今回のテーマは趣味である。昔は履歴書などに「趣味」を記入する欄があり、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞などと書くのが一般的だったように思う。時代が変わり、スマホという道具を手にするのが当たり前となって情報収集が容易になり、経済的にも50年前とは格段の違いがある現在、あなたの趣味はという質問に対する答えはかなり変化に富んでいるに違いない。さて、じつは、僕はいつだったか、趣味(好きなこと)を仕事にすべきではないと書かれた文章を読んだ。作家だったか、作詞家だったか、もう記憶にないのだが、その言葉の意味するものは、趣味を仕事にする、その安易さ。人生(仕事)は、そんなに生易しいものではないよという警告であったかと思う。同時に、趣味はあくまで趣味としてキープしておいたほうが真にそれを楽しめる、稼ぎの材料にするのはもったいない、そういった含みもあったように思う。で、僕自身はどうなのか。不覚にも、趣味(好きなこと)を仕事にしてしまった人間である。それゆえの苦労は、これまであれこれ書いてきたようになかなのものである。それでいて、趣味を仕事にするのはやっぱり無理があるかも、そう思って途中で投げ出す・・・なんてことはなかった。
7月27日。「全国平均の時給が1000円に達したらしい」。気温は37度。テレビが言う「体温を超える命が危険な暑さ」はこれで連続5日になるか。欧米における50度近い熱波に比べるとまだマシだが、それでも連日となるとキビシイ。熱中症で倒れ、死亡したという事例で、畑仕事をしていた高齢者の比率はけっこう高い。それをテレビのニュースで知るたび、オレも気をつけねばと思うが、幸いまだ体は通常通り動いてくれる。上の写真はマルチの穴から手を入れてサツマイモをさぐり掘りしているところ。初掘りは3日前の24日だった。どの野菜も暑さでぐったりだが、サツマイモにとってはこの猛暑は喜ばしいことであるらしい。マルチの穴に手を入れて、大きいやつに行き当たった時、趣味を仕事にする男はほくそえむ。まっ、これでいいのだ人生は、泥だらけのイモをつかんでそう思う。
今日はふるさと納税での品物が2つだ。掘る、仕分ける、洗う、包む、手紙を書く。荷造りの実働7時間。最後に荷物をガムテープで留めてから、冷蔵庫に入れておいた傷物で売り物にならないプラムを5個、6個と口に押し込む。束の間のゆったり感が訪れる。仕事をやり終えたぜの達成感がそこにある。荷造りだけで7時間、他の作業を入れると今日の労働は10時間。得た収入は荷物3000円が2個なので6000円。これを単純に7で割ると時給は・・・。昨日今日の新聞・テレビが伝えている。これまで全国平均で900円台だった最低時給賃金が、どうやら1000円を超えそうだと。それを聴いてふと思った。低いなあ、オレの時給は。やはり、趣味(好きなこと)を仕事にすべきではないという「あの声」は、まさしくこのことであるのか・・・。だが、不思議なくらい、我が心はこのことに対する無念の情を生まない。命の危険があります、なるべく外出を控え、冷房を適切に使って・・・というテレビの警告をよそに“外出し”猛暑に立ち向かう。全てそれが好きだという理由からだ。好きなことを仕事にして生きる。幸せなことと考えるからだ。時給850円は無念でも後悔でもない・・・とひとり強がる男。この下の写真は一昨日まいたカブ。地上温度は50度に達する。それをこのシーツで防ぐ。発芽するまで毎夕刻、この上から水やりする。ささやかな工夫であるが、趣味が仕事になった、その風景の小さな断片である。
7月28日。「心の中に土を持ちましょう」。すべてが燃える・・・。今日もそんな1日であった。「地球沸騰の時代」。そんな見出しの記事を朝日新聞の夕刊で目にした。世界気象機関とEUの気象情報機関が、7月の世界の平均気温が観測史上最も高くなることが確実になったと発表したという。そして、国連本部で会見したグテーレス事務総長は「地球沸騰の時代が来た。私たちはまだ最悪の事態を食い止めることができる。そのためには、暑さで燃える1年を、野心に燃える1年に変えなければならない」、そう述べたと記事にはあった。
畑に行こうとして、狭い通路を潜り抜けていた時、すぐ頭の上で小さな悲鳴のようなものが聞こえた。目をやるとカマキリがセミを抱きかかえるようにして齧りついていた。さして体の大きくないカマキリ。しかも半身を乗り出し、宙に浮かんだ姿勢。それでもって自分よりも大きいセミにむしゃぶりついている。セミを救ってやろうかと一瞬僕は手を出しかけたが、やめた。カマキリも生きるために懸命なのだ。ようやくありつけた獲物なのだろう、きっと。
