい。さらに、革命の書に加え、阿刀田高や山下惣一さんの本もドシドシ読んでほしい。するといつしか道が開けて来る。ただ「必要な手続き」がそれで完了したというのではなく、それが自分の意思を自分で確認する手段になるということなのだ。会社を辞めてラーメン屋になるのだってスナックをやるのだって、結局は本人の「やったるぜ」という意思の持続力だろう。だから、いま書いた三要素は僕自身の理想であるとともに、自分の気持が単なる気まぐれか本物かを調べる試験だというたとえ話なのだ。僕は百姓が好き。そしてこれから百姓になりたいという人も好き。だから僕はこの本が出版されることがとても嬉しい。(中村顕治)
37年ぶりにホコリを払って読むと、オレも若かったなあ、だいぶイキがって書いている青臭さが漂っているなあ、そんな気が正直する。でも、本旨としては間違いじゃない、37年たった現在でも我がたとえ話は該当するのではないか、そうとも思う。田舎暮らしや百姓生活には長い歳月、さまざまな想定外のことが生じる。気持ちも折れる。しかし、それを背後から押し、なお前進させてくれるのは体力である。先ほどの話では、運動が癌細胞をやっつけてくれるということだった。田舎暮らしにおいても、「挫折という癌細胞」をやっつけてくれるのは目の前の困難を押しのけるだけのパワー、体力である。
晩酌。今日のビールの友の1品は昼間掘ったヤマイモであった。深くもぐり、かつタコ足状に分枝しているヤマイモを無傷で掘り出すのは難しい。大まかに外辺をスコップで掘り上げた後は、大工道具の大きなバールを手に持つ。根気よく、イモを包んでいる土を削り、削った土は手でつかみ出す。それでも残念ながら折ってしまうものもある。その不良品が我が晩酌のつまみになる。ヤマイモをスライスし、同じくスライスしたユズと混ぜ合わせた。絶品サラダである。思うに、運動する、汗を出す。あれこれ工夫し、失敗し、成功しながら得た畑の産物で腹を満たす・・・暮らしの中の癌細胞はたぶんこれで退散する。
8月25日。「福島産の魚介類だけに使えるクーポンというのを提案する」。一時的に黒い雲が広がったが、本日も猛暑である。荷造りに走り回る僕の頭と背中にガツンガツンと光が注ぐ。もう4時近いというのに、玄関に差し込む西日はすさまじい。玄関扉の金属部分は思わず手を引っ込めるくらい熱くなっている。この下の写真はそんな光に焼かれたピーマンである。例年このようなのはあるけれど、今年は特別数が多い。秋ジャガにも被害が出ている。小さな種イモは丸のまま、大きいものは分割して植えた・・・タイミングも悪かったのであろうが、植え付け直後に激しい雨。そして熱射。発芽していないところを掘り返してみたらカットして植えたイモの多くが腐敗していた。
福島原発の処理水放出がニュースで大きく取り上げられている。新聞を読み、テレビを見て、何か僕はもどかしさを感じる。「国民にも関係者にも、しっかり説明してご理解を・・・」とは言うけれど、しっかり説明が、ちっともしっかりではないように僕には感じられる。このままでは風評被害は避けられない・・・僕の提案はこうだ。化学者10人に解説を求める。トリチウムという物質の基本的な説明に始まり、薄めて海に流すとどうなるのか、人体への危険性はどのレベルなのか。学者それぞれの立場と意見は違っていい。データの解釈が異なってもいい。ともかく10人の専門家の意見を静かに聞いてみるのだ。日本の化学者に加え、中国からの化学者も招きたい。福島の漁船に同乗してもらうのもひとつの案。皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、政治とは離れた公正中立、サイエンティストとしての眼を現場で貫いてもらいたいと思うからである。
