9月30日。「さあ行こう、自由な未来に向かってアナタもキミも、はばたこう」。9月も終わりである。ピンとこないね、明日から10月だなんて。おっ、ほとんど梅雨なんてないまま夏になったじゃないか、嬉しいなあ・・・そう独り言をいいながら喜んだのが7月の初め。それから90日。35度の日々。外よりも蒸し暑い部屋で熱風に包まれながらランチし、熱帯夜は扇風機ひとつでやり過ごした。9月最後の今日は、午前中は雨が落ちる時間もあった。しかし午後には太陽が顔を出し、そうなるとまたまた夏日。ドボドボの汗。スポーツドリンクと牛乳を交互に飲みながら、午前中3時間、荷造りをはさんで午後も3時間、開拓現場の仕上げに奮闘した。自分で自分をこう分析する。何か、手ごわい問題が生じたとき、もちろん緊張感もあるのだけれど、まっ、なんとかなるものさ、やればたいていの事はできるものさ・・・そう思いつつその問題に向かっていく。地震で屋根が壊れた時もそうだった。3年前の風速57メートルの台風で鶏舎も茶室も樹齢34年の果樹大木が倒れた時もそうだった。我が辞書に「悲観」という言葉はない・・・ちょっと大げさだけれど、僕の精神はそんなふうに出来ているようだ。
4日がかり、通算26時間を要した開拓作業。次に掲げた写真の上がbefore、下がafter。繁茂したカナムグラを引きちぎるところから始め、スコップを踏み込んで篠竹の根を掘り出し、ドクダミなどの草の根っこを徹底的に排除した。子供時代、学校の先生から、雑で落ち着きのない子、そんな烙印を押された男だが、今では、鍬入れした後の土の中に残る数センチの草ひとつだって見落とすまいと、ふかふかになった土の中に手を入れ、目を凝らす。2枚の写真を見比べたらわかると思う。百姓仕事は力と根気の勝負であることが。
3×14メートル。仕上がった畑にレタスとキャベツの苗を植え、大根とチンゲンサイの種をまいた。キャベツの苗を植えているところで、おとといの夜、テレビで見た「千曲川(ちくまがわ)のヤミ畑」というのを思い出した。千曲川の河川敷にかなり手広い菜園がある。河川敷の無断利用は違法。以前はよく見聞きしたものだが、それは日本人。おとといのテレビに登場したのは80歳の中国人だった。たどたどしい日本語で言う。わたし、中国人ね、仕事してないね、お金ない、でも食べたいね・・・。僕が驚いたのは、じつにきれいな畑に仕上がっていること、そして、どの野菜もなかなかのもの、とても素人とは思えない出来栄えだった。で、ひょんなところで出会ったその千曲川。僕はちょっと懐かしい気持ちだった。長野に山小屋を作り、会社の休みを利用して年に3回くらい通っていたころ、山を下りてまっすぐうちに帰るということはせず、途中で寄り道していた。安中で登山レースを走ったり、金沢まで足を延ばしてみたり。そんな行程の中で千曲川、そして犀川にも接したのだ。80歳の中国人。千曲川の河川敷には、菜園のみならず、彼はけっこう広そうな小屋も作っていた。廃材を活用したらしいその小屋は、野菜の出来と同様、なかなかのものだった。やるじゃないか・・・これも一種の移住生活なんだろうか、そんなことを思いながら僕はテレビを見たのだった。
移住候補地に完全無欠なところはない・・・最後に、僕が先に書いたこの言葉を思い出していただこう。それぞれに良いところがあり、逆に何かの時には弱点が現れるということもある。日本全国、どこに行ってもこのことはあてはまるだろう。選定の基準として押さえておきたいのは、もし僕と同じように農業をやりたいなら、自分はどんな作物の栽培をしたいのか、その作物に、自分が頭に描いている移住候補地は適しているのかどうか、それをまず考えよう。さらに、通年栽培をしたいのなら、雪が深い、気温が大幅に下がる、そういうところは外したほうがよい。この点において、僕がいま暮らすまちは、気候的には条件を満たす。ただ足りないのは風景の美しさ。海にも遠いことだ。でも、一挙両得は人生にはありえない・・・それが僕の心の基本ベース。しかし他方、会社勤めであれフリーランスであれ、収入の道が確保されている人なら風景優先でかまわないだろう。入手する土地も、建物のある場所以外が100坪あれば自家用の野菜はほぼ自給できる。鶏だって飼える。
しかし、このいずれの場合にも他からの援助をあてにせず、自力で夢が実現されるよう、コツコツと、しっかりと、今からお金を貯めておこうではないか。前回、『百姓になるための手引き』の編集後記を引用した。僕は野菜生育のための3要素に例えて、チッソ「体力」、リンサン「お金」、カリ「教養」、それが移住実現のために必須であると今でも考えている。もしかしたら、お金の話をすると尻込みする人もいるかもしれないが、『田舎暮らしの本』にもあるとおり、100万円、ちょっと高くても200万円という古い物件は数多い。この金額ならば月々5万円の貯金でもそう長い年月は要しない。安すぎる物件は、ひょっとしたら床が抜けていたり、雨漏りがしたりするかもしれない。なあに、それでも心配は無用。四角い箱状のものを作ってビニールで覆えば雨漏りはしのげる、しばらくその箱の中に布団か寝袋を敷いて寝ればいい。さらに、そこでの暮らしを始めたら、毎月3万円出して材木を買おう。僕は長い年月にかなりの材木を買って傷みのきた我が家を補修した。行きつけのホームセンター・コメリでは、幅30センチ、長さ210センチ、厚さ20ミリの頑丈な杉板が2000円ちょっとで買えた。接合部分には溝が掘ってあって簡単に噛み合わせるようになっている。だから床張りや壁の作業は容易にやれる。それで少しずつ、自分の手で進めていくリフォームは、実務でありながらも、とても楽しい精神の遊びでもある。傷んだ我が家を自分の手で修復する、その時間は不思議なくらい気分を高揚させるのだ。
人の体は動いてナンボ。猛暑の日には大量の汗をかき、氷の張る日にはあえて力を要する作業にかかって冷える体を僕は暖める。庭に実ったクワ、ブルーベリー、ラズベリー、イチジク、ポポー、柿、ミカン、キウイ・・・それを口に押し込みながらしばし休憩する。何度か書いたように、残念ながらここは風光明媚ではない。周囲をぐるっと杉の林に囲まれ、頭上の空はただ青いだけ、白い雲が浮かぶだけ。それでも悪くはない。自分で作ったものを口に入れる。ちょっとハードだが、人力だけの畑仕事は感染症にも強い体にしてくれる(と僕は思っている)。そして見上げる空。足元の鶏が、ズボンに着いた草の実をツンツンつついて食べている。ふと考える。ささやかながらもこの暮らしには自由があると。枷(かせ)らしきものはどこにもないと。移住とは自由を求めて歩き出す旅である。僕が手に入れた自由はさほどドラマチックなものではないけれど、でも心地よいものである。さあ、アナタもキミも夢に向かって歩き出そうぜ。今の仕事に精を出し、毎月5万円ずつ貯金しようぜ。長丁場となるであろうボロ家のリフォームをやり通せるだけの体力を養うため、毎日腕立て伏せや腹筋もやろうぜ。この準備さえちゃんとこなせば、きっとアナタの移住への夢は現実のものとなる。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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