強烈な光を背中に浴びながら、サツマイモを掘る、完熟のカボチャを探す、ブルーベリーとプラムをもぎ取る。今日の荷物は田舎暮らしの本のプレゼント当選者。氏名の文字からかなり若い女性であろうと僕は推測する。ピーマン、ナス、キュウリ、ミニトマト・・・この暑さでは届くまでに参ってしまう。クール便にしよう。いつものように、品物の説明書きの最後に、田舎暮らしの夢が早く実現するよう祈ります・・・の言葉を書き添える。ああ、そうだ、今月初めに出た『移住』も入れてあげよう、少しは参考になるかもしれないから。僕は今号「光と陰」と題する原稿を書いたのだが、特集テーマは「移住で輝く女性たち」だ。興味を持って読んでもらえれば嬉しい。
荷造りの前後、相変わらず僕は草取りに励む。あつい、あついと言っているうちに、ほどなく秋の空気が漂い始めるのだ。ポットまきしたキャベツやブロッコリーやレタスを定植する場所を作っておかねばならないのだ。汗が吹き出す。その汗に土が付着する。衣をまぶされた、そのまま天ぷらにしてもいい骨付き肉みたいだな、オレの腕は・・・あんまり美味そうじゃないけれど。
今日の見出し「心の中に土を持ちましょう」は、加藤登紀子さんの朝日新聞の連載「ひらり一言」の引用だ。加藤登紀子さんはこう続けている。何があってもすぐに折れちゃダメ。心の土に根を張って、地上でどんな風に吹かれても、精いっぱい頑張るのよ! 田舎暮らしに自分の将来の夢を託そうとする人は、おそらく「心の中に土を持っている」人だろうと僕は思う、僕自身がそうであったように。田舎暮らしそのものを「仕事」だと規定するのは適当ではないかもしれないが、趣味(好きなこと)のために生活環境を変えるとなれば、冒頭に触れた「趣味を仕事にすべきではない・・・」という助言には少し耳を貸しておく必要があるだろう。ただし、考えてみると、ミュージシャンになろうとする人、アニメ画家になろうとする人、野球選手に、テニスプレイヤーに、お笑い芸人に、ファッションデザイナーに、写真家に、小説家に・・・なろうとする人、すべては趣味(好きなこと)にその原点はあるのだ。残念ながら、これらの道において大きな成功を収める、高い収入を得る人は少数であるのも事実だ。しかし、どの分野でも、自分の心が納得し、日々の時間が満たされているならそれでいい。加藤登紀子さんが言うように、地上のキビシイ風に吹かれても、しっかり土に根を張って生きられればそれでいいのだ。
7月29日。「老いては好きにしたがえ!」。履歴書にならって「趣味」の欄に書くとすれば、マラソンも僕のひとつの趣味であった。ギリギリ3時間を切るくらいのタイムでは、さすがにプロのアスリートになるなんてことは考えられなかったけれど。趣味を起点とし、食って生きる手段にそれを移行するとき、自分にどれだけの能力が備わっているか、客観冷静に判断することがまず必要となろう。あるいは、どうしてもやりたい、やる、もしダメでも悔やまない、その覚悟が必要となろう。40年近い昔、我が現在の田舎暮らし・百姓生活の成否に関しては、さほど客観冷静に判断したわけではないが、ダメでも悔やまない・・・というか、絶対ダメになんかするものかという「ごり押し」の精神が僕は強かったのだと思う。
先週ポットまきしたキャベツ、ブロッコリー、レタスなどに水やりする。茶室の二階、頭上からの直射日光が当たらない場所にトレーを並べてあるのだが、少しずつ光には当ててやらないといけない。右へ左へと移動し、さらにはトレーを回転させ、光の照射にムラがないように気を配るのはけっこう手間だ。
荷造りをするために広げた新聞で、『老いては「好き」にしたがえ!』という本の広告を目にした。筆者は片岡鶴太郎氏(幻冬舎新書)。プロボクサーとしてのライセンスまで持つ多芸多才な人だとは聞いていたが、老いては「子に」をもじって、「好き」としたこの本のタイトルは鶴太郎氏よりもさらに年寄りの僕の目になかなかのインパクトを持って飛び込んできた。「好き」に従って生きる幸せは、べつに老いなくてもいい、若くても当然あるが、たしかに、老人になって心身が少しずつ衰えていく暮らしの中に情熱を燃やせる「好き」が存在するのは間違いなく良いことであろう。
本の話が出たついで、ちょうど今日読み終えた山本文緒『無人島のふたり』(新潮社)についても書いておこう。僕はこの作家についての知識はほとんどなかった。たまたまこの本を読み終えたガールフレンド・フネが、あなたも読んでみたらと声をかけてくれたのだ。すい臓がんで、58歳で亡くなるまでの120日を綴った日記。その中で、僕の胸に迫った言葉。
私はなんとなく自分の寿命を90歳くらいに設定していて、贅沢をしなければそのあたりまでは生きていけるお金を貯めた。そのお金は私に安心を与えたけれど、今となってはもう少し使ってもよかったのかもしれない。例えばもう仕事は最小限にして語学をやったり体を鍛えたり、お金じゃなくて時間のほうを使えばよかったのかもしれない。
病臥して、テレビで東京オリンピックの放送を見ながら綴る・・・
アスリートが頑張っているからオリンピック開催に賛成という意味じゃなくて、何かを極めて生きることは尊いだけではなくて危うい面も大きいなと感じた。それが人間という生き物の性(さが)なのかもしれない。