そしてもうひとつ。政府にはクーポンを発行してもらいたい。額面1万5000円を1万円で買えるようにする。クーポンは何セットでも買っていい。ただし使えるのは福島産の魚介類を購入する場合だけ。他では使えない。さらに、東京電力管内の1家庭ごとワンクーポンの購入を義務化する・・・こういうことを書くとおまえはアホかと言われるに違いない。でも考えてみて、悲しい事故ではあったが、12年前のあの日まで、誰もが福島から送られてくる電気で生活していたのだ。津波を予見せず、あんな場所に原発を作った東電にすべての責任があるという見方もあるが、地震・津波から完全セーフという場所は日本列島には存在しないだろう。いま最も大事なことは、「しっかり説明する」という曖昧な言葉ではなく、化学者が前面に立って解説することである。同時に、福島の漁民が憂いなく漁に出ていけることである。我々は、高度経済成長期以後、便利さと快適さを求めてきた。それ自体は間違いではない。でも、あらゆる行為、欲望は代償なしには成立しない。いいとこドリはあり得ない。エアコンのきいた快適な部屋で、オール電化のキッチンで夕食を作って食べながら、汚染水放出のニュースをテレビで見ながら、さりげなくつぶやく。福島産の海産物はこれからもう心配で食べられないねえ・・・こういう生き方に百姓の僕は矛盾を感じるのである。
8月26日。「エコ不安―環境問題に悩んで気持ちが沈む若者たち」。今日も真っ青な空に低く白い雲がもくもくと。途中、激しい雨が降ったが短い時間で、ほぼ1日が猛暑であった。立秋からすでに20日近く。蒸し暑さは立秋以前と変わらず、気温だけならまだ夏の盛り。だが日の出は遅く、日没は間違いなく早くなっている。果てしなく続く高温に、これじゃあ秋冬の苗がなかなか作れないじゃないかと少々愚痴りつつも、季節の移ろいは感じ取っている。前にも書いた。仕事を終えた僕は、ストレッチしながら軽トラのフロントガラスに押し当てて広げた夕刊を読む。先月までは7時を過ぎても読めた。しかし今はもう6時20分が限界である。
これから夏が来るというのに夏至が来るとなんとなく淋しい気がするんですね。星野道夫
数日前の朝日新聞「折々のことば」である。鷲田清一氏はこう解説していた。
アラスカでは人は太陽がどんな弧を描いているかをいつも気にして暮らすと、写真家はいう。夏至が過ぎると、まだ夏が来てもいないのに冬が近づいているのを感じる。逆に冬至を過ぎるとごく小さな弧が日ごと大きくなってゆき、気持ちが楽になると。都会ではそんな日照の変化には気を配らず、逆に気象の読めなさに怯えるようになっている。講演集『魔法のことば』から。
僕の日常は鷲田清一氏の解説にほぼ近い。夏至を迎えると、山に例えるなら、ああ、てっぺんだ、もう下っていくばかりだなあと思う。冬至になると、よっし、暗くて寒い冬の、今日が底だぜ、これからは少しずつだが明るい方向に向かって行くぞ・・・と気持ちを明るくする。たぶん、光の長さ、強さと密着しつつ生きる百姓ゆえの感覚なのであろうが、それに加え、太陽光発電をやっていることともおそらく関係する。太陽光発電を始めて5年5カ月。太陽の高さと、星野道夫氏が言う太陽が描く弧に僕は敏感になった。ソーラーパネルをどの方向に向けるのが効果的かを考えるからだ。時計の文字盤を頭に描いていただきたい。僕は南の空に向かって両手を広げ、水平に伸ばす。左手の先は9時の位置、右手の先は3時の位置にある。夏至から1カ月くらいの間、太陽は3時の位置からははるか後方、5時くらいの位置まで輝き続ける。よって、下に車輪がついていて、方向転換が容易なソーラーパネルは午後、仕事の合間に南から西の方向に大きく転換してやる。逆に冬至の頃は、太陽は時計の文字盤1時から2時の間あたりでもう姿を消す。たまたまその位置に背の高い木々が連なっていることとも関係する。夏ならば太陽は高い位置にあるゆえ、高い木にも邪魔されずに畑まで光を届けるけれど、高度を下げた太陽は11月半ばころから西の森林に妨げられるのだ。そのことを計算に入れ、早く陽の切れる場所にはこの野菜を、最後まで光の届く場所にはこの野菜をと、夏の終わりに畑のデザインを毎年する。ともあれ、夏至と冬至ではかように太陽の高度と弧が違う。こんな表現をするのは、ちょっとキザかもしれないと思いつつ・・・しかし百姓の僕は、やっぱり太陽とともに生きて働いている、喜びも悲しみも太陽とともにある暮らしをしているのである。