語学と体を鍛えるという言葉は日記の中に幾度も出てくる。作家は途中でうつ病を患ったと聞くが、さまざまなプレッシャーを感じつつ、連日パソコンに向かって執筆する暮らしの大変さは僕にもいくらか想像できる。人間、長い時間、椅子に腰かけているだけでも健康には支障があるとされるが、作家としての矜持を保とうとする執筆のさいの緊張感は言うならば命を削る作業である。それが「何かを極めて生きることは尊いだけでなく危うい面も大きい」という表現に表れているように僕には思われる。
7月30日。「独りぼっちは賑やかだ」。暑さはまだ続く。今日は6時起床だった。地区の草刈りの日なのだ。集合開始は8時。それまでにニワトリの世話とランニングと朝食をすませなければならない。それで6時起き。草刈りはすでに5月の下旬にやった。それから2か月でもう道路際は膝を超える草で覆われている。都会のマンションやアパートで暮らしている人にはピンとこないかもしれないね。住まい周辺を住人総出で草刈りするなんて。
さて、地区のクリーン作業から帰宅して、一息入れて、我が本業だ。今日もひたすら草を取る。つかまるものを欲しがっているゴーヤに竹藪から切ってきた竹を10本くらい差してやる。それから水やりだ。野菜たちはみなグッタリしている。人間ならば救急車で搬送されてもおかしくない症状を呈している。すでに水やりは連続5日。鉢植えの花に水やりするのとは違い、長時間、大量の水を放出する。井戸の汲み上げポンプが壊れやしないかと、内心びくびくしながら60メートルのホースを引っ張り回す。そんな作業に邁進し、全身から汗を噴出させながら想い出したのが近藤康太郎氏の「多事奏論」。以前にも引かせていただいたが、近藤氏は朝日新聞の編集委員。あえて地方勤務を選び、コメ作りや狩猟で田舎暮らしを実践している。「見逃されたのは銃なのか 独りぼっちは賑やかだ」と題する今回は次のような文章で始まる。
今年の田作りは雑草取りの真っ最中だ。後日書くが、耕さない農法を始めたので雑草対策が地獄の苦役になった。まあでも、真夏に独りで草と闘い、べとつく汗と泥を冷水シャワーで流すのは、なにものにも代えがたい。こんな爽快、ほかにない。
よくわかる、僕には。命の危険があります、不要不急の外出は避けてくださいという暑さの中でヤブカラシやカナムグラと格闘する。風呂に入り、全身をタワシでこすり、缶ビールをプシュッと開ける。近藤氏が書くように、極楽の真の意味は、地獄の苦役を通り抜けた者だけが知る。次に筆者の筆は、5月に長野県で近所の女性ふたりを刃物で刺し、駆けつけた警官2名を猟銃で撃った事件に及ぶ。それもあってか、猟銃に対する世間の目は厳しいらしい。「鉄砲撃ちの猟師はそろそろやめたらどうですか」という手紙さえも近藤氏に届いたという。長野の事件は近隣の女性に「ひとりぼっち」とからかわれたというのが動機であると言われているが、近藤氏は「ぼっち」を前向きにとらえる。
独りで草を取る。独りで山奥へ猟に出る。独りで本を読む。注文があってもなくても、いつもなにか文章を書いている。考えてみれば、わたしは昔から「ぼっち」が好きだった。
途中、茨木のり子さんの詩「一人でいるのは賑やかだ 誓って負け惜しみなんかじゃない」を引用して、近藤氏はさらにこう記す。
孤立はいかん。孤独は悪くない。きついが、笑える。独りぼっちの爽快と興奮を、わたしはもっと魅力的に、大量に、書きまくらなければならなかったのだ。「ぼっち」でいるのは賑やかだ。
時あたかも、4年ぶりに再開された隅田川の花火大会や、全国各地の盆踊りやみこし担ぎのニュースがテレビで賑やかに伝えられている。それを見て、僕は自分の「ぼっち」を想い出す。子供の頃から現在まで、打ち上げ花火に興奮することがない。祭りの喧騒に背を向けるへそ曲がりなところがあって、わっしょいわっしょいとみこしを担ぐとか、盆踊りの輪に加わって踊るということをまるでしたことがない。精神のどこかがおかしいのか・・・。今、ぼっち老人である僕の心に安らぎと「賑やかさ」をくれるもの、それは「ゴトウ」のひよことの向かい合わせの語らいの時である。
7月31日。「鉄道愛くすぐる高額イベント」。今夜は雷雨があるかもしれない、明日は猛暑がいったん中断します・・・気象予報士はそう言っている。それなら嬉しいが、今日はまだ野菜もニワトリも、人間をも苦しめるうだる暑さである。昨夜サンデーステーションがこの暑さによる食品への影響を伝えていた。ハウス栽培のメロンには尻割れが生じている、玉も小さくなっている。そしてメロンの次は卵。ふだんの大きさより小さい卵が増えているらしい。大規模養鶏農家は鶏舎の上から大量放水していたが、それでも暑さで死ぬニワトリは出るだろう、少し下がり始めた卵価も値上がりすることになるかもしれない、農家の責任者はそう言っていた。鶏の苦しみを僕は想像する。ニワトリには汗腺がない。猛暑の時は羽を持ち上げ、体に風が通るようにする。さらには、日陰を求め、土の中に半分体を沈める。しかし、ケージ飼いのニワトリはそうしたことはいっさい出来ない。苦しいだろう。苦しみに耐えられず死ぬものもいるだろう。ちょっと大げさかもしれないが、運命というものを僕は考えた。岐阜の後藤孵卵所から全国に出荷されるヒナ。うちに来たヒナはこうして自由に行動できる。その自由行動ゆえにカラスやハヤブサの餌食になる、無残に食いちぎられてしまうことがある。一方、大規模養鶏場に送られたヒナは、外敵に食われる心配はない。その一方で、狭い1DKでの暮らしを強いられ、猛暑の中で土に埋まって体を冷やす楽しみを知らぬままに生涯を終える。アナタなら、どちらのニワトリになりたい?
発送荷物を送り出し、一息いれてからサトイモの土寄せを始める。ずっとしおれていた葉っぱ。しおれるだけならいいが、とうとう茶色く枯れるものも出てきた。せめて土をさらに盛ってやり、なんとか株元の乾燥を防いでやらねば。
話はいきなり変わって、なかなか贅沢だなと思う趣味の話題をしたい。僕が初めて汽車に乗ったのは小学生の低学年。仕事で使う金を引き出すために銀行へ行く父親が山陽本線の柳井駅に連れて行ってくれ、たった1駅、柳井港までの初体験をさせてくれた。その後、小学校の修学旅行で広島へ、中学校の修学旅行で関西へ行ったのだが、それらはいずれも記憶から消えた。消えていないのは、ふるさと祝島から東京の中学に転校するために乗った博多発の夜行列車。15時間近い独り旅。これ以後、僕は汽車が好きになった。青春の愛読書は日本交通公社の時刻表。国内の夜行列車を乗り尽くし、極めつけはシベリア鉄道でモスクワまで。さらにモスクワ発で、ワルシャワ、プラハ、ブダペストなどを巡る列車旅。そんな僕ゆえに、鉄道人気を伝える新聞の記事は丹念に目を通すのだ。
先ごろ、朝日新聞の夕刊が伝えていたのはかなり高額であるにも関わらず希望者がドッと押し寄せ、抽選になるという話。例えば特急列車を車両センターにズラリと並べての撮影会は2万8000円。EF65という電気機関車の操縦体験にいたってはなんと16万5000円。それが発売10分で売り切れたというのだから驚きだ。時間あたりにすれば最も高価な趣味ではあるまいか。世にいう「推し」で、有名人のおっかけ応援に費やされるのもなかなかの高額だと聞く。なんだかんだと言いながらも世の中が豊かになったということか。我らの青春時代、読書、音楽鑑賞と書き込んだ趣味の欄、あれは言い換えると時代が貧しかったということになるだろうか。
8月1日。「雪だ、おっかあ、雪が降ってきたぞ」。8月である。起床時は曇り空。今日は1日こんな天気なのかな、そう思っていたら強烈な光が注いできた。ありゃ残念。人間も野菜も一息つけると思っていたのに。ちょっと落胆の気分で今日も草と格闘していたら、周囲の木々の葉が激しく揺れ始めた。東からの風。続いて雷鳴。かなり近いぞ。スコップ仕事は危ないな。部屋に戻ってじきに雨が降ってきた。激しく降る雨を窓越しに見つめながら、僕はひとつ思い出した。映画「楢山節考」。原作は深沢七郎。その中に、「雪だ、おっかあ、雪が降ってきたぞ」息子が喜びのあまり叫ぶ場面がある。ずっと日照りを嘆いていた僕は、同じくらい、叫びたいくらい、今日の雨が嬉しかったのである。村の老いた人は70歳で山に入る(死ぬ)ことになっている。日々の食料が十分ではない貧村。若い者のために少しでも食べ物を残したい気持ちで自ら命を終えるのである。阪本スミ子演ずる母のおりんは、緒形拳演ずる息子に背負われて山に向かう。母を残し、下山する息子が不意に空を仰ぐ。そして叫ぶ。おっかあ、雪だ・・・村には「楢山まいり」の時に降る雪は幸運のしるしという言い伝えがあるのだ。
原作者・深沢七郎はギタリストから小説家になり、放浪の人であり、のちにラブミー農場を開いた田舎暮らしの先人でもある。いっとき僕は熱中し、今も深沢七郎全集が手元にある。さて、この雨、まとまった雨は嬉しいぞ。野菜たちもみな喜んでいるな。遠くで鳴っていたカミナリは我が家の真上にやってきた。いつ落ちて来てもおかしくないほどの轟音だ。そして・・・雨音のはずなのに何かへん。硬い音が速射砲のごとく屋根から畑まで響き渡る。玄関から顔を出すと、なんと大粒の雹だった。白い玉が激しく地面を跳ねていた。