話は変わる。「エコ不安」という言葉があることを先だって、朝日新聞の記事で知った。地球環境の問題が原因で気持ちが沈んでしまうという症状が若者を中心に広がっているというのだ。気候に対する不安は世界中の子どもや若者に蔓延しているらしく、日本でも、電通のアンケート調査で、16歳から25歳の72%が「不安」を感じていると回答したという。正直これは、僕には意外な数字だった。地球の未来なんて自分にはどうでもいいさ、他の楽しみを見つけ、お気軽に生きている、それが昨今の若者、失礼ながら僕はそう思っていた。しかし違っていた。ごめんなさい・・・僕は、ひと呼吸置いてから、ああ、そうかと思い当たった。僕を含めた老人にとって、10年先、20年先は自分の存在しない未来である。30年以内に70%の確率で起こる南海トラフ地震にはほとんど現実感がない。だが、25歳の青年が今の僕の年齢まで生きるとして50年以上ある。悪化を辿る地球環境にこれから先50年以上もの自分の人生をゆだねる、それでは、なるほど、確かに不安を招くだろう。
8月28日。「ナマケモノはなぜ怠けるのか?」昨日は断続的に降る激しい雨とカミナリに調子を狂わされた。しかし今日はその心配はなさそうだ。ただし、それで蒸し暑さが復活。最も息苦しさを感じるのは室温35度で食べるランチの時だ。大根をまく、キャベツを植える。その場所を打ち起こし、草を取る。キャベツとブロッコリーの苗はポットの中でじっと出番を待っている。大きさからするともう十分に定植すべきサイズだが、強烈な光と高温にはたして耐えられるのか、僕は迷っている。
大量の草をひたすら抜き取る。ビワやポポーを覆い尽くすまでに繁茂したヤブカラシとカナムグラを引きずり下ろす。連日とことん働くそんな僕の頭に浮かんだのは、先ごろ書評欄で読んだ稲垣栄洋著『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? 』(ちくま新書)だった。僕はいま『なぜヒトだけが老いるのか』(小林武彦著、講談社)を読んでいるが、書評を読んで、よし、次はこの本を読もう、そう思った。以前、稲垣栄洋氏の『生き物の死にざま』を読んで面白かった記憶があるからだ。『ナマケモノは、なぜ怠けるのか?』の評文を書いていたのは横尾忠則氏。稲垣氏の本には、たとえばデンデンムシを一例として、みっともない、にぶい、ぱっとしない、こまった生物が次々と登場するらしい。「でも、そのままでいいんだよ」と著者は言う。評文の最後、軽やかな筆で横尾氏はこう綴る。
本当につまらない生き物を著者は見つけた。「ヒト」である。戦争を起こし、欲深く、自分勝手に地球をおかしな大義名分を理由に壊してしまう。「神さまはどうして、こんなつまらない生き物をお創りになったのだろう」。そんな人間を「あなたは、あなたのままでいいんだよ」と言っていいのかな。
今日もいつものように、畑仕事を終えて夕刊を読む。一面の右にある週間天気予報。なんと、向こう1週間晴れマークの連続で、気温は最低が26か27、最高は連日35度。ランチの時に見たテレビのニュースで専門家が言っていた。もはやこれは異常気象と言う他はありません・・・。9月、10月も高温で、11月になってようやく平年並みになるという長期予報を聞いて、僕はちょっとうんざりするね。我が体力は、限界に近付いているが、どうにか、もつだろう。しかし野菜は、秋冬もの野菜は冷涼な気温の中で育ち、旨味も出るのだから、こんな気候ではどうにもお手上げだ。