話が変わって、晩酌しながら見た今夜のクローズアップ現代は美容医療がテーマだった。女性だけでなく男もシミ、シワ、顔や腕のたるみを気にする人が多いという。コロナがいったん収束し、マスクを外すようになって自分の顔が表に出てきたことも顔への意識は関係あると言う。それでもって美容医療を受ける。それには癌細胞をやっつける先端技術も応用されているというから、昔の美容外科とはだいぶ違う。しかし弊害もある。担当する医師は、メリットは強調してもリスクは隠す。結果、ヤケドや皮下出血など、後遺症で苦しむ人も多い。美容医療は自由診療で保険はきかず、もともと高い。加えて生じた弊害を治すために別の病院に通う。だからずいぶん高くつく。テレビを見ながら僕は思った。見た目を美しくしたいのは、人間の趣味なのか、それとも実益か。外回りの仕事で人と会うことが多ければ印象が良くなり、実益が得られるということもあるかもしれない。でも、どちらかというと、僕には趣味ではないかという気がした。そして、対処法がちょっとイージーじゃないかなという気もした。クスリ嫌いの僕だからよけいそう思うのかもしれないが、人間の体はその人が「食べたもの」に等しい。皮膚や筋肉は運動と等しい。腕のたるみなんか本気でやれば1カ月の運動で修正できる・・・。この視点が医者やクスリの助けを借りて見た目を美しくしたいという人には欠けている・・・などと言うのはちょっとキビシすぎるか。
8月2日。「野菜が高値、4割高もあるという」。猛暑が復活した。今日の空はこんな具合。昨日の雷雨で涼しさを体験したぶん、復活した猛暑が以前よりも体にこたえる。朝食しながら見たテレビのモーニングショーが野菜の高値を特集していた。ひん曲がったキュウリ。ヤケドを起こしたピーマン。急激に野菜の高値が進み、4割高になったものもあるという。うちも例外ではない。まず最初に現れたのはカボチャで、ごらんのように熱傷となった。毎年こういう例はあるが、ここまでいっせいにということはなかった。他にはナスが硬くなる、ゴーヤが大きくならない、インゲンが莢はまだ若いのに中の実を太らせて早く老化するなどだ。テレビのコメンテーターとして登場した専門家は、今後はこういった状況が常態化する覚悟をして対策を講じておかねばなりません、そう言っていた。今年のような猛暑が連続するなんてことになったら熱中症云々以前、食べる物をどう確保するか思案せねばならない時代が来るかもしれない。
ちょっと話の寄り道をして、ランチをすませ、野菜代金を引き出しに郵便局に行った時の事を。僕は番号札で4番目。前の人たちが終わるのを椅子に座って待った。郵便局では常に音楽が流れている。ほとんどがアップテンポのにぎやかな曲で、今日流れていたのは若い女性歌手だった。僕はそれが妙に気になった。気持ちが落ち着かなかった。ずっと流れ続ける賑やかな音楽は誰のためなのだろう。来客のためか。働く女性局員のためか。どちらのためなのか僕は知らないが、心配した。こんな音楽が流れ続けていて仕事に支障はないか。さほど複雑ではないとはいえ、今日の僕が差し出した伝票のように、住所、届出印、口座番号、電話番号を台帳と照らし合わせ、問題ないと確認したら、それを機械に入れて読み取らせる。最後にお札の枚数を指先で確認する・・・。仕事に支障はないのか。もうすっかりアップテンポの音楽に慣れ性になっているのだろうか。あるいは、今の若い人はそういう音楽を聴きながらの方が頭の回転が良くなるのか・・・。僕はダメだ。依頼された原稿を書く時はもちろん、このブログを書く時も無音でないとダメ。もう20年以上も昔のことだが、うちから3キロくらい先の珈琲ショップにほぼ毎日行って本の原稿を書いていたことがある。行くのは開店時刻ピタリ。注文するのはモーニングセット。顔を覚えてくれた店員さんが黙って僕のカップに珈琲を注ぎ足してくれた。まだパソコンがなく手書きの原稿だったが、およそ2時間弱でいつも切り上げた。だんだんにお客の数が増え、店内のざわつきが耳に入ると集中力が落ち、僕は書けなくなるからだ。
先に、花火に興奮しない、祭りのみこしを担いだことも、盆踊りの輪に加わったこともない、初詣さえ行ったことがない、オレの心はどこかおかしいのか、そう書いた。にぎやかな音楽がダメ。例えばビートルズだと、イエスタデイは心に届くが、他の曲はダメ。でもって、おのずと、好みは、流れるような、沈み込むような、クラシックということになる。城達也の「ジェットストリーム」を長く愛聴したのはあのオープニングの音楽ゆえであったし、今、ほぼ毎夜のように寝床で聴くNHKのラジオ深夜便も、オープニングに流れる音楽と、日付が変わる数分前の「明日の全国の日の出の時刻」を伝えるアナウンサーの声、それにかぶさる音楽が、我が心に静けさをもたらすからである。シンドラーのリストのテーマ曲がバイオリンのソロで流れてきたりしたら、僕は死ぬほど幸せな気持ちになる。
さてと、ならば、ナカムラという男はネクラなのか、はしゃいだりしないのか・・・それがどうも違う。この上の写真は今日の夕刻、折れかかった大きな柿の枝をなんとか救い出してやろうと奮闘しているところである。今年は柿が豊作。しかしこの枝は半分虫に食われ、100個もの実の重さに耐えられずにいたところ、昨日の強風とヒョウでダメ押しされたのだ。それでもまだ、幹とは断絶していない。なんとか救い出してやろう。周囲の草を払う。蚊の大群が襲いかかる。パイプを用意して横倒しの枝を持ち上げてやろうとする。裸の背中をカナムグラのトゲがちくちくとこする。それにメゲない。むしろ心は熱くなる。音楽はクラシック。ふだんはなるべく無音がいい。それはどうやら精神に限る話で、いざ体を動かすとなれば、ネクラ男は大いにはしゃぐ。この時だけは、我が胸の内で、ビートのきいた、激しいリズムの音楽が流れている。独り、草の中で、勝手に阿波踊りさえ踊っている・・・あなたの趣味は、好きなものは? ハイ、汗と泥の熟成パン、それに静寂と興奮がぎゅっとはさまれた「ビッグマック」です・・・。
今日、仕事を終え、いつも通り腹筋をやり、ストレッチしながら読んだ夕刊の文字にすぐ目が行った。山口県上関町・・・我がふるさとだ。中国電力の幹部が上関町役場を訪れ、西町長に、原発の使用済み核燃料の中間貯蔵施設を中国電力と関西電力の共同で建設する計画があることを伝えたという記事だ。ご存じの方もいると思う。僕のふるさとである上関町祝島は、30年近くにわたり漁師を中心に原発反対を強く掲げてきた。福島での事故で原発基地の建設は白紙同然となったように僕は聞いていたが、基地は断念するが、その代わり中間貯蔵施設を作ろうということなのだろうか。
祝島の人口は最盛期の10分の1以下、ついに300人を割り込んでいるらしい。つい最近、8つ年上の兄から電話で聞いた。あの家にもこの家にも、どこもかしこも×印がついている。無人となった家に勝手に侵入しないよう大きな材木が打ち付けてあるというのだ。今日の夕刊を読んで、僕の頭に、妙な、たとえ話みたいなものが浮かんだ。ふるさと祝島はいずれは無人の島となるだろう。しかし、もし、原発基地あるいは中間貯蔵施設が作られるとなれば、建設作業に関わる人の出入りがある。国や電力会社からの交付金も得ることになるだろう。島の消滅は防げるかも・・・。僕の頭に浮かんだ、妙なたとえ話というのは、あの、岐阜の後藤孵卵所から全国各地に送られるヒヨコの運命の話だ。畑や庭を自由に行動できるニワトリには解放の喜びがある一方、畑で虫をついばんでいるところをハヤブサなどに食われて死ぬことがある(実際これまでに6羽が犠牲になった)。対して、大規模養鶏場に送られたヒヨコは猛禽類に食われる危険はなく、餌はその時刻になれば日々タップリと与えられる。狭いケージ生活での息苦しさはあるけれど食べることには心配がない。すなわち、原発施設の危険性とともに、ともかく生き続ける道を選ぶか。反対の意思を貫く満足とともにそう遠くない消滅の時を静かに受け入れるか。このヒヨコのたとえ話はあまり適当ではないかもしれないと思う、不遜な意見かとも自分で思うが、消滅までのカウントダウンに入っているふるさとへの想いがかようなたとえ話を僕の胸に湧き起らせたのである。
8月3日。「趣味はと聞かれても」。猛暑はまだ続く。沖縄地方は台風6号で苦しめられているようだが、関東の暑さはまだ3日くらいは続くようだ。今日は予定外の仕事に振り回された。犯人は特定できないが、完熟までにはまだ1カ月以上あるピーナツを掘り出し、食うヤツがいる。数日前に初めて現場を見たのだが、被害が少しずつ広がっている。このままではとんでもないことになる。ブルーネットをかぶせることにした。しかしネットが足りない。どうしよう。うんと深く、敵が掘るのをあきらめるくらい土を高く盛ることにしよう。そんなこんなでいつも以上に大汗をかいた。
昨日、原発から出る核のゴミの中間貯蔵施設のことを書いたが、今日の朝刊は一面の大きな扱いでその詳細を伝えている。重複になるので細かいことは省くが、強く僕の印象に残ったことだけを少し書く。上関町の人口は40年前(36歳の僕が最初の田舎暮らしで茨城県取手市に住んでいた頃)の3分の1、現在は2310人であること。高齢化率6割という町は、ずっと中国電力の寄付に頼ってきたこと、その額は多い時で年に24億円、少ない年で4億円であること。すべては中国電力が上関町に原発を設置したいたがゆえの寄付であったろうが、その中国電力も今では、火力発電に大きく依存しているために、ウクライナ危機や円安を背景として赤字経営になっているという。それゆえ、今後は上関町への寄付は見込めないのだという。僕はふと思ったのだ。個人の暮らしも、自治体の維持も、電力会社の経営も、みんな切羽詰まっているんだなあ・・・。
さて、そろそろ今回のテーマ「趣味」をまとめることとしよう。いま僕の手元に朝日新聞の「耕論」、「趣味は」と聞かれても・・・という記事の切り抜きがある。3人の方が論じている。ノンフィクション作家・高橋秀実氏は冒頭「無趣味で良かった」と思うと語る。どうしてなのか。
無趣味だと、相手の話に素直に感心できるんです。こちらは「無」ですから、どんな話でも「へえー」と思える。下手に趣味を持っていると、自分の趣味を語りたくなるでしょ。人生経験もあるんで、うんちくも垂れたくなっちゃう。趣味はコミュニケーションツールで、趣味が合うと意気投合すると思われていますが、そんなことはありません。趣味が同じだと同じであるがために、ズレが際立つ・・・。