戦争を起こし、欲深く、自分勝手に地球を破壊してしまうヒトという生き物・・・。一昨日、若者の「エコ不安」に触れたが、老人の僕にもそれはある。ちょっと違った視点から思うのだ。近隣のあの国は自分の強さをアピールするため、しきりと衛星と称するミサイルを発射する。2回続けて失敗し、日本海に爆発・墜落した。僕はニュースを見ながらつぶやく。魚がかわいそう、海がかわいそう。燃料が流れ出すだろう。燃焼したプラスチックや金属が沈んでいくだろう。そばで泳いでいた魚たちはどんな気持ちだろうか。他にもある。台湾有事を想定した威嚇訓練がしきりと行われる。多くの中ロの戦闘機や艦船が(無駄な燃料を使って)航行する。間違いなく大気を汚染している。海を汚している。人間にとって、些細、かつ肝要なことは、きれいな水や空気がどれほど心地よいかを全身の皮膚、そして脳で知ることだ。欲や強がりでもってそれを汚すことがどれほど愚行であるかを知ることだ。
畑仕事を終え、腹筋とストレッチをやり、夕刊を読み終えた僕は至福の時を迎える。普通の人にはかなり熱い風呂に体を沈める。そして全身をタワシでこする。タワシはもう何十年も続いている習慣だ。夏なら10時間に及ぶ畑仕事で全身に土が浸みこむ。たとえ長ズボンを履いていても、草取りなどで膝をついてする作業が長いゆえ、ズボンの生地を通して皮膚を土がまぶすのだ。それを確実に落とすためにはスポンジでもタオルでもダメ、力任せにタワシでこするしかない。同時に、カナムグラを引きずるたびに生じたすり傷からくる痒みもタワシでこすると消える。そして風呂あがり、全身に馬油を擦り込む。クリームならなんだっていいと思うが、馬油が近所のドラッグストアーでいちばん安いのだ。
8月29日。「北海道産の野菜がピンチ」。体感的には昨日までよりもさらに暑い。ランチ時、室温は34.4度だったが、ふわっと窓から吹き込んできた風は、昔の、薪で焚く五右衛門風呂の焚き口のような熱をもっていた。さてと・・・ポット苗がズラッと並べてある茶室の二階に目をやって僕は考える。さらに今後も水やりしながら時間を稼ぎ涼しい日の到来まで待たせるか。それともダメもとで植えてやるか・・・。しばし思案して、今日植えることを決断した。明日は今日よりもさらに暑いという。9月に入っても現状は変わらないというから、よっしゃ植えよう。少し狭苦しいがここにしよう。ビニールハウスと、マルチに植えたサツマイモの間の位置。もともとは通路である。そこを打ち起こし、よく乾燥させた鶏糞を混ぜ込み植えることにした。少しでもキビシイ直射日光が避けられるよう、ブルーネットを掛けることにした。
ランチしながら見たテレビが北海道の高温による農業被害を詳しく報じていた。ブロッコリー、ホウレンソウ、トウモロコシ、カボチャ、あらゆる作物が被害を受けているという。カボチャははじける、朝晩の温度差が少ないので糖度が落ちる・・・ああ、同じだなあと、僕は我が家の割れたカボチャを思い出した。本州との気象条件の差を利用し、本州産とのリレーで市場の需要を満たすのが北海道産の作物。それが、もしかしたら今後は不可能になる。全国の出荷量のうち、北海道産は、タマネギで80%、ジャガイモで60%、カボチャは40%を占めるという。「もはや異常気象ではなく、今後はこれが当たり前のこととなってもおかしくないです・・・」という専門家の言葉には誰もがギクリとするだろう。被害は野菜だけでなく酪農にも及ぶ。乳牛は暑さで食欲が落ち、乳量が減る。熱中症で死ぬものもいるという。呼吸を荒くし、ぐったりしている牛の姿に僕の胸は痛んだ。
燃料費、飼料代、為替相場などの影響が日本の食料事情に暗い影を落とす。そこに加えて、ずっとエアコン不要だった北海道に35度という猛暑が訪れ、安定的な収穫に暗雲が漂いはじめた。世界中の人々が一致団結、心をひとつにしてなんとかせねば。地球を守らねば。高温と洪水に襲われ、さらには食べる物も不足するなんて・・・これ以上の悲劇はあるまい。