なかなかキビシイご意見だが、高橋氏もかつてはそば打ちやらボウリングやら、さまざまな人に教わりながらいろいろ試してみたそうだ。その結論は、その人にお任せしたほうがいいような気がして、自分でやらなくても「まっいいか」と思えてきたのだという。高橋氏に僕はひとつ教わった。趣味という言葉は明治時代に作られた翻訳語で、もともとは英語のTASTE(味わい)を意味していた。それは娯楽のHOBBYと違い味覚に近いもの。ゆえに、対象が何であるかよりも、どう味わうか、味わい方が「趣味」なのだと。なるほど味わいか。すばらしい見識を僕は授かった・・・。
もうお一人、社会学者の片岡栄美氏は冒頭で「趣味がないというのは現代的な悩みではないでしょうか」と語る。働くことに精いっぱいだった時代には趣味がなくても当たり前で、恥ずかしいとは感じなかっただろうから、なのだと言う。博報堂の調査では25%余りの人が「自分は無趣味である」と答えているが、片岡氏はお金や時間をかけなくとも、趣味をもっと幅広くゆるやかに考えればいいと語り、さらに次のように続ける。
ただ若い人では、相手にどこまで自己開示するかを悩むあまり、趣味の話に慎重な人がかなりいます。大人にとっても趣味の話は危険な面もあります。ライフスタイルや育ち方まで、見透かされてしまうことがあるからです・・・。
このくだりは僕にはややわかりにくい。趣味を開示することでライフスタイルや育ち方まで見透かされることがあるのか。もしあったとしても、それがどうして危険なのか。幼少年時代の僕は、生き物を飼うことが好き、それからのちは、自転車やボクシングを趣味とした。それらを開示することが危険につながるなどと思ったことはこれまでなかった。
趣味(好きなこと)を仕事にしてしまうのはNGか。賛否両論あると思うが、中学に入ったころ、近所で飼っているニワトリに憧れ、夏休みの宿題の工作に、電球を取り付けた卵の孵化器を作ったこともある僕は、それから30年余を経てついに養鶏を仕事にしてしまった。苦労もある。楽しくもある。苦楽ごちゃまぜの現在だが、趣味=仕事、そうしたのがまずかったと思うことは全くない。さて酷暑は続く、どこまでも、ランチ時、パソコンのある部屋は35度。畑で仕事している時よりもランチで部屋に戻った時の方が現在の酷暑を実感する。ところが、不思議なことに就寝時にはさほどの苦しみがない。頭の側のガラス戸を開放し、80センチの距離で扇風機を朝まで回し続ける。寝苦しさを感じることはない。エアコンなしで乗り切ってみせよう、苦しみを楽しんで暮らそう・・・花火にも盆踊りにもハシャがないこの男、その趣味はどうやらヘソ曲がりを通して生きることのようだ。
最後に、中村さん、あなたの趣味は・・・そう問われたならば。たぶんこう答える。ハイ、ちょっと長いんですが、独り、静かに、明るく、ヘソ曲がりに、苦しさをも楽しんで、うまいものを食べて健康で、仕事に励み、生きていくこと、たまにはニワトリや野菜と語り合いながら暮らすこと・・・田舎暮らしはこれらの要件をすべて満たしています。僕の人生の選択は間違いではなかったです・・・。
【関連記事】
(1)百姓と体力
https://inakagurashiweb.com/archives/6637/
(2)僕は十種競技
https://inakagurashiweb.com/archives/7411/
(3)無理をする技術
https://inakagurashiweb.com/archives/7414/
(4)夏草とミミズと焚き火
https://inakagurashiweb.com/archives/7435/
(5)あの角を曲がって
https://inakagurashiweb.com/archives/7451/
(6)理科のダメな男が電気の完全自給に挑む話
https://inakagurashiweb.com/archives/8301/
(7)ボロ家に暮らす男が積水ハウスのCMに胸をときめかす話
https://inakagurashiweb.com/archives/8877/
(8)猫もいい。犬もいい。鶏がいればもっといい
https://inakagurashiweb.com/archives/9271/
(9)人にはどれほどの金がいるか
https://inakagurashiweb.com/archives/9927/
(10)人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~
https://inakagurashiweb.com/archives/10432/
(11)心をフラットに保って生きる心地よさ~メンタルを健康に保つためのルーティン~