8月30日。「化学肥料の高騰が有機農業に目を向けさせる」。天気予報の通り、昨日よりも光が強烈。朝いちばんの作業は大豆の葉ちぎりだったが、腰を下ろしている僕の背中にのしかかる光は尋常ではなかった。大豆の作業の後はお茶の木にかぶさったカナムグラの撤去。お茶の木はさして重要ではないが、そこにかぶさったカナムグラは大きく盛り上がり、作物への光を遮ってしまうのだ。何十年と草と闘ってきた。そこで最強の敵がこのカナムグラである。葉っぱは7枚に分かれ、ツルには小さなトゲが無数につく。そのトゲが、衣服のみならず素肌にもからみつく。傷みをこらえ、何メートルにも伸びたツルを、ちょっとした憎しみをもって引きずり出し、切る。その反発力、強さ、敵ながらあっぱれだ。ちなみに、カナムグラのカナとは「金属・鉄」を意味する。この下の写真はそのカナムグラ退治を何時間かやった後の僕の腕である。前に書いたように、痛痒さがすごい。風呂でタワシでこすり、馬油をいっぱいすり込む。すると翌日には治る。
昨日のNHK「クローズアップ現代」は化学肥料の高騰がテーマだった。電気代、飼料代、梱包代などと相まって農家を苦しめている。経費は野菜代金に転嫁できず以前のまま。それでもって、もうダメだと農業をあきらめる人が増え、耕作放棄の土地が増えているという。番組には果樹をやっている夫婦が登場した。化学肥料が高いゆえその投入を減らしたそうだ。そしたら収穫量は半減した。果樹栽培は自分たちの代でやめるそうだ。ここまでずいぶん苦労した。30代の息子がいるが、あとを継いでほしいとは言わない。自分たちと同じ苦労はさせたくないから・・・。
どうして化学肥料はそんなに高騰したのか。日本の輸入相手国のトップは中国だが、中国は自国民の食料確保を優先する政策に転換した。結果、日本への輸出量を大きく減らした。ロシアも化学肥料の産出国だが、小麦と同様、ウクライナ紛争がここにも影響を及ぼしている。番組の中で専門家がこうコメントした。日本の食料自給率は37%ですが、外国産の肥料に依存していることなどを考えると、実質、食料自給率は22%にすぎません・・・。自給率22%とは、日本の農家は日本人5人に1人分しか作っていないことになる。僕はテレビを見ながら小さなタメ息をついた。しかし、じつは、昨夜のクローズアップ現代の主テーマは化学肥料そのものではなく、その不足を契機とし、いま有機農業が注目されているというものだった。
有機農業は通常、環境とか健康とかを意識するところから始まる、いわば脳の意識レベルが出発点。しかし今、高騰した化学肥料にはもう頼れないから、すなわち必要経費の合理化でもって有機農業が注目されはじめている。それはそれで悪くはない。僕の若い頃、もう何十年も前、日本有機農業研究会というものがあった。今はどうなっているのだろう。化学肥料も農薬も除草剤も使わない・・・言うならば、その「後進性」が有機の普及を邪魔したと思う。正確な記憶ではないのだが、日本の有機栽培による産物は全体の数パーセントにとどまっていると僕は聞いたことがある。さて今日は荷物の発送を終えてから毛虫退治にひと汗かいた。野菜収穫の時、ふと目に入ったのがプラムの枝にぶら下がる大量の毛虫だった。ヤツらはバラ科の果樹を好む。とりわけプラムの木が好き。徹底的に葉を食い尽くし、坊主とする。食われたプラムの木は1カ月ほどの時を置いて新芽を出す。そして思い違いをする。新芽を出すというのは春が来たということだと・・・でもって、秋の終わりに、来年の春のために用意しておいた花芽を開花させてしまう。すべてが無駄花となる。そうはさせない。おそらく百匹単位となる毛虫を僕は握りつぶした。この場面、農薬を噴霧すればラクなのは間違いない。でもしない。近くを走り回るニワトリたちの健康を案じてということもあるが、医者もクスリも好きじゃない・・・そんな僕の原始的な脳からの指令がそうさせるのである。