https://inakagurashiweb.com/archives/10864/
(12)周囲の生き物たちと仲良く暮らすこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11356/
(13)僕の家族のこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11953/
(14)独り身の食生活と女性たち
https://inakagurashiweb.com/archives/12410/
(15)家庭菜園と人生における幸福論
https://inakagurashiweb.com/archives/12775/
(16)人生の惑いをゴミ箱にポイするTips集
https://inakagurashiweb.com/archives/13260/
(17)「生活」と「人生」
https://inakagurashiweb.com/archives/14008/
(18)「生活」と「人生」(2)
https://inakagurashiweb.com/archives/14536/
(19)定年後の田舎暮らしは難しいか
https://inakagurashiweb.com/archives/14954/
(20)少子高齢化の未来
https://inakagurashiweb.com/archives/15319/
(21)田舎の人付き合いは大変か
https://inakagurashiweb.com/archives/15685/
(22)畑から見る東京
https://inakagurashiweb.com/archives/15987/
(23)コロナ禍が意味するもの
https://inakagurashiweb.com/archives/16546/
(24)男というもの
https://inakagurashiweb.com/archives/17139/
(25)「良い」孤独、「悪い」孤独
https://inakagurashiweb.com/archives/17700/
(26)生きる喜び、生きる悲しみ
https://inakagurashiweb.com/archives/18283/
(27)畑の神様
https://inakagurashiweb.com/archives/18857/
(28)気力・活力・体力
https://inakagurashiweb.com/archives/19623/
(29)僕があなたに就農をすすめる理由
https://inakagurashiweb.com/archives/20212/
(30)土食う客人
https://inakagurashiweb.com/archives/21365/
(31)DIE WITH ZERO考
https://inakagurashiweb.com/archives/22634/
(32)冬の愉しみ
https://inakagurashiweb.com/archives/23257/
(33)焚火の効用
https://inakagurashiweb.com/archives/24258/
(34)あかぎれと幸せ-年末年始の百姓ライフ
https://inakagurashiweb.com/archives/24742/
(35)冬と楽観
https://inakagurashiweb.com/archives/25594/
(36)庭先ニワトリ物語
https://inakagurashiweb.com/archives/26109/
(37)自給自足は人生の媚薬
https://inakagurashiweb.com/archives/27219/
(38)土様様
https://inakagurashiweb.com/archives/28284/
(39)走るために生まれた
https://inakagurashiweb.com/archives/29062/
(40)僕の農法
https://inakagurashiweb.com/archives/30436/
(41)深い眠りを得るために
https://inakagurashiweb.com/archives/31844/
(42)僕の農法
https://inakagurashiweb.com/archives/32683/
(43)男の孤独とアレルギー
https://inakagurashiweb.com/archives/34189/
中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
この記事の画像一覧
この記事のタグ
この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
田舎暮らしの記事をシェアする