8月31日。「関東大震災から百年」。蒸し暑さはまだまだ続く。ベッドから起き上がる時の全身の重さを言葉にするのはちょっと難しい。それでも生活のパターンは変えない。いつも通りにランニングに向かう。そして朝食。今朝はパプリカとゴーヤとベーコンを炒め、チーズをたっぷりのせたレーズンパンを2枚腹におさめる。しっかり食わないと暑さに負ける、働けない。さて仕事だ。発芽がそろった秋ジャガ。植えてからずっとほったらかしだったので土が固くなっている。鍬とスコップで周りをほぐしてやる。ついでに周辺の草刈りもやる。そして、自分で切ったり、風で折れたりして草の中に倒れたままとなっている果樹の枝を一か所に集める。ふだんの年なら、燃やした灰を白菜、キャベツ、ソラマメ、タマネギなどの予定地に入れてやる作業をそろそろ始めるのだが、今年はまだ無理だ。この高温ではとても火のそばにはいられない。
半月ほど前の朝日新聞が、熊本県五木村で30年ぶりに焼き畑農業が復活したと伝えていた。大規模な焼き畑は、森林火災と同じく多くの二酸化炭素を発生させるから好ましくないという説もある。一方で、ほどよい伐採と燃焼は環境に対して良い結果をもたらすとも言われる。五木では、一回の規模は縮小し、場所を変えて循環させていくのだという。僕が枯れ枝や廃材などを燃やして出来た灰を畑に入れるようになったのは最初の田舎暮らしが始まりだったから、通算で44年になる。当初から合理的な思考があったわけではない。むしろ感覚的、ひらめきみたいなものが出発点だったのだが、大量の草を袋に詰めて分解させた土、そこにこの焚火の灰を加えることで野菜はうまく育つという実感を得ている。焚火のいいところは、畑の栄養となるだけでなく、それと向き合う人間の精神の栄養にもなるらしいことだ。そこには静けさがある、同時に、明日も元気に働くぜというパワーもわいてくる。
9月1日は関東大震災から100年。このところずっと、メディアは防災関連の記事やニュースを伝えている。強く僕の目にとまったのは『AERA』の特集「首都直下地震に備える―一極集中の「東京」を倒壊と火災が襲う」だった。23区の6割が震度6強以上。帰宅困難者は453万人だとAERAは言う。僕はそれを読みながら、別なシチュエイションが頭に浮かんだ。目下進行中の異常気象、夕刻7時でも30度、就寝時でも27度という高温、これと首都直下地震が重なったらどうなるか・・・。地盤の弱い下町である江東区や江戸川区は震度7になるというのだが、そうなると送電設備は壊滅的で、大規模な停電が生じよう。通常の災害時ならその復旧作業はどんなに遅くとも数日内になされる。しかし、AERAが言う通りの火災と倒壊が起こると復旧作業員の作業は事実上、不可能となろう。つまり、緊急避難所も、偶然通りかかったコンビニも、明かりとエアコンが稼働していない。運よく自宅の倒壊から免れた人も、真っ暗な中で何日も熱帯夜に耐えねばならない、そんな悲劇が起こり得る。流通システムも途絶するであろうから、スーパーやコンビニの食料品はたちまち売り切れとなるはずだ。
まばらにしか家がないという今の僕の暮らしでは火災の恐怖はたぶんない。でも、首都直下の震度6強という揺れは50キロ離れた我が家をも間違いなく襲うだろう。築40年の木造家屋は大きく傾くかもしれない。さて、そこから先をどう生きていくか・・・。うちには冷蔵庫が2つ、冷凍庫が1つある。それが常に肉、魚、パンなどで満杯になっている。この保存食だけで1カ月は暮らせる。住む家は傾いても、たぶん太陽光発電システムがすべて損壊するということはあるまい。よって、冷蔵庫の電源は確保される。
他に僕がふだんから気をつけていること。ラジオとライトがセットになったものが3つあり、常に充電しておく。靴は10足以上あるが、うち3足は硬い厚底のもの。がれきや釘が飛び出た木材の上を歩いてもケガせずにすむように。他にアルコールティッシュを大量に買ってストックしてあり、ヘルメットも2つ確保してある。子供たちが中学生の時に自転車で登校するさいに着用していたものだ。少子化、円安、物価上昇に追いつかない給料・・・様々な問題が論じられているが、地球温暖化がもたらす高温や豪雨、そして大地震の発生は、それらをはるかに上回る力で人間の暮らしを困難にするであろう。
今日で8月が終わる。布団はジメジメする。洗濯物はたまる。荷造り仕事もやりにくい・・・。そんなこんなで僕は昔から雨が嫌いだ。雨よ降るな。暑いのはどれだけ暑くともよいから。世の中で空梅雨だ、水不足だと騒ぐくらいがオレにはちょうどいい・・・常々そう言っている僕は、ほとんど梅雨らしきもののない今年の天候を始めのうちは喜んだ。だが、先に書いたように野菜への被害がだんだん大きくなるうちに、こりゃ、いくらなんでもすごすぎると思うようになった。半分は冗談だが、2カ月間で流した汗はドラム缶1杯分くらいになるのではあるまいか。珈琲や緑茶とは別に、仕事しながら日々牛乳とスポーツドリンクを1リットルずつ飲んだ。それがみな汗になった。例年、最も寒さのきびしい季節、夜は2回くらいオシッコで僕は目が覚める。それが今年の夏はなかった。摂取した水分はみんな汗になって出て行ったらしいのだ。
エアコンあげるから取り付けなよ・・・ガールフレンド・フネがそう言ったのは7月の半ばだった。高性能のエアコンに買い替える。不要になったものをくれるというのだ。フネは前から僕のツッパリを笑っている。もうトシなんだから、そこまで突っ張らず、涼しい部屋でぐっすり寝な・・・そうも言う。気遣いありがとう・・・。中古のエアコンは今うちの倉庫にある。取り付けされずに眠っている。どうにもならない体力のピンチとなれば、フネの言葉に従っただろう。でも、たしかにキビシイが、熱中症になる、死ぬかもしれないという気持ちにはならなかった。と同時に、記録達成への情熱が僕にはあった。2023年のあの猛暑、2か月に及ぶ熱帯夜を扇風機ひとつで乗り切った・・・その記録をフネの好意でもって途切れさせるのは残念だよなあ、という思いがあった。意地っ張りジジイめ!! という罵声を背に受けながら、僕は自分の意思を通すことにした。
さて、これから先、地球はどうなるのだろう。温暖化は人間の食べ物にどのくらいの影響を今後与えていくのだろう・・・。すべての仕事を終え、きれいな夕焼けを目にしながら僕は考える。あれこれ心配は尽きないが、過剰な心配がウツを招くというのもつまらない。そこで最後に少しばかり先輩面をさせてもらうこととする。これから常態化してゆく猛暑の中で生き残るにはどうすればよいのか・・・。我が体を通しての実験では、人間、暑さそのものでは死なない。畑の上は50度、ランチするときの部屋は35度、寝るときは27度。この条件で2か月近く労働し、生活しても、僕は命の危険を感じることはなかった。呼吸や脈拍にも変化はなかった。我が「生体実験」を通しての結論は、暑さ自体では死なないもの。もし死ぬとしたら、暑さへの訓練、耐性が足りない場合だと・・・。つまり、日常、エアコンのきいた部屋にすぐ逃げ込むのではなく、なるべく外気温を受け入れる暮らしをする。低温の場合もそうだが、日々の積み重ねでもって体を環境に順応させるのだ。いつか来る大地震の窮地からサバイバルするのは、暑いのも寒いのも平気、喉の渇きを癒すため、そこらの汚いたまり水を飲んでも腹をこわさない・・・そんな強さと泥臭さを秘めた男、あるいは女ではあるまいか、僕はそう思う。